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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第七章 日本を動かすもの その1

「こいつ、ワシにくれんか」
 そう言われたのが今から四年前。当時の榊首相のもとで政策秘書を務めていた時だった。
「いやいや、いくら佐伯先生の頼みでも彼を手放すわけにはいきませんよ」
 目の前にいるのは佐伯孝蔵。リンケージ・セキュリティの社長を務めている。私たちはこの佐伯様の自宅に呼ばれ、謁見の間と言われるところで今後の政策について話しあっているところである。
「おぬし、いつまで総理を続けるつもりかな?」
 いつも大胆な発言と行動で国民だけでなく、政治家たちをも驚かせる榊首相。その榊首相に冷や汗をかかせるほどの存在であるのがこの佐伯様。実のところ、榊首相がここまで長い間総理の椅子に座ることができているのも、この佐伯様のおかげである。
 佐伯様はリンケージ・セキュリティという情報会社を通じて、私達に常に有益な情報を渡してくれる。そのため、外交問題でも国内の問題でも常に先手を打って今後の政策対応がとれていた。だからこそ、一見すると大胆な政策構想も綿密な検討を重ねて出した結果であるといえる。
「そろそろ総理も次の代に渡さんとなぁ。ほれ、あの大野あたりはどうじゃ」
 大野議員。今は榊内閣の官房長官を務める人だ。特に大きく目立ったところもないが、逆に悪い点も見当たらない。まぁ無難な人物とも言える。
「はぁ、大野ですか。まぁ悪くはないと思いますが………」
「何かあるのか?」
「いえ、なにも」
 一国の首相がこんなにも小さく見えるのはこの場だけではないだろうか。だがこの判断が相志党の牙城を揺るがすことになるとは。
「でな、榊よ、お前が総理を降りたらもうこの若者はお前にはいらんじゃろうが。じゃからワシが引き取ってやる」
 佐伯様はずいぶんとわがままな人だと聞いている。ようは私が欲しいからそう言っているのだが。だが私は榊首相のもとで政治を学び、ゆくゆくは出馬をして政権を握るような人間になろうという志があった。
「はぁ、私よりも飯島の気持ちを確かめないと」
 榊首相は苦し紛れにそう言ったのだろう。私を手放したくないという思いが強いようだ。その気持ちはすごくありがたい。
「では飯島、おぬしに聞こう。ワシのところにこんか?」
 私の意志は決まっていた。
「私はいずれ政治の世界へ行こうと考えております。そのためにはまだまだ榊代議士のもとで勉強をさせていただければと考えております」
「つまりはわしのところには来ない、ということか?」
「はい」
 ここで佐伯様はすごい眼光で私を睨んだ。その眼力にはとんでもないパワーを感じる。普通の人間なら、動けなくなるか目を背けてしまうだろう。
 だが私はその眼光に立ち向かうように佐伯様を睨み返した。ここで負けてはいけない。自分の意志を貫き通すのが私の信条だ。
 すると佐伯様は急に表情を変えて大笑いしだした。
「あっはっはっ。さすがワシが見込んだだけの若者じゃ。ますます気に入った。おぬし、政治の世界に躍り出ようと思っておるのか?」
「はい。ゆくゆくはこの国を動かすだけの力を持つ。これが私の最終的な目標です」
「なかなかおもしろいやつじゃ。ならばその力を早くにお前に与えよう。飯島夏樹といったな」
「はい」
「ワシの後釜になれ。そうすればこの国を裏から動かすことができるぞ。ワシのようにな」
 さすがにその言葉にはびっくりした。私が佐伯様の後釜に? つまり後継者として私を指名したということなのか?
 その言葉に榊首相も驚いていた。
「佐伯様、どうして飯島を?」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。ワシはこれでも人を見る目はあると思っておる。それにな、飯島よ。お前のことはすべて把握しておる。表向きの経歴だけではなく、子供の頃から何を考えどのような行動してきたのか。それも全部つかんでおる。それを踏まえて、お前しかおらんと判断したのじゃ」
 あの佐伯孝蔵様が私のことを買ってくれている。ここで私の考えは大きく変化した。それに、いずれは国を動かす人間になりたい。それが私の目標だ。その目標への道筋を、目の前のこの老人が用意してくれている。
「わかりました。私は判断に時間をもらおうとは思っておりません。では早速何から始めればよろしいのですか?」
 交渉成立。私はこの日から政治の世界を離れ、国を裏で動かす情報社会へと足を踏み入れた。
 その後、榊内閣は任期を終えて次の総理へとバトンタッチ。大野総理へと引き継がれたが、大臣の度重なる失言問題や政策の遅れ、さらには榊内閣の負の遺産である外交問題の対応の遅れを野党から攻められ、解散総選挙へと促されてしまった。
 そして気がつけば、与野党逆転。当時の第二政党であった友民党が第一党となり、政権交代。そして今に至る。
 だが友民等も総理は短命である。おおよそ一年周期で党首が交代し、今はすでに三人目という事態に。
 その裏で私は佐伯様にお仕えし、後継者となるべく教育を受けていた。
 だがここである問題が起きた。いや、この問題があったからこそ、佐伯様は私のような人間を急いで探していたのだろう。
「もう、限界ですか?」
「はい、申し訳ありませんがここまで長らく耐えられた事自体奇跡に近いですからね」
 私の目の前には、骨と皮だけに近い姿のみすぼらしい老人がベッドに横たわっていた。これがあの佐伯孝蔵である。
 だがこのことはトップシークレット。秘書長となった私とごく一部の幹部、そして目の前にいる医師と看護婦しか知らない。
 あれから一年後、佐伯様はガンが悪化。年齢のせいもあり、回復の見込みなくあっという間に今のような状態に陥っていた。
 だが私はこの一年間で佐伯様のコピーと言われてもおかしくないほどに教育された。いや、洗脳されたといっても過言ではない。だが私は喜んでそれを受け入れた。
 だから、今では佐伯様の代わりに多くのことを判断するようにまでなった。もちろん、見た目は佐伯様が判断したように見せかけていたが。
 だがここで幹部社員の一部に不穏な動きを見せる者たちが現れた。佐伯孝蔵はすでに死んでいるのでは、という妙な噂が流れ始めたのだ。
 その噂も仕方のないこと。なぜなら、この三ヶ月ほどは佐伯様は誰にも姿を見せなくなったし、声も聞けなくなっていたのだから。
 だが、佐伯様はすでに新しいプロジェクトをスタートさせていた。そして佐伯様が亡くなる直前に、そのプロジェクトは完成した。
「おぉ、これか………」
 佐伯様は目の前のこれを見て、最後の力を振り絞るかのように言葉を発した。
「そうじゃ、これがワシ、つまりおまえなのじゃ」
 佐伯様の目の前から、佐伯様と同じ声が発せられた。
 以降、佐伯様は人前から完全に姿を消した。だが、その声だけは多くの人の耳にすることになった。そして私は秘書長として、この今の佐伯様を操作する役割を担うことになる。
 そして今、この秘密が関係者以外の人間に明らかにされようとしていた。
「こちらには、佐伯孝蔵を社会的に抹殺できるほどの情報があるのですが」
 そう言ってきたのは、コーチングをやっている羽賀純一。彼は元四星商事のトップセールスマンで頭の切れる男だ。その羽賀コーチが私に取引を申し出た。
「ほう、一体どんな情報ですか? 私としてはとても興味深いものがありますね」
 私はつとめて冷静な態度をとりながら、羽賀コーチの言葉にそう答えた。だが内心は非常に焦りを覚えた。
 まさか、佐伯様の秘密を。どこで、どこまで知っているのだ?
 羽賀コーチは私にとあるファイルを見せた。私はそれを一枚ずつ眺める。
「なるほど、まさかあなた達がここまで情報を持っているとはね」
 正直驚いた。これは情報と言うより分析結果。なるほど、そういう手を使って佐伯様の秘密を追求したのか。これには恐れいった。
「さて、どうしますか?」
「わかりました。羽賀さん、あなたの言うとおりにしましょう。だが、そうなると蒼樹さんのご希望が叶えられるかどうか」
 それはそうだ。佐伯様の正体をこの蒼樹和雄が知ってしまったら。彼は間違いなく愕然としてしまうだろう。
「それはかまいませんよ。とにかく会わないことには始まらないでしょうからね」
 羽賀コーチは冷淡にそう答える。なるほど、もういっそのこと秘密を暴露させたほうがいいということか。
 ここで私は考えた。いつまでも彼らに業務遂行の邪魔をしてもらっても困る。ならばいっそのこと佐伯様の正体を明かして、その取引として今後一切私達に関知しないということにすればいいのではないだろうか。
 だが不確定要素も多い。ここは少し時間を稼ごう。
「では、さっそく手配に移りましょう」
「よろしくお願いします」
 とりあえず今後の行動を検討することにしよう。佐伯様の代理となった、あの人工知能の佐伯孝蔵様と。

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