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コーチ物語 クライアント19「女神の休日」その2

 それから二日後。私は仕事が終わると急いでエターナルへ向かった。いよいよコーチの羽賀さんとのご対面。一体どんな人なんだろう?
「マスター、こんにちはー」
「おぉ、はるみ。羽賀さん、もう来てるぞ」
 見ると、奥の席にメガネをかけた男性が座っていた。ここで私はあっ、と声を出してしまった。
「マスター、あそこ……」
 羽賀さんが座っている席。ここはコジローさんの指定席。よほどのことがない限り、マスターはこの席にお客さんを座らせることはない。なのにその席に羽賀さんが座っている。
「コジローがな、羽賀さんだったらその席に座らせてくれと言ったんだよ」
 コジローさんが!?
 ちょっとびっくりだ。ということは、羽賀さんはコジローさんが自分の指定席を譲るほど認めている人物だということになる。これはかなり期待できる。
「はじめまして、長野はるみといいます」
 私は羽賀さんと対面する形で席についた。ちょっと緊張するな。けれどそれは一瞬のことで終わった。
「いやぁ、長野はるみさんからコーチングの依頼を受けるなんて光栄だなぁ。ラジオ、よく聞いていますよ」
 にこやかな顔で私にそう言ってくる羽賀さん。とてもフランクな感じで話しやすそう。さらに羽賀さんは私にこんなリクエストを。
「あのー、よかったら握手してくれますか?」
 握手まで求められるなんて初めて。断る理由も無いので私は右手を羽賀さんに差し出した。すると羽賀さん、なんと両手で握手してくるじゃない。まるでタレントとファンみたいな感じになっちゃった。なんか気分いいな。
「すいません、一人ではしゃいじゃって」
「いえ、むしろとても嬉しいですよ。こんなふうに思ってくれているリスナーの方がいるなんて。ますます頑張らなきゃと思ってます」
 これはお世辞ではなく本音。私が今まで休みを返上してまで頑張ってこれたのは、リスナーからの励ましの声があったから。だからもっと頑張らなきゃって思って行動してきた。けれどそれが疲労に繋がってしまったのは否めない。
「はるみさん、ちょっと気づいたことがあるんですけど」
 羽賀さん、何に気づいたんだろう?
「今、頑張らなきゃって言っていましたけれど。なんとなくですけど、疲れが見えているんですよね。無理をしているって感じがして」
 ドキッとした。今回のコーチングの依頼内容を見透かされたかのような発言。
「どうしてそれが……?」
「なんか、はるみさんの顔色がまず今ひとつ冴えないこと。そして笑顔がちょっと作り笑いのような印象を受けたんです。無理してるなって感じの」
 そんなことがわかるんだ。なんか羽賀さんの前では嘘がつけないな。
「実は、今回コーチングをお願いしたいのはそれなんです。私、ついがんばり過ぎちゃって。この前も過労で大きく体調を崩しちゃって。でも番組に穴を空けるわけにはいかないから、無理して頑張っちゃって。未だに完全には回復していないんですよ」
「なるほど。ついがんばり過ぎちゃうか。それだけ仕事に愛情を持っていらっしゃるんですね」
 仕事に愛情を持っている、なんて言われたのは初めてだ。けれどそれは事実だな。
「はい、私は今の仕事が大好きなんです。ラジオで喋ることも、リスナーと向きあって交流できることも、そして私からの情報がみなさんのお役に立ててくれていることも。だから無理しちゃうんですよ」
 言いながら思った。私、本当に今の仕事が好きなんだなって。それをあらためて自覚させてくれた。
「へぇ、やっぱはるみさんはラジオの仕事が大好きなんですね」
 にこやかに笑う羽賀さん。そこへ真希ちゃんがコーヒーを持ってきた。
「はい、どうぞ」
「あ、私まだ注文してなかったわね」
「注文しなくても、はるみさんが何を飲むのかはわかってますって。ゆっくり話をしてくださいね」
「真希ちゃん、ありがとう」
 さすが、マスターと真希ちゃんだな。私のことをよくわかってくれてる。
「いい喫茶店ですね。今の笑顔、これがはるみさんの本当の素顔なんだなって感じました。その笑顔を自然に引き出してくれるのがここなんですね」
 羽賀さん、私の今の心の中を代弁してくれたかのようにそう言ってくれる。確かにその通りだ。このエターナルという喫茶店は私のこころのオアシスでもある。コジローさんが仕事に疲れていても、ここに戻ってくると気持ちが癒されてリセットされると言っていた。私もまさにその通り。ここでは飾らない自分でいられるから。
 羽賀さんの言葉でそのことにあらためて気付かされた。そっか、私の戻る場所はここなんだな。ここで自分を取り戻せるんだ。
 そのことを羽賀さんに伝えてみた。
「なるほど、やはりそうですか。私もここに来るのは初めてなんですけど、静かでリラックスして落ち着けますもんね」
「でしょ、このお店、常連客以外来ないから静かなんですよー。まったく、マスターは商売する気があるんだか」
 真希ちゃんが笑いながら横から口を挟んできた。その言葉でエターナルは笑いに包まれた。あぁ、そうそう、この雰囲気がいいのよ。飾らずに素の自分で笑える空間。これが欲しいの。
「このお店、気持ちが戻ってくる空間なんですよね。好きな仕事でも、やはり仕事は仕事。本当の自分っていうのはどこにいるのか、それがわからないまま突っ走っている感じがするの。そんなときにこのお店に戻ってくると、何かはわからないけれど自分というのが取り戻せる気がする。そう、そうなの。そういった時間をもっとつくらないといけないのよね」
 私は独り言のように口から言葉を発していく。それは誰が言わせたわけでもない、自分の心の奥がそう言わせているのだ。
「それがはるみさんの心の奥から出てきた答えなんですね。私にはそう伝わりましたよ」
 そうか、これが私の心の奥で眠っていた答えなんだ。ここでふと疑問が湧いてきた。
「本当の私って、どんなのだろう?」
 思わず口にしてしまったこの言葉。どうやら今の私の課題は、本当の自分を探すことにあるみたい。けれど、あらためて考えてみたら、本当の自分がなんなのかわからずに今まで生きてきた気がする。
「じゃぁ、それを探るコーチングをしてみましょうか? それがはっきりすることで、疲れない自分を作ることができますよ」
「疲れない自分?」
「そうなんです。本当の自分を自覚することで、周りに振り回されないようになります。周りに振り回されると、どうしても疲れてしまいますからね」
「なるほど。じゃぁそれでぜひコーチングをしてください」
「はい、よろこんで」
 なんかすごく期待感がもてるな。この羽賀さん、コジローさんが一目置いているだけあるわ。コジローさんとは違った雰囲気を持っているが、元々持っている感じは同じようなものがある。だからコジローさんも羽賀さんに信頼を持っているんだな。
 ここから羽賀さんによる私のコーチングがスタートした。本来の自分がなんなのか、まずはそれを自覚することが私の課題。一体どんな私がいるんだろう。それを探るにはちょっと準備がいるということなので、これは次回に持ち越しとなった。
 それからマスターや真希ちゃんを交えて雑談。出てくるのはやはりコジローさんの話題。羽賀さんは以前、コジローさんと同じ仕事をしたことがあるということ。そのときにコジローさんのすごさを実感したらしい。
「いやぁ、コジローさんの冷静な判断はすごいですね。おっちょこちょいの私には真似できませんよ」
「いやいや、コジローから聞いていますよ。あのときの羽賀さんの行動力にはすばらしいものがあったって。で、コジローから頼まれて羽賀さんの力になってくれって言われてねぇ。で、頼まれたらオレも羽賀さんにいろいろと情報をお伝えしているんだよ」
 マスターもにこやかに笑いながらそう言う。どうやらマスターもこの羽賀さんに心酔しているようだ。このマスター、一見すると流行らない喫茶店の店主だが、実は裏では情報屋として活動を行っている。その情報は誰よりも早く、そして確実なものがある。私はまだ目にしたことはないけれど、このお店の裏には秘密の小部屋があって、そこには所狭しといろいろな機器が並んで、それを駆使してマスターは情報を集めているらしい。
「マスターのおかげで私もコーチング活動を行う上で、クライアントに有益な情報を与えることが出来ています。本当にありがとうございます」
 羽賀さんの言葉には嘘がない。それが感じられる。上辺だけじゃなく心の奥からそう思っていることが何となく伝わる。
「ところで、はるみさんはどういうきっかけでここに来るようになったんですか?」
「え、そ、それは……」
 さすがにコジローさんとのつながりを詳しく話すことはできないな。だがそれについてはマスターがうまくフォローしてくれた。
「羽賀さんはコジローの仕事のことはご存知ですよね」
「はい、裏ファシリテーターの仕事ですね」
「はるみは以前、それでコジローに助けられて。以降は私たちに協力をしてくれるようになったんです。まぁ詳しいことは企業秘密ということで」
「なるほど、わかりました。けれどこれではっきりしましたよ」
「何がですか?」
「はるみさんをはじめ、みなさんがどうしてこのお店に寄るのか。私もちょくちょく寄らせてもらってもいいですか?」
「もちろん!」
 喜んだのは真希ちゃん。これで常連客一人ゲットといったところだろう。エターナルにはまた笑いがこだましていた。

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