見出し画像

コーチ物語・クライアントファイル7 愛する人へ その3

「羽賀さん、この前頼まれたあの資料の件なのですが……」
 オレと羽賀が飲食店の新規開拓事業の打ち合わせを進めているときに、由美からこの言葉。
「なんだい。この前の資料の件なら細かなところまで指示をしていたはずだが。君だったらあの程度の資料、すぐに完成させられるだろう?」
 羽賀はオレと打ち合わせをしている資料の方に目をやり、由美には視線を合わせずにそう言い放した。
「はい、一通りは完成したのですが、あれでは不十分かと。そこで、私なりに修正と資料の補充、そしてさらに枠を広げた市場調査の結果を掲載してみたのですが」
 羽賀のそのときの顔。それは「オレの言うとおりにやっていればいいんだ!」とでも言いたげな顔つきだった。
「へぇ、由美ちゃんってそんなところまでできるんだ。どれ、見せてくれよ」
 オレは羽賀の不機嫌そうな態度をよそに、由美が持ってきた資料に目を通そうとした。が、羽賀のこのときの言葉は
「そんな余計なことはしなくていい。ボクの言うとおりに資料をつくってくれるのが君の仕事だろう」
 明らかに由美に対しての不満の現れだ。自分の領域を勝手に侵された、そんな気分だったのだろう。が、由美も負けてはいない。
「いえ、私の仕事はこの営業部のバックアップです。そのためには、言われた仕事だけをこなすのではなく、私なりに分析してよりよい方向へとつなげていく。それが私の本当の仕事だと自覚しております。羽賀さんがどう思おうと、これは私なりに自信を持って、自分の仕事をやり遂げた結果です」
 あまりにも堂々とした態度でそう言い放す由美。その凛とした態度と声。営業フロアにいた全ての視線を一瞬にして集めてしまった。
 羽賀もそこまで言われたら資料に目を通さないわけにはいかなかった。黙って由美から資料を受け取り、ぱらぱらとめくる。が、めくるたびに羽賀の顔つきが変わっていくのがわかった。反感を持って眉間にしわを寄せた険しい表情から、徐々に真剣な、そして希望を持ったまなざしへと変わっていったのだ。
 一通り読み終わった後、羽賀はオレに黙って資料を渡してくれた。オレもその資料を読んで、羽賀の表情が変わっていった理由がはっきりとしたのだ。
「こ、これは……これで相手を落とせなかったらウソだな」
 オレだってバカじゃない。羽賀の陰に隠れてはいるが、そんじょそこらのセールスマンとはわけが違う。本物とそうでないものの区別くらいはつく。そのオレにそう言わせるほど、由美のつくった資料は完璧なものであった。
「畑田さん、君を誤解していた。すまなかった。これだけの資料がつくれ、しかもここまで市場についての考察ができているとは。この資料、ありがたく使わせてもらうよ」
 羽賀のその言葉に、由美はドライにこう答えた。
「いえ、どういたしまして。私は私の仕事をやり遂げただけですから」
 おそらく、心の中では「してやったり!」と小躍りしていたに違いない。が、このドライな態度は羽賀に対してのちょっとした抵抗なのだろう。
 そのとき由美が作った資料が功を奏して、オレと羽賀の飲食店新規開拓事業は短期間で怖ろしいほどの成果を上げた。このときから、「羽賀は四星商事でトップセールス」という称号をどこからともなく聞かれるようになった。しかし、その陰には由美の力があったことは否めない。
 この後、羽賀とオレ、そして由美の三人が組んで仕事をすることが多くなった。誰が決定したわけでもないのだが、この三人のチームは四星商事の中でも自然認知されたものであった。
 羽賀とオレが企画を立て、由美が資料作成や調査を行い、羽賀が中心となって客先へ足を運ぶ。オレは客先へ直接足を運ぶことよりも、いかにして次のマーケットを広げていくか、そのための実地調査などを担当することが多くなった。
 そんな三人だが、羽賀と由美の距離が接近していくのにはさほど時間がかからなかったと記憶している。気がつくと、羽賀の横には由美がいる。そんな光景があたりまえになってきたのだ。
 オレはうらやましい反面、どうせならこの二人をくっつけてしまおうという気になっていた。どう考えてもオレにとって由美は高嶺の花だ。それならば、高嶺の花にもっと幸せになってもらおう。これがオレ流のカッコつけ方なのだ。
 そのオレのたくらみを知ってか知らずか、羽賀と由美の間には仕事を超えた愛情が芽生え始めたのは明らかだった。そしてとうとう、この日を迎えた……
「ねぇ、私今の仕事をしていて、一つ疑問が湧いたのだけど。二人の意見を聞いていい?」
 順調に仕事をこなしている羽賀とオレ、そして由美の三人。あるレストランチェーンの買収の仕事をしていたときに、由美が突然こんな事を聞いてきた。
「なんだよ、あらたまって」
 オレは由美の言葉にそう答えた。羽賀は黙って由美を見ていた。
「今まで、この三人でいろんな仕事を成功させてきたわよね。そのおかげで、この四星商事もけっこうな利益を得ているのは間違いないわ。この前のミノル光学の企業買収。あれも大成功だったわよね」
「あぁ、あの仕事についてはかなり大がかりな手を回したけれど、結果的にはすべて四星商事へお金が回るようにしたからな」
 羽賀がそう答えた。
「でも、それでよかったのかしら。ミノル光学の先進技術が安い値段で買えたことには評価が高いでしょう。でも、ミノル光学の社員や社長はこれでよかったのかしら」
 由美は納得いかない顔つきをしていた。確かにミノル光学の仕事に対しては、オレも正直後味はよくなかった。
 ミノル光学は独自の技術で特許を取り、これを持ってすれば業界にセンセーションを引き起こすほどのものを持っていた。だがいかんせん資金が足りない。そこに目をつけた羽賀は、最初は商品取引をもちかけ、工場拡大を促した。
 だが取引先のはまな銀行に手を回して融資をストップさせた。資金繰りに困ったミノル工学はなんとかならないかと泣きついてきた。そこで会社の株を担保に四星ファイナスからお金を借りることを提案。しかしそれだけでは足りず、結果的に四星商事がミノル工学を傘下に収める形で株を引き取ることに。
 会社を買い取る金額はかかったが、実はこの技術を持ってすれば安いもの。おかげで四星商事は大儲け。だたし、傘下に入ったミノル工学は経営権を四星商事の関連会社、四星オプティカルに握られ、事実上社員の入れ替えを余儀なくされた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?