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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第五章 過去、そして未来 その8

「おはようございます」
「おぉ、来たか。じゃぁ行くぞ」
 待ち合わせの時間に駅に行くと、すでにひろしさんとジンは待ってくれていた。行き先は長野。ここから半日は移動でかかる。
 電車に乗ってから、ボクたちはほとんど無言状態だった。ボクの手には羽賀さんが返してくれた父の手記がある。ボクはそれを再度一ページ一ページめくって、父が何を考えていたのかを頭の中で想像していた。
 ジンは大柄な体には似合わない小さなパソコンを手にして何か文書を作成している。おそらく普通の人にはちょっと小さいパソコンというサイズなのだろうが、ジンが持つと妙に小さく見える。
 ひろしさんはこういう旅には慣れている様子で、似合わない小説を手にしている。以外に読書家なんだな。
「おい、お前さん父親にあったら何を話すつもりなんだ?」
 ジンがパソコンから目を離さないまま、ボクの方を向いてそう言ってくる。
「何を話すって………そんなの考えてないですよ」
 これが本音だ。会いたいとは思っていても、そこから先は何も考えられない。ただ会えば何かが見つかるかもしれない。その思いだけで今ここにいるようなものだ。
「まぁお前さんがそれでいいならいいけどよ。ただし会ってみてがっかりするんじゃねぇぞ」
「がっかりって?」
「お前さんが理想としている父親像からはかけ離れているかもしれねぇってことだよ」
 ジンにそう言われて、改めて自分の父親をイメージしてみた。ボクが知っている父親は十五年前の姿。あの頃の父はスーツ姿が似合っていたことを覚えている。どちらかというとキリッとした姿だ。
 そのイメージからかけ離れているかもしれない。かといって、どんな覚悟をすればいいのかもわからない。
 複雑な思いで、電車は長野のさらに田舎の方にある駅にたどり着いた。時間は夕方、もう少しすると日も暮れるという時間帯だ。
「ひろしさん、今日行くのか?」
「あぁ、和雄は農業をやってるから、昼間に行っても会ってくれねぇからな。これからの時間のほうがいいんだよ」
「蒼樹の父親にはアポはとってあるのか?」
「いや、言っても会わねぇっていうのは目に見えてるからな。突然行くほうが会ってくれる可能性が多いわ」
 確かにそうだろう。十五年も身を隠していたのに、今更僕達に会うなんてことは考えられない。
「わかった。ここからは遠いのか?」
「いや、そんなに遠くねぇ。歩いていくか?」
 そうしてボクたちは父の家へと向かい始めた。そういえばなんとなくこの景色に見覚えがある。まだ小さい頃、父の実家に連れてきてもらったことがある。記憶にあるかないかというくらいの頃だったと思うが。体がそれを覚えているんだな。
「ここだ」
 着いたのは一見の古民家。古民家といえば聞こえはいいが、ただのオンボロの一軒家だ。ただし敷地だけは広いようだ。庭にはトラクターと田植え機がおいてある。そして窓からは灯りが漏れている。
「さぁ、いよいよだ。行くぞ」
 ひろしさんの声で、ボクは一歩足を踏み出そうとした。が、その足がなぜだか動かない。自分の思いとは裏腹に、体が思ったように動いてくれないのだ。
「おい、どうしたんだよ」
 ジンが急かすが、ボクの額には脂汗がにじむだけ。声も出せない。
「おいおい、緊張してんのか? ほらっ」
 ジンが背中を思いっきり押してくれたお陰で、ようやく前に進むことができた。
「和雄、いるか。ひろしだ」
 ひろしさんはチャイムも鳴らさず、玄関の引き戸を乱暴気味に開いて中に入っていった。
「ひろしさん、またどうしてここに?」
 奥から一人の男が出てきた。いや、風貌は老人といっても過言ではない。顎には白髪混じりの無精髭。髪の毛もほとんど白いし、かなり薄くなっている。痩せこけた体からは、とても農業をしているとは思えなかった。着ているものも汗臭そうなぼろぼろのシャツに作業ズボン。正直、あまり近寄りたくないタイプの人間だ。
 だが、その男はボクの姿を見るなり動きが止まった。そしてボクも動きが止まった。
「雄大………」
 時間が止まった。空白の十五年を埋めるかのように、ボクと父の間に得も知れぬ感情が生まれ、そして共有していくのが感じられた。
「さすがは親子だな。いくらお互いに風貌が変わっていても、遺伝子レベルで何かを感じているようだな」
 ジンがそんなことを言っていたのは耳には入ってきた。だがボクの頭の中は父の姿でいっぱいだ。
 何も言葉がでない。かといって涙がでるというものでもない。ただ今は父と一緒に入られる。そのことだけで胸がいっぱいになってきたのだ。
「こんなところにつったってても始まらねぇ。中に入らせてもらうよ」
 ひろしさんがそう言ってくれた所で、ようやく時間が動き始めた。
「どうして雄大を連れてきたんだ?」
 小さなちゃぶ台がおいてあるテーブルを囲んで座った所で父がようやく口を開いた。
「和雄、お前の息子はお前のことをずっと追ってたんだよ。とっくに死んだと思っていたお前の姿を追い求めていたんだ。だから連れてきた。おい、あれを出しな」
 ひろしさんから促されて、ボクは父の手記を取り出した。
「こ、これは………これを見つけたのか?」
「はい。それからボクはあなたの姿を追い求めました。何を考え、どうしてあんな行動に走ったのか。それを知りたくて佐伯孝蔵に近づこうとしましたが、それは残念ながら失敗しました」
「さ、佐伯孝蔵にかっ。そんな危険なことを………あいつは、あいつは近づいてはいかん。絶対に、絶対に………」
 佐伯孝蔵の名前を出した途端、父の体は震えだした。そんなに危ないことなのだろうか?
「お父さん、これだけは聞かせてください。なぜ十五年前の事故を引き起こすことを了承したのですか?」
「そ、それは………」
 このとき、ジンの携帯が鳴った。
「うん、あぁ、無事についた。おぉ、そうか。わかった、じゃぁ替わるわ」
 そう言うとジンは携帯を父に渡した。父は不思議そうな顔をしている。
「誰なんですか?」
「羽賀さんからだ。どうしてもおめぇの父親と話したいということでな」
 ボクはしばらく電話をする父の姿を眺めていた。そして羽賀さんとの話がようやく終わって、父はボクの方をじっと見つめた。
「雄大、これから私の言うことをよく聞け。これは父として最後の言葉になるかもしれん。そしてこの十五年間を償うための言葉でもある」
 さっきまで目の前にいた、みすぼらしい初老の男の姿から一転し、背筋を伸ばしてボクの方をしっかりと見つめる父がそこにいた。
 そう、ボクが記憶しているのはこの姿だ。整形して、さらに無精髭まで伸ばし身なりもみすぼらしい姿ではあるが、ボクにとっては十五年前に別れた、りりしい父の姿が目の前に現れたのだ。
 ボクも父に合わせて、思わず背筋が伸びてしまった。
「まず十五年前の事故。これについてはお前たちを守るため、とだけ言っておく。詳しくはさきほど電話があった羽賀さんから聞くといい。そしてこれからのことだが」
 ボクは生唾をゴクリと飲み込んだ。
「これからはお母さんのところに戻ってあげなさい。そして、佐伯孝蔵には近づかないこと。お前たちは私が守る」
「守るって、どういうことなんだ?」
「先ほど羽賀さんからおおよその経緯は聞いた。私が佐伯孝蔵と決着をつけてくる」
「決着って、どういうことなんですか?」
 ボクが父に問い詰めると、父は大きく深呼吸をしてボクにこう言った。
「佐伯孝蔵はな、私の父の恩人なんだよ。だから私は彼に逆らえなかった。だが十五年前のあの事故だけは私は抵抗しようとした。その結果、彼と対立をすることになったのだが、お前たちを人質に取られていた。だからやむなく条件を飲んだのだ。だが私は生き延びねばいかん。そう思って最後の計画だけを変更した。そうして今ここにいる」
 人質にとられてたって、そんな自覚はなかったけど。でも、それが事実なら父はなにをどう決着をつけようというのか。
「ひろしさん、私を羽賀さんのところに連れて行ってくれないか。ジンさんといったかな。よろしく頼みます」
 事態は急展開。そして父は服を脱ぎ捨てた。その体はさきほどまで見ていた痩せこけていたものとは違い、無駄のない筋肉をつけた身体であった。そして背中には傷跡が。これは銃で撃たれた跡か。
「雄大、これからやることがお前たちへの償いになる。お前たちの未来をつくるために、私はこれから過去を断ち切りに行く」
 その姿は間違いなく父であった。私が超えられなかったその父の姿を、今目の前で再び目にすることができた。
 夜はしんしんと更けていく。だが今ここには、熱い思いを持った男の姿が眩しく目に写っていた。

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