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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第七章 日本を動かすもの その7

「さて、まずはこれをすませないとな」
 リンケージ・セキュリティの新社長就任を受ける前に、私は早速ある行動を起こすことにした。
 私がまず最初に訪れたのは石塚の家。リンケージ・セキュリティのライバル会社であり、情報戦で激しい攻防を繰り広げた新和商事の社員であり、天才的なハッカーであった石塚一樹。彼は志を持って日本という国を守ろうとして、軍事衛星の情報をロシアの手から守ろうとした。だが彼はその最中事故で帰らぬ人となってしまった。
 この事故は私が指示したものではない。もちろん、人工知能の佐伯孝蔵が指示をしたものでもない。彼は我社の社員であった兵庫という男に殺されてしまった。あれは彼が独断で引き起こしたものだ。
 だが私に責任がないわけではない。むしろ兵庫は我社、いや佐伯孝蔵に忠誠を誓うつもりで引き起こしたことなのだから。だから私は石塚の家に赴き、奥さんにお詫びをしに行った。
「はい、どちらさまでしょうか?」
「私、リンケージ・セキュリティの社長秘書長をやっておりました飯島と申します」
 よく考えたら今の私の肩書きは中途半端である。まだ社長に就任はしていないので社長とは名乗れない。しかし秘書長も事実上辞めたような形である。
 石塚の奥さんは、リンケージ・セキュリティという名前を聞いて警戒しないだろうか。私はとても不安になった。
 だが予想に反してその扉は開いた。さらにこんな言葉が。
「お待ちしておりました。さぁ、中へどうぞ」
 お待ちしていましたとはどういうことなのだろうか? 私は意味がわからないまま奥に通された。そして通されたのは仏壇のある部屋。そこには何も言わない石塚一樹の写真が飾られてあった。
「失礼致します」
 私は一礼をして石塚の位牌にお参りをした。奥さんは無言でそれを見つめている。ただ、まだ幼い子どもがダァダァと母親を求める声だけが部屋の中に響いていた。
 ひと通りのことがすむと、私は正座をしたままくるりと奥さんのほうを向く。そして両手をついて深々と頭を下げてこう伝えた。
「今回、私どもの不始末でこのような事になってしまい、誠に申し訳ありませんでした。深くお詫びいたします」
 形だけではない。心からそう思って言葉を発した。
「いえ、もういいんです。羽賀さんからお聞きしました。あなたが今度、リンケージ・セキュリティの社長に就任されるとか。私の願いは安心して住める日本を作って欲しい。夫の一樹の思いを無駄にしないで欲しい。ただそれだけです」
 そうか、私のことを羽賀コーチから聞いていたのか。羽賀コーチにはこれから行おうとしていることを伝えてあるからな。混乱を避けるために、先にこのことを伝えてくれていたのか。
「私はこれから、日本を守るものとして会社を動かしていきます。そして亡くなった石塚さんの意志を継げるようなことを行なっていきます。もう二度とこんな馬鹿げた悲劇が起こらないように」
「ありがとうございます。一樹もこれで浮かばれます」
「つきましては、我社からのほんの気持ちです」
 私はそう言って内ポケットから封筒を取り出した。その中には慰謝料としてはとても足りないかもしれないが、私の気持ちとしての金額が記載されている小切手が入れられている。
「お気持ちはありがたいのですが………私はこれをいただくわけにはいきません。それよりも、これはもっと人の役に立つところへ届けてあげてください」
 石塚の奥さんは中身も見ないまま、その封筒の受取を拒否した。
「そ、そんな………それでは私の気がおさまりません」
「いえ、私こそ。一樹はあなたのところとは関係なく亡くなったと聞いています。そんなことをされても、私も逆に困ってしまいます。ですから、もっと人の役に立つところに、ぜひ」
 奥さんの意志は固いようだ。
「わかりました。ではそうさせて頂きます」
 結果的に私はその封筒を元のところに収めることになった。
 その後、大した会話をするわけでもなく私は日本のこれからを約束して石塚の家を去った。
 その次に足を運んだのは我社の社員であった坂口の家だ。彼も我社の子会社であるリンケージテクノロジーの新開が作成した薬物カプセルで命を絶たれてしまった。
 これについては確実に我社に責任がある。あのとき、私と人工知能の佐伯孝蔵が出した命令は
「我社の中の膿を削り取れ。その方法はいとわない」
というものであった。その結果、あのような悲劇が行われたのだ。
 私はそのときにこの報告を聞いて、「そうか」と一言だけ発したのを覚えている。つまり、坂口の命を軽く見ていたのだ。
 だが今となっては後悔の念が強くなっている。我社を守ることしか考えていない都合主義。そんなことではいけない。今更それを思ってみても遅いのだが。
「初めまして、リンケージ・セキュリティの社長秘書長をやっておりました飯島と申します」
 ここでも坂口の奥さんは、先ほどの石塚の奥さんと全く同じ対応をしてくれた。最後に渡そうとした封筒についても、まったく同じ答えをしたのだ。
「私は夫がどのようなことをしていたのかは詳しく知りません。しかし、日本を守るために命を張っていたということだけは聞いています。どうか、夫の死を無駄にしないようにお願いします」
 最後に坂口の奥さんから深く懇願された。そうだ、ここで私がしっかりとその意思を継がないと、彼らは浮かばれない。ここでははっきりと
「わかりました」
と返事をした。
 その後足を向けたのは大磯の墓。彼はすでに独り身であるため、彼の墓前で自分の意志を伝えようと思ったのだ。
 彼は十五年前の航空機事故で奥さんと娘さんを亡くしている。この事故についてもお詫びをしなければと思っている。
 私が墓につくと、誰が生けたのか綺麗な花が飾られてあった。さらにそれほど時間が経っていないと思われる線香のあとが。
「誰が一体?」
 あたりを見回すが人はいない。私が調べている限り、大磯の縁者は遠くの親戚しかいないということだったが。
 とりあえずしっかりとやることはやっておこう。私は大磯の墓前で深々と礼をしてお詫びの言葉を述べた。
「大磯さん、あなた方が行なってきたこと。その意志をしっかりと受け継がせていただきます。そして私は今まで行なってきた社会的な罪を、日本のために働くことで償わせていただきます。どうか安らかに眠ってください」
 大磯の死、これも私が直接指示したものではない。坂口と同じようにジャマなものを排除するように伝えただけ。ただ、大磯を始末したことを報告されたときに何も感情が湧いて来なかったのは間違いない。あの時私は、リンケージ・セキュリティを守るためだけにしか思考が働いていなかったのだ。
 大磯の墓前を離れ、次に向かったのところ。それは蒼樹の奥さんが住んでいる家。蒼樹には私が向かうことは伝えている。
「よくおいでくださいました」
 佐伯孝蔵邸で会った時とは異なり、柔和な顔つきになっている蒼樹。そして息子の雄大もいる。
「もう多くは語りません。ただ、お詫びをしたくて参りました」
 蒼樹はことの経緯はすべて知っている。どうしてここに来たのかも。
 だが蒼樹の口から出たのは意外な言葉であった。
「もうその件は結構です。十五年前のこと、そして今回の航空機事故のこと。これはあなたが引き起こしたことではなく佐伯孝蔵が引き起こしたこと。あなたはもうその呪縛から解かれるべきです」
 その言葉を聞いて、私は目からこぼれ落ちるものがあった。違う、やはり今回の事故は私が起こしたものだ。そう言葉を出そうと思っても出てこない。
「本当に、本当に許してもらえるのでしょうか?」
「許したわけではありません。しかし、これからの日本を作っていくのはあなただ。あなたの舵取り一つでこれからの日本が決まるといってもいい立場にいるお方だ。ならば、よりよい方向に向かっていけるよう判断をしてもらう。それしかないという結論に達したのです。それに………」
「それに?」
「もう、飯島さんは過去を悔いている場合じゃないはずです。今後、日本の裏側を支えるために必死になって働いてもらわないと」
「おっしゃるとおりです」
「だから、自信を持って前に進んでください」
 蒼樹のその言葉、とても深く心に刻まれた。私がこれからリンケージ・セキュリティを支え、そして日本を動かしていく立場にあるのか。その責任の重さをあらためて感じた瞬間であった。

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