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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第六章 決断した男 その7

「ズバリ言いましょう。佐伯孝蔵に会わせていただけませんか?」
 羽賀さんはいきなり核心をつく言葉を飯島夏樹に投げかけた。
「会ってどうするんですか?」
「そこから先は、こちらの蒼樹和雄さんにおまかせします」
 いきなり私にふられて、ちょっとドキリとした。だがそのくらいのことを答える心の準備はできている。
「では蒼樹さんに聞きましょう。佐伯さまにお会いして、何をなさるおつもりですか?」
「十五年前の、そして先日引き起こされた航空機事故。これらについての謝罪をしていただきたい。これは私に対してではない。世間に対してだ。そして全てを公表し、自らの罪を認めていただきたい」
「なるほど、そういうことですか。ならば私もズバリ言いましょう」
 飯島夏樹はそう言って私たち二人を交互に眺め、そして一瞬フッと笑ってこう言った。
「お断りいたします」
「な、なにを………」
 私は言葉を出そうとしたが、何も言えなかった。反論しようにもこちらにはその言葉となるものが何一つ用意できていないのだから。
「まぁ当然でしょうね。今蒼樹さんが言ったことは、佐伯孝蔵にとっては何一つメリットとなるものはありませんし。自らの罪をわざわざ世間に公表して自らを窮地に追い込むような馬鹿な真似は誰もしませんからね」
「さすが羽賀さん、わかってらっしゃる。ではこれで交渉決裂、ということでよろしいかな?」
 飯島夏樹はそう言うと立ち上がって部屋をさろうとした。
「ま、待て。とにかく一度佐伯孝蔵に会わせてくれ。せめて、せめて私の前でだけでもその罪を認める言葉を言って欲しい」
「蒼樹さん、それはあなたの単なるワガママというものですよ。それこそ、あなたの思いだけで佐伯様をそんな危ない目にあわせるわけにはいきませんからね」
 今度こそ飯島夏樹は部屋を出ようとした。くそっ、これで佐伯孝蔵に一矢報いることはできなくなるのか。
 そう思った時、羽賀さんが動いた。
「こちらには、佐伯孝蔵を社会的に抹殺できるほどの情報があるのですが」
 飯島夏樹の動きがピタっと止まった。そしてゆっくりとこちらを向いて、さっきとは違った引きつった笑いをしながら再びソファに座った。
「ほう、一体どんな情報ですか? 私としてはとても興味深いものがありますね」
「まさか、何の取引もなくその情報を聞き出そうなんて思っていませんよね?」
「ははは、さすがは羽賀さんだ。取引か。それはこちらも同じ事。そちらのものがひょっとしたらガセネタかもしれないのに、取引なんてできませんよ」
「まぁ当然のことですね。ではこうしましょう。どのような情報なのか、その一端を今からお見せします。そのかわり、そちらも一つ約束して欲しい」
「ほう、どんな約束ですか?」
「佐伯孝蔵に会わせていただくこと。そこから先のことは蒼樹さんと佐伯孝蔵二人で決めればいいいことだ。双方が納得するような結論が出ればそれでよし。何も社会的に罪を認めろ、などとは言いませんよ」
「佐伯様に会わせなければ、そちらはその情報を広く世間に公表する。そして佐伯様を社会的に抹殺することができる。そういうことですよね。なるほど、私達にとってはちょっと不利な条件が多いですが。仕方ないでしょう。まぁそれ以前にその情報が確かなものかを確認させてもらいますけどね」
 私はそんな情報があるなんて知らされていない。羽賀さんは一体どんな情報を持っているというのだ? それに、佐伯孝蔵を社会的に抹殺できる情報だなんて、一体それは何なのだ?
 羽賀さんはバッグの中からひとつの封筒を取り出した。そしてその封筒を飯島夏樹に見せる。
 飯島夏樹はその封筒をゆっくりと開け、中に入っているファイルを取り出した。そしておもむろに一枚めくる。その瞬間、飯島夏樹の顔色が変わった。
「なるほど、まさかあなた達がここまで情報を持っているとはね」
「さて、どうしますか?」
「わかりました。羽賀さん、あなたの言うとおりにしましょう。だが、そうなると蒼樹さんのご希望が叶えられるかどうか」
「それはかまいませんよ。とにかく会わないことには始まらないでしょうからね」
 そこからしばらく、にらみ合いが始まった。これはまさに心理戦といっても過言ではない。羽賀さんと飯島夏樹、二人の間に言葉にならない会話がかわされていく。そんな印象を受けた。
 おそらく実際の時間はそんなに経っていないのだろう。だが私にはその時間がとてつもなく長く感じた。
 このとてつもなく長い沈黙を破ったのは飯島夏樹である。
「では、さっそく手配に移りましょう」
「よろしくお願いします」
 そう言うと羽賀さんはスクっと立ち上がり、そして帰り支度を始めた。私も慌てて羽賀さんの後ろについていく。そしてエレベーターの前まで来て、羽賀さんは最後に飯島夏樹にこう言い放った。
「さすが、あなたは頭の切れる方だ。別のところでお会いしていれば、いい友達になれそうな気はしますよ」
「ふっ、羽賀さん、同じセリフを返しますよ。では」
 そう言うとエレベーターのドアが閉まり、私たちは一階のフロアまで一気に降りていった。
 エレベーターの中で羽賀さんに何かを言おうとしたが、何も言葉にならない。只今は、佐伯孝蔵に会うことができるという希望の光が差し込んできたことに喜びを感じるだけであった。
「羽賀さん、あの飯島夏樹に見せたファイル。あれは一体なんなのですか?」
 帰りのタクシーでようやく私は羽賀さんに気になる質問を投げかけることができた。
 だが羽賀さんは私の言葉には即答しなかった。未だに窓の外を眺めている。そして目線を外したまま、こんな言葉を私に投げかけた。
「それは佐伯孝蔵に会ってみればわかりますよ」
 その後は再び沈黙。羽賀さんは今、何を考えているのだろうか。
 羽賀さんの事務所に到着。
「おかえりなさい」
 事務所では羽賀さんの若い助手であるミクさんが待っていた。
「ジンさんから伝言だよ。再度分析したらやっぱり間違いないって。そういえばわかるって言ってたけど」
「ミク、ありがとう。さて、これからどうするかなぁ」
「これからって?」
「とりあえず、蒼樹さんが佐伯孝蔵に会える段取りはつけてきたよ」
「じゃぁ、話は進展したんだ。蒼樹さん、おめでとうございます」
 そう言われて嬉しいはずなのだが、羽賀さんの態度が今ひとつそれを感じさせてくれない。
「羽賀さん、私は佐伯孝蔵に会って何をすればいいんでしょうか?」
 これは率直な疑問である。会って、今までの罪を私の前で認めてもらいたい。だがそうするためには私は何をすればいいのだろうか?
 佐伯孝蔵。ただでさえ巨人と思える相手である。電話の声でさえ恐怖を感じずにはいられないのだから。そんな相手を目の前に、私は彼と戦うことができるのだろうか。
「大丈夫ですよ。蒼樹さん、今のあなたの思いをそのまま彼にぶつければいいんです。そうすればきっと道は開けますよ」
 羽賀さんの言っていることはすごくまともで当たり前のこと。なのだが、なんとなく羽賀さんの言葉からは投げやりな感じを受けた。どうも羽賀さんの態度がよそよそしく感じるのだ。
「それよりも蒼樹さん。今回佐伯孝蔵との決着がついたら、そのあとはどうなさるおつもりですか?」
 その後、か。特に何も考えてはいなかった。
「そうですね。田舎に戻るつもりはもうありませんよ。妻と息子の雄大さえよければ、一緒にまた暮らしてもいいかなとは思っていますが」
「そうですね。そういう普通の生活に戻るのも悪くはないでしょう。蒼樹さんほどの人なら、私も就職先はいくつかご紹介できますよ」
「ありがとうございます。でも、普通の生活に戻れるのでしょうか?」
「そうですね。戻れるかどうかは、佐伯孝蔵との交渉次第だとは思いますが」
 羽賀さんはなんとなく遠い目をして私にそう言ってくれた。
 こうしてこの日は終わり。あとはリンケージ・セキュリティが、飯島夏樹がどのように言ってくるのか。それを待つしかなかった。
 その返事は思ったより早かった。
 ホテルでまたも私を目覚めさせてくれたのは一本の電話。羽賀さんからだ。そしてその内容を聞いて、私はベッドから飛び起きることになった。
「おはようございます。和雄さん、リンケージ・セキュリティから連絡がありましたよ」
「それで、どのような段取りになったのですか?」
 私の胸の鼓動は急に速さを増した。

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