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コーチ物語 クライアント22「悪魔の囁き」その4

「えっ、規格が違う!?」
 翌日、私たちは大きな仕事を行うために、少し離れた街へと移動。朝早くから出かけ、そして今から看板の取付工事を行おうと思った矢先の事だった。
 いざ取り付けを行おうと思ったら、取付金具の規格がこちらが準備していたものと異なる。このままでは取付作業ができない、という事態に。先方からファックスできていた仕様書をあらためて確認すると……
「あちゃっ、ここの文字がつぶれてて品番を読み間違えたのか!」
 しまった。私が確認したのであれば、こういうのはきちんと先方に連絡しておくのに。昨日の準備の段階では三村くんに任せてしまったから。
「とにかく、大急ぎで取付金具を用意しないと。このあたりに大きなホームセンターはあるか?」
 地図で急いで調べて、少し離れたところにホームセンターを発見。一般的に使われている金具なので、そこそこのホームセンターならば置いていると思うのだが。とにかく急いで部品を調達しないと、納期までに作業が終わらない。
 取付金具はなんとか調達できたが。そのおかげでよけいな時間を食われたのとよけいな出費にもなった。結果的に、作業は予定していた夕方には終わらずに夜までかかることに。そのせいで帰り着いたのは夜中になってしまった。
 帰り道、クタクタに疲れての車の中で斉木がこんな言葉をつぶやいた。
「社長がいつもどおりにちゃんと確認してくれていれば、こんなことにはならなかったんっすけどね」
 確かにそうだ。これは私のミスでもある。三村くんのことを全面的に信頼して任せてしまったから。やはりまだ私がやらないといけないのか。
 この件については三村くんは黙ったまま。どうやら責任を感じているらしい。こんな雰囲気じゃ、彼にリーダーとして仕事を任せる、なんてことは言いづらい。人に任せる、なんて口では簡単に言えるが。実際にはそれだけのリスクを負うということになる。このことを痛感した出来事だった。
 翌日、前日の疲労を持ち越したまま出社。さすがに斉木も三村くんも疲れからなのか、口数が少ない。今回はなんとか仕事を終えることができたが、こういったミスをなくすようにするためにも、まだ自分がやらなければいけないという気持が更に強くなってしまった。
 おとといの羽賀さんの講演。これでやっと悪魔の囁きから逃れられると思ったのに。まだ自分の心が弱いのか。それとも、悪魔の囁きのほうが本当は正解なのか。考えれば考える程、わからなくなってしまう自分がいた。
「こんにちはー」
「あ、はい」
 まだ気分が乗らない午前中の時間に、突然の来客。ふとそちらを見ると……
「あ、羽賀さん」
「ども! 先日は看板ありがとうございました。良い装飾だったので、気持よく講演することができましたよ」
「いえいえ、そんな大したもんじゃありませんよ」
 謙遜はしながらも、そう言われると気持がいいものだ。だが、沈んだ気持がどこかに出ていたのだろう。羽賀さんからこんな言葉がでてきた。
「吉武さん、なにやら気分がすぐれないのですか?」
「えっ、ど、どうして?」
「吉武さんだけじゃなく、なんだか皆さんに活気が感じられないもので……」
 羽賀さんにはこの雰囲気がわかるのか。そこでつい私は昨日起きたことを口に出してしまった。
「……ということがあったんですよ。それでちょっと責任を感じていまして」
 すると羽賀さん、ぱっと顔を上げて、急に笑顔になってこんなことを言い出した。
「吉武さん、おめでとうございます」
「えっ、おめでとうって。いったい何がですか? 全然めでたくないですよ」
「いえ、これは祝福するべきことなんですよ」
「どうして?」
 このとき、私は羽賀さんにバカにされているのかと思ってしまった。だが次の羽賀さんの言葉でそうではないことがよく理解できた。
「人の仕事を任せた時、つまり自分が管理者としてワンランク上のレベルに上がろうとした時。今回のような問題は必ず起きるんです。いや、それが起きたからこそワンランク上がったといえるんですよ」
「そ、それはどうしてなんですか?」
「吉武さん、今回の出来事で三村さんは何を感じて、何を学んだと思いますか?」
「何を感じたって……そりゃ、失敗したのは自分のせいだって。昨日なんか帰りの車の中では一言もしゃべらなかったですからね」
「じゃぁ、三村さんは何を学んだでしょうね?」
「うぅん、本人からは聞いていないけど。きっとこれからは、こういう表記は必ず先方に確認をとって準備をすること。思い込みで行動しないこと。そういうことは学べたんじゃないでしょうか?」
「じゃぁ、吉武さんはそれをいつ、どうやって学びましたか?」
 その言葉で私は自分の過去のことを思い出した。まだ駆け出しだった頃、手書きの発注書の文字が読みづらくて、こちらの勝手な判断で材料を発注したことがあって。でもそれはお客様の要望のものとは異なり、大騒動したことがあった。それ以来、私は読みづらい文字や判別しづらい文字があればかならずお客さんに確認を取る癖がついていた。
「そうか、こういう失敗を経験させないと、人は成長しないのか」
「吉武さん、いいところに気づきましたね。その通りです。おそらく三村さんも次回からはこういうミスがなくなるでしょう。では吉武さんはこれから何を学びましたか?」
 私の学び。それを考えていなかったな。今思いつくこととしては……
「私がやっていること。その仕事の手順。これをしっかりと三村くんに伝えていなかったですね。こういうノウハウをしっかりと伝承していくこと。これは大事なことだと感じました」
「他にありますか?」
「うぅん、そうだな。今までは仕事が終わってちゃんとした反省会ってのをやっていなかったですね。今回はわりと大きなミスだったけど。他にも今まで軽いミスはたくさんありました。それを繰り返していたな。ちゃんと反省会をやってミスを繰り返さないような仕組みを作る。これが大事なことじゃないかな」
 今口にしたこと。これは口から先に出てきた答えだ。言いながら自分でなるほど、と思ったほどだから。
「じゃぁ、早速反省会をやってみませんか? 二十分もあればできる、簡単な方法があるのでそれを教えますよ」
「えっ、いいですか?」
「はい、どうせですから今やっちゃいましょう」
 羽賀さんの言葉で、作業している二人を呼んで休憩がてら反省会をやることになった。最初は渋々な態度を取る斉木。まだ気持が沈んでいる三村。この二人を前にして、ちゃんとした反省会なんてできるんだろうか?
「じゃぁ、A3の紙ありますか? できれば大きな紙がいいですが」
「あ、これでいいですか?」
 私はA3のコピー用紙を取り出した。
「これからやる方法はKPT、ケプトと呼ばれる方法です」
 そう言って羽賀さんはおもむろに用紙を半分にするように一本線を引き、さらにその左側のマスを上下に分割するように線を引いた。

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