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コーチ物語・クライアントファイル7 愛する人へ その6

「唐沢、ちょっと相談があるんだが……」
 珍しく羽賀の方から相談とは。一体何なんだ?
「なんだよ、改まって。オレでよけりゃ、いくらでも相談に乗ってやるぞ」
 いつもは羽賀に対して劣等感を抱いていたオレ。しかしその羽賀からこうやって相談されるってのもいい気分だな。
「いやな……実は……ゆ、由美とのことなんだが……」
「なんだよ、ケンカでもしたのか?」
「いや……そ、そうじゃなくて……なんというかな……」
「なにをぐずぐずいってんだよ。おまえと由美との間は、営業部どころかこの社内ではほぼ公認の仲だろ。さっさと結婚しちまえよ」
「あ、そ、それなんだ。実は由美とそろそろ身を固めようかと思って……」
「おいおい、おめでたいじゃないかよ。というか、やっとそこまで来たかって感じもするけどよ。でも、相談ってなんなんだよ。まさか結婚式のスピーチをやってくれとか?」
「いや、結婚式はあげない。畑田常務とはちょっとやりあっているからな」
 羽賀はちょっと前にレストランチェーンの買収の件で、急に方向転換したことが由美の父親でもある畑田常務のカンに障って以来、社内でもちょっと浮いた存在となっている。そんな羽賀に寄り添うように、パートナーとして仕事を進めているのが由美なのだ。
「でもよ、畑田常務がよく許してくれたな」
「いや、畑田常務は許してくれないんだ。それどころか、オレを転勤させて由美から引き離そうということも考えているらしい」
 なるほど。しかし、いくら相手が常務とはいえ、今までの羽賀の実績を考えたら本社がなかなか手放さないだろう。どうやらぎりぎりの線で羽賀と由美はつながっているようだ。
「だから、由美と話しをしてとにかく一緒に住もうと思っている。できることなら、籍だけでも入れておきたいと思ってね」
「おいおい、仕事となると慎重に事を運ぶおまえが、えらく大胆な行動に出たな。最近、おまえ変わったよな」
 確かに羽賀は最近変わった。ちょっと前まではやたらとクールな印象を持っていたが、今は逆。妙に笑顔が板について、しかもやたらと人なつっこい。その人なつっこさもいやらしくなく、さっぱりしている。だから、本社のお偉いさんのウケも以前に増して良くなっているのだ。反対しているのは畑田常務だけ、ということか。
「羽賀よ、おまえっていつからそんな風に変わったんだよ?」
「これがな、今オレが進めようとしている事業に深く関わっているんだ」
「おまえが進めようとしている事業って、あの『コーチング』とかいうやつのことか?」
「あぁ、今おつきあいしている桜島先生、あの方から今直接コーチングを受けているんだ。そこで由美とのことを話したら、出た回答がこれに至ったんだよ」
「なんだ、あのおっさん、結婚のアドバイスなんてのもやるのか?」
「いやいや、アドバイスはしてもらっていないよ。これはオレが出した回答なんだよ。コーチングはこうやって、コーチングを受ける側、これをクライアントって言うんだけれど、そのクライアントが自分で答えを出すようにいろいろと質問をしてくれたりするんだ」
 羽賀は妙に明るい笑顔でオレにそう言ってきた。あいつがこの明るさを得た理由は、その桜島とかいうおっさんにあるんだな。
「でもよ、オレに由美とのことを相談して、どうしようっていうんだ? さすがにオレは畑田常務を説得するなんて事はできねぇぞ」
「いや、そんな必要はないよ。相談って言ったけれど、どうしてもこの件については知っておいて欲しいと思ったからさ。相談、というよりも報告だな」
「ま、それならいいがよ。で、由美とはいつから一緒に住むんだい?」
「実は、もう半分一緒に住んでいるようなものなんだ。由美はボクのマンションから通っているんだ。休みの日だけは家に帰っているけどね」
「えぇっ、でもそんな状況を畑田常務がよく許してくれているな」
「いや、畑田常務は知らないだろう。ほら、今海外へ出張中だろ。視察中で三週間は帰ってこないからな。そこをにらんでの計画的な犯行だよ」
「でも、母親はどうなんだよ?」
「由美のお母さんには筋を通しているよ。お母さんはボクとの結婚を賛成してくれているんだ」
 なるほどね。羽賀も賢くなったもんだ。しかし、そんな羽賀と由美の幸せな日々は長くは続かなかった。そう、とうとう畑田常務が出張から帰って来る日になったのだ。オレと羽賀、そして由美は久々に三人で食事。会話の内容は、言わずとしれた畑田常務対策である。
「さて、どうするんだ? このまま黙ってるわけにはいかないだろう」
 オレは二人にそう言った。
「私は……私はこのままでもいいって思っているの。だって、純一と一緒にいることの方が私にとっては貴重なんだから」
「いや、このままじゃだめだ。やっぱりけじめはつけないと」
 羽賀は男としてけじめをつけたい、そう願っているようだ。
「だったら、どうするんだよ? 許してもらえなかったら、下手するとおまえは転勤だぞ」
「そうなったら、私は会社を辞めて純一についていくわ。そのくらいの覚悟はできているもの」
 由美は羽賀にベタ惚れだな。まったく、羽賀も男冥利に尽きるわ。
「ともかく、常務が帰ってきてから正式にあいさつに行くよ。帰ってきた週の土曜日の夜、この日がねらい目だ。由美、常務を家に引き留めておいてくれ」
「わかったわ」
「でもよ、これがうまくいかなかったらどうするんだよ?」
 オレは二人にそう聞いてみた。
「うまくいかなかったら、私は駆け落ちでもする覚悟でいるわよ」
「おいおい、駆け落ちなんて今時の言葉じゃないな。まぁいい、オレも及ばずながら協力できることがあったらやらせてもらうからな。遠慮無く言ってくれ」
 結局、オレもこの二人の片棒を担がされることになりそうだ。
 そして迎えた土曜日の夜。さすがにこの日はオレの出る幕はなさそうだ。それに、レストランチェーンの買収の仕事に遅れが生じ、羽賀と由美にかまっているどころじゃなくなった。しかし、このとき羽賀と由美のそばについてやれなかったのが、今になって後悔することになるとは。
 オレはちらっと時計を見ては、今畑田常務と羽賀がどんな話しをしているのかを想像していた。おそらくもめているだろうな。畑田常務は一筋縄じゃ行かないから。由美は逆上して、出て行く! なんて叫んでいないだろうな。本気で駆け落ちまで覚悟しているみたいだし。そんな不安が当たらないことを心の中で祈りつつ、オレは企画会議を続けていた。
 そして夜十一時を回ったときに、オレの電話が鳴った。てっきり羽賀からの電話かと思ったが、電話番号は見慣れない数字。
「はい……えぇ、私が唐沢ですが。おたくは……? え、警察? 羽賀が……ま、まさか……」
 オレは警察からの電話の声で、顔が一瞬にして真っ青になった。

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