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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第五章 過去、そして未来 その7

「さて、蒼樹さんどうしますか?」
「どうしますかって………」
 なにをどうすればいいのか、今は頭が回らない。まだ父が生きていたという事実を受け入れられないというのが本音だ。
「雄大、おめぇのお父さんは今は一人で農業をやりながら暮らしている。あいつが何を考えているかはわからねぇが、一つ間違いねぇことがある」
 ひろしさんはボクに向かってそう言う。なんだろう、その間違いないことって。
 ボクは無言でひろしさんの方を向いた。ひろしさんは真剣な目付きでボクを見つめている。そしてこうボクに伝えてきた。
「おめぇの父親、和雄は寂しがってる。何かを諦めたけれど、何かを求めている。そんな感じを受けたな」
「何かって、なんですか?」
「何かって、そりゃ………」
 ボクの質問にひろしさんは答えに困っている。そりゃそうだろう。人の心なんて読めるわけがないんだから。それに、そんなあてずっぽうなことを言ってボクに何かをさせようと思っても、ボクは簡単に思い通りには動かない。
 だが、今度は羽賀さんが厳しい目つきでボクにこう言ってきた。
「蒼樹さん、あなたはお父さんを求めていた。違いますか?」
 父を求めていた? ボクが?
 羽賀さんの言葉は更に続く。
「ボクにはそう感じていました。お父さんの手記を見つけ、そこからお父さんの痕跡をたどることでお父さんの思いに近づく。違いますか?」
 違う、ボクは佐伯孝蔵に近づきたかった。彼はどんな思いで十五年前の、そして今回の事故を引き起こそうとしたのか。そして日本をどのように動かしていこうとしているのか。その考えに近づきたかった。
 だがボクのその思いは、羽賀さんの次の言葉で大きく崩れてしまった。
「蒼樹さん、あなたは佐伯孝蔵に近づくことで、お父さんに近づきたかった。お父さんの思いを知るために佐伯孝蔵の思いを知りたかった。ボクにはそう思えて仕方ないのです」
 そう言われて初めて気づいた。ボクが佐伯孝蔵を通して父の姿を追いかけていたことを。
「でも、どうしてそう思ったのですか?」
 ボクは事実を認めたくなかった。だからこそ、羽賀さんにその根拠を問うてみた。
「蒼樹さん、あなたは常にこのお父さんの手記を肌身離さず持っていた。ボクがこの手記を借りた時も、必ず返してくださいと懇願してきた。これは物に思いを託しているときに行う行為です」
「でも、それはこの手記が唯一の手がかりだから………」
「いや、違うね」
 ボクの言葉にジンのほうが反応した。
「どういうふうに違うんですか?」
 ボクの反論に、ジンは冷静に答えた。
「おまえさん、この手帳のスキャンデータはとってあるんだろう? ってことは、内容が必要であればこいつのデータさえあればいいはずだ。何も肌身離さず持っておく必要はねぇからな」
「た、確かにスキャンデータは持っているけど。でもどうしてそれを?」
「ばぁか、ただのハッタリで聞いてみただけだよ。でも予想通りだ。お前さんほどの人間が、そういうことをしねぇわけがねぇからな」
「ハッタリって………」
 ちくしょう、ジンにやられた。だが、確かにジンの言うとおりでもある。スキャンしたデータさえあれば、手帳は紛失しても問題はない。が、ボクはどうしてもこの手帳をずっと手にしていたかったのは確かだ。
「さて、もう一度聞こう。蒼樹さん、どうしますか?」
 羽賀さんは最初にボクに浴びせた質問を再度してきた。さて、どうする。
 そう思っているボクの心とは裏腹に、口の方から勝手にその答えが飛び出してきた。
「父に………父に会わせてください」
 自分で自分の言葉に驚いた。この言葉、誰がボクに言わせたんだろう。そんなこと、思ってもいなかったはずなのに。
 いや、本当に思っていなかったのだろうか。思っていたからこそ、その言葉が出てきたんじゃないだろうか。そうでなければ、ボクの本当の心なんかわかりはしない。
「お父さんに会う気持ちは本当にあるのかい?」
 羽賀さんがあらためてそう聞いてきた。わかっている。これはボクが思いつきで言ったのではないということを確認しようとしているのだ。
「はい、今はその気持ちが強いです。羽賀さんの言うとおりかもしれません。ボクは佐伯孝蔵を追っていた。それは佐伯孝蔵の姿を通して父の姿を追っていたのかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。自分の中のその部分を明確にしてみたいんです」
 父に会う理由はそれが正解だろう。言いながらそう思った。
「わかった、じゃぁ早速手配しよう。ひろしさん、そしてジンさん。おねがいできますか?」
「もちろん」
「よっしゃ、行ってやるか」
 ひろしさんもジンもニコッと笑って笑顔でボクにそう言ってくれた。そのあとは早速父に会いに行く日程や時間などの計画を立てることになった。その中でボクの気持ちは徐々に父に対しての期待が膨らんでいった。
 だがここで一つ、自分の中で問題が発生した。
「羽賀さん、このことを、父が生きていたことを。そしてボクがその父に会いに行くことを母に言うべきでしょうか?」
 母だって、父に会いたいはずだ。父が生きていたことを知ってたら、そうしたいと思うのが普通だろう。
 だが、羽賀さんはこんな答えをしてきた。
「ボクは蒼樹さんのお母さんのことは知らない。これは蒼樹さんが判断するべきじゃないかな」
 ボクが判断、か。正直どうなのだろう。
 その判断をどうするのか決めかねているときに、ミクがボクにこう言ってきた。
「そんなの、自分の視点で考えるからわかんないのよ。そもそもお父さんはお母さんに会いたいのかな?」
 父は母に会いたいと思っているのか。それ以前に父はボクに会いたいと思っているのか。そこを考え出したら急に不安がつのってきた。
「父はボクに会ってくれるんでしょうか?」
「いや、会わせるよ。あいつは間違いなく寂しがってるからな」
 ひろしさんの頭の中は、ボクに会わせようとすることでいっぱいになっているみたいだ。なにかしらの確信があるのだろう。
 だったら母も一緒に。そう考えなくもないが。
「だったら、お前さんがそれを確認するってのはどうだ?」
「それを確認って?」
 ジンの言葉はどういう意味なのだろう?
「つまり、お前のお父さんがお母さんに会いたいのか。そこを息子であるお前が確認しろってことなんだよ。そのためにお父さんに会いに行く。これならお前も大義名分ができるだろうが」
 なるほど、そう考えたら急に胸のつかえが落ちて行くような気がした。父に会いに行く理由ができた、というわけだ。
「よっし、これで準備はばっちりだ。じゃぁ出発は明日の十時ってことで。羽賀ぁ、お前はどうするんだ?」
「ボクはもうひとつやることがありますから。ひろしさん、あとはお任せします」
 この日はこれで解散。明日、十時に駅に集合となった。その日の夜、ボクの目がなかなかつぶれることがなかったのは、いろいろな思いが頭をかけめぐったから。特に父との思い出が蘇ってくる。
 父はめったに笑う方ではなかったことを思い出した。だがそんな中、やたらと笑っている父の顔を一つだけ思い出した。
 あれはボクがまだ小学校低学年だったときのこと。どこでどんな場面だったのかは思い出せないが、とてもにこやかな顔でボクの頭を撫でてこう言った。
「大きな男になるんだぞ」
 大きな男とは、文字通り背の高い男という意味ではない。精神的に大きくなれという意味なのは、当時のボクでもなんとなく理解できた。
 それと同時に、小さな常識にとらわれるな。そういう意味ではなかったのだろうかと今になってわかってきた気がする。その言葉がボクの潜在意識に刷り込まれたお陰で、ボクは佐伯孝蔵という大物を追うようになったのではないだろうか。
 いや、実は父は佐伯孝蔵よりも偉大な人物だったのかもしれない。功績を残したというわけではないが、ボクにとっては大きな影響を与えた人物。きっとそうに違いない。
 そう思った瞬間、ボクは無性に父に会いたくなった。会って、今のボクの姿を見てもらい、そしてもっと大きくなるために指導をして欲しい。そんな気持ちがだんだんと大きくなってきた。
 そうして気がつけば、夜の暗闇はいつしか光を発し始めていた。

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