コーチ物語 クライアントファイル15「弟子入り志願」その1
衝撃だった。こんな世界があったんだ。ボクは本を手に取り、一人感動をしていた。
本の内容はコーチング。コミュニケーションをうまくとることで人のやる気を引き出し、さらに目標に向かうための行動を起こさせる。ボクにとって今とても必要とされる技術である。
ボクはしがないSE、システムエンジニアだった。だった、というのは今は無職だから。実は会社の上司と大げんかをしてしまい、啖呵を切って会社を辞めてしまったのだ。
大人げない、なんて言わないで欲しい。そこに至るまでどれだけボクがガマンを強いられてきたことか。サービス残業は当たり前。納期が突然変更になり徹夜続きも経験した。それだけならまだガマン出来る。一番ガマン出来なかったのが課長の態度。
「佐藤、おまえはいつもとろいんだから。さっさと言われた変更をやってしまえ!」
二言目にはボクのことを「とろい」とののしる課長。ボクに対しての口ぐせになっているようだ。だって、他のヤツにはそんなことを言わないから。確かに人と比べるとボクの仕事は遅いかも知れない。が、ミスはほとんどないという自信がある。他の同僚は仕事はボクより早いけれど、やり直しが多くて結局ボクの方が先に仕事が終わっている。
なのに課長はボクの仕事を正当に評価してくれない。ここがガマン出来ないのだ。
で、とうとう先週、ボクは切れてしまった。課長がいつものように
「佐藤は仕事が遅いんだから。早く提出しろよっ!」
と言った言葉に猛反発。
「課長っ、お言葉ですがボクは納期には毎回必ず間に合わせていますっ。それにやり直しはほとんど無くて他の人よりも早く仕事を終わらせているつもりですっ。なのにどうしていつもボクにばかりとろい、とろいと言うんですかっ。いい加減にして下さいっ!」
バンッ。
勢いよく机を叩いて課長をにらんだ。どうだ、言ってやったぞ。
しかし間が悪かった。ボクが大きな声を出したため、役員の一人が何事かとのぞき込んだらしい。そしてボクが課長に反発をしているという姿を目にしてしまった。
さらにやっかいなのが、その役員はうちの課長をひいきにしている。で、即刻役員が飛び込んでこの一言。
「佐藤っ、お前は上司に向かってなんという態度をとるんだ。そうやって和を乱すやつはこの会社にはいらん。お前はクビだ、クビっ!」
最初は冗談かと思って無言で引き下がったが、その態度も気に入らなかったのだろう。翌日には「解雇通知」がボクの元へと届いた。
普通に考えれば不当解雇で訴えてもいいくらい。けれどあの職場には二度と戻りたくない。だから最後は大見得を切って課長と役員に捨てぜりふ。
「こんな人の気持ちを考えない会社、こちらから辞めてやりますよっ!」
まぁ幸いにして解雇通知の方が先立ったから、会社都合退職となったが。ホントイライラのし通しだった。
次の職を探さなきゃ。そう思ったもののこの不景気の世の中。そんなに都合良く次の職なんて見つかるわけがない。ブラブラしていても仕方ないのでハローワークに行った帰りに図書館に寄ってみた。そこで何気なく手にした本。それが今ボクが手にしているコーチングの本だった。
「そうだよ、このコーチングをうちの会社が取り入れてくれれば。ボクだって自分の能力をふんだんに発揮出来たはずなのに。どうしてこれがもっと広く採り入れられていないんだ」
そう思って、ボクもこのコーチングというヤツをやってみたくなった。でもどうやったらこれを勉強出来るのだろう。
結局、本を読んで勢いをつけてみたところで何も変わらなかった。何か行動を起こさなきゃ。そう思ってみても今という現状を変えることができない。そんなふがいない自分に腹を立てながらいつの間にか眠ってしまった。
翌日、朝から何もする気が起きずにボーっとインターネットを眺めていた。特に目的があるわけじゃない。いわゆるネットサーフィンってやつ。ボクは新聞をとっていないので、インターネットで世間の情報を知ることにしている。
「ふぅん、また円が値下がりしたんだ」
誰もいない部屋で独り言をつぶやきながらパソコンのモニターを眺める。なんか暗いよなぁ。
そうしていくつかのサイトを見ていたら、ある人のブログに行き当たった。普通なら斜め読みをして適当に別のサイトに飛ぶところだが、ある文字を見つけて目がとまった。
「コーチング……この人、コーチングを勉強しているんだ」
あわててこの人のブログを読み直す。
「どれどれ……先週のコーチングセミナーで大きな学びを得た。ふむふむ。これは即職場や家庭で役立てることができる。なるほど。でも自分はまだ学生だから、いつか家庭を持ったときにはこういった理想のコミュニケーションをとっていきたい……」
どうやら書いたのは学生さんらしい。名前はトシ。ブログそのものは趣味の自転車について書かれている。しかし、過去の日記を読んでみると、いくつかコーチングについて触れているじゃないか。ボクはそれを読みあさった。
「へぇ、このトシって人が勉強しているコーチングは、羽賀さんって人から学んでいるのか。そういえばこの人、どこに住んでいるんだ?」
トシのプロフィールを探したところビックリ! なんと隣の市じゃないか。そう思ったらいてもたってもいられなくなった。
ボクはトシに早速メールを送った。
『突然のメール失礼します。トシさんのブログでコーチングという文字を見つけたので送らせていただきました。私は今、会社を辞めて無職の状態です。その理由は会社の上司に不満を持ってしまったからです。
そんなとき、図書館でコーチングの本を見つけ感動しました。コーチングが会社に採り入れられていれば、私は会社を辞めなくてもよかったはずなのに。そういう思いでいっぱいになりました。
そこでコーチングを学んでみたいという気持ちに駆られたのです。
しかしどこでどうやって学べば良いかわからない。そんなときにトシさんのブログを拝見しました。
そこでいきなりで申し訳ないのですが、トシさんが学んだ羽賀さんというコーチを紹介していただけないでしょうか。
いきなり変なメールだとお思いでしょうが、なんとかしたいという気持ちでいっぱいなのです。ご理解のほどお願いいたします』
勢いでこういう文章を書いて送信。しかし送信したあと後悔した。ボクは会ってもいない人に対してなんて失礼なことをしたんだろう。きっと変なヤツだと無視されるに決まっている。もうちょっとトシさんとコンタクトを取りあってから送れば良かった。
そういえば昔からそんな性格である。慎重に行動をしているようで、実は思いつきで突然このような行動を起こすことが多い。
昔、彼女にふられたときもそうだった。正確に言えば彼女ではなく片思いだったが。
意中の女性に対して、どうやって口説いていこうか慎重に計画し、事を進めていたはずだった。が、ある日飲み会の帰りにたまたま二人っきりになれたことがあった。このとき、理性のたががはずれた。
寄った勢いというのもあったのだろうが、その場で突然告白。結果は玉砕。
「もっとあなたのことを知ってからじゃないと……」
こちらは彼女のことは知りつくしていた。だから向こうもボクのことを知っている。そう勘違いをしていたのだ。以降、女性に対して臆病になってしまったのは確かだ。
おかげで何かをやるときに自信が持てなくなった。特に人間関係は。そういう意味では、一人でコツコツ仕事ができるシステムエンジニアという職業はボク向きだったのだが。
さて、とにかく仕事を探さないと。失業手当がすぐにもらえるのはありがたいけれど。いつまでもこれに甘えているわけにはいかないからなぁ。
そう思って腰を上げては見たが、なんだか気乗りがしない。やっぱネットで職を探すとするか。
ふと見ると新着メールが届いている。どれどれ……えっ、えぇっ!
『佐藤さん、初めまして。コーチの羽賀といいます』
う、うそっ! どうして!?
『トシくんから連絡をもらってメールさせていただいています。
コーチングを勉強したいということですね。ボクもそういった仲間ができるのは心強いです。
ぜひ一度お話しができればと思っています。
よろしければ一度お電話をいただけないでしょうか』
ボクはそこに書かれてある番号に速攻で電話した。
電話の呼び出し音が鳴る間、またもやしまったと思った。どうしてボクは後先考えずに行動しちゃうんだろう。まずはメールでご挨拶をするべきじゃなかったかな。
しかしもう遅い。呼び出し音は二回、三回、四回……が鳴ったとき
「はい、コーチングの羽賀です」
その声を聞いた瞬間、ボクは頭が真っ白になってしまった。
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