コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第五章 過去、そして未来 その3
「こんにちは」
ボクはタクシーに向かって、正面から挨拶をした。
「あぁ、先程はどうも」
タクシーの運転手、ちょっと慌ててたな。まさかボクの方からやってくるとは思わなかったみたいで。
「ボクを待っててくれたんですか?」
「あ、えぇ、まぁ、そうとも言えるかな」
ボクが現れたのはよほど予想外だったのだろう。なんだか曖昧な返事をしている。この運転手、尾行しろと言われてきたんだろうけど、どうやら素人のようだな。たぶん金で雇われたのだろう。ここは羽賀さんの読み通りだ。
「じゃぁ、ちょっと行って欲しい所があるんだけど」
「はい、どうぞ」
そう言ってタクシーの運転手はドアを開けてくれた。そのドアからボクは乗り込む。
「じゃぁどちらまで?」
運転手の言葉に、ボクは羽賀さんから教えてもらった通りの言葉を告げた。
「あなたがボクを連れていきたいところまで。よろしく」
「えっ、そ、そりゃどういう意味で?」
「あなた、ボクをどこかに連れていきたいんでしょ。それでここで待っていた。そうじゃないんですか?」
ボクの言葉はすべてハッタリ。これは羽賀さんからそう言えと教えてもらったものだ。
おそらく、この運転手はボクが通りに出たのを見計らって、ボクを偶然を装って拾おうとしたのだろう。そして、ボクが言う行き先とは違うところへ連れていこうとした。
だがボクがそれを先にすべて言ってしまったおかげで、頭の中がパニックになっている。人間というのは自分が予想もしなかった行動を相手に取られると、主導権を相手に握られてしまうらしい。これは先程羽賀さんから聞いた言葉だ。
「そ、そんな、どこかに連れていこうなんて………」
口ではそう言っているものの、あきらかに目が泳いでいる。そこへ追い打ちをかけるように、さらにボクはこう伝えた。
「じゃぁいいや。リンケージ・セキュリティの本社。ここでどうかな?」
これもハッタリ。運転手はここか、もしくはリンケージ・セキュリティの関連施設へ連れていこうとしているはずだ。
「どうかなって、わ、わかりました。リンケージ・セキュリティですね」
そう言って運転手は車を走らせた。羽賀さんのところに行く時にはあれだけおしゃべりだった運転手が、今は無言になっている。心なしか、ハンドルを持つ手が震えている気もする。
「着きましたよ」
「ありがとう。釣りはいらないよ」
ボクはメーターに表示されている額が払えるだけの札を運転手に渡す。下ろされたのはリンケージ・セキュリティ本社の正面。ここで最後の一言。
「よかったら受付まで迎えに来てくれませんかねー」
これは少し大きな声でしゃべる。この言葉は運転手に向けたものではない。おそらくこのタクシーでの会話は盗聴されているはず。その盗聴先の主に向かってボクはそう伝えたのだ。
それからゆっくりとした足取りで、リンケージ・セキュリティの本社の扉を開けた。なかなか重厚な作りだな。正面奥には二人の受付嬢が座っている。
「こんにちは。本日はどのようはご用件でしょうか?」
ふたりともなかなかの美人。しかし、ボクのことは知らされていないようだ。まぁ当然だろうけれど。
そのとき、受付の電話が鳴った。
「しばらくお待ちください」
そう言って一人の受付嬢は電話に出る。そしてハイ、ハイと返事をすると、ボクに向かってこう言った。
「蒼樹さま、ですね。三階の応接室1にお通ししてくださいと連絡がありましたのでご案内致します」
そう言うとその受付嬢がボクを誘導してくれる。一体そこには誰が待っているのだろうか。
応接室を開けると、そこには二人の男が待っていた。
「君はもう下がっていい」
年配の男のほうが受付嬢を人払いすると、ゆっくりとこちらを向いた。
「蒼樹雄大くん、だね。君はなかなかおもしろいじゃないか」
そのときの笑いは、ボクにはちょっといやらしく感じた。何かを企んでいるときの笑いだ。
「こちらこそ、なかなかおもしろい仕掛けをしていただきありがとうございます。おかげで楽しんでいますよ」
「ははは、実に面白い。どこで気づいた?」
どこで気づいた。このセリフは、ボクを尾行しここに連れてこようと思っていた意志があることを裏付けるセリフでもある。
「そこは企業秘密です。で、ボクにどのようなご用件で?」
「それはこちらが聞きたいよ。蒼樹雄大くん、いや、蒼樹和雄の息子、といったほうがいいかな」
蒼樹和雄はボクの父の名前だ。リンケージ・セキュリティのことだから、ボクのことくらい簡単に調べはついている。
「さすが、情報化社会ですね。ボクのことなんかすべてお見通しなんでしょ。あらためて自己紹介はしませんよ。それより、あなたたちの自己紹介がまだだと思うんですけど」
「ははは、これは失礼した。私はこの会社の専務の大山といいます。こちらが」
「情報部部長、石神です」
二人とも名刺を差し出す。ボクはあえてぶっきらぼうにその名刺を受け取り、さらにポンと机の上に置いた。ビジネス的にはとても失礼なマナーではあるが、あえてそうしたのだ。
「で、用件を聞きましょう。ボクに会いたかったんでしょ」
「ふふふ、本来なら本社ではなく、港の倉庫にお連れするはずだったんですけど。そのあとは豪華な船でのクルージングが待っていたんですがね」
それがどういう意味なのかはわかる。ただ、それが冗談なのか本気なのか、そこは探れなかった。
「ズバリ言いましょう。昨日の夜、見たことはあなたの記憶から消してもらいましょう。それと、今後私たちの周りを探らないこと。そうすればあなた自身のことは保証しましょう」
向こうはボクを脅すつもりで言ったんだろうが。ボクにそんなハッタリ的な脅しは効かない。
「保証しましょうって、ようは何もしないってことでしょ。それじゃ取引になりませんよ。ボクにももうちょっとメリットがないとね」
「若いのになかなかやりますね。蒼樹くん、あなたは一体何を望んでいるのですか?」
ゆったりとした口調で大山専務がそう言う。こういう言い方は、やくざ者が大きな声で脅しをかけるよりも数倍恐ろしいことは身にしみている。
だが、ボクだって伊達に修羅場を抜けてきたわけじゃない。
「ボクが望むもの、それはこのリンケージ・セキュリティの社長である佐伯孝蔵に近づくことです。それができればボクはこの会社に対して何かをするなんてことはしませんよ」
「うちの社長に、ですか。なかなか難しいことをおっしゃる。専務の私でさえ、佐伯様にお会いするのはなかなか難しいのに」
これは本当のようだ。その証拠に、部長の石神も眉間にシワを寄せている。
「ではこうしましょう。社長への面談はなんとかセッティングしましょう。けれど、その間あなたが下手な動きをしてもらっては私たちも困ります。あなたの身柄をそれまで拘束させてもらう。もちろん、一流のおもてなしをさせて頂きますよ」
「なるほど、確かにそうだな。その間、外部への接触は?」
「申し訳ありませんが、それも制限させてもらいます。そうですね、ロイヤルホテルのスイートルーム。ここなら文句はありませんよね」
「ま、いいでしょ。確実に佐伯孝蔵に会わせてくれるなら、ね」
商談成立。ボクは早速身柄を拘束されることになった。
「その前に、トイレに行ってもいいかな?」
「まぁいいでしょう」
「大きい方だから時間かかるよ」
そう言ってボクはトイレに入り、胸元に向かって小声でこう言った。
「羽賀さん、潜入成功しました。あとはお願いしますよ」
実はボクのジャケットの内側には、盗聴器と発信機が仕掛けてあった。羽賀さんはボクが事務所を出たあと、ある人物に追跡をさせるからと言って、その間の会話がわかるように盗聴器と発信機を仕掛けてくれたのだ。
どんな人物がボクを守ってくれているのかはわからないが、今は羽賀さんの言葉を信じよう。
この事態の展開に、果たしてボク自身がついていけるのか、少し不安にはなったが、それ以上に佐伯孝蔵に会えると思うと、なんだか胸がワクワクしてきた。
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