コーチ物語・クライアントファイル6 私の役割 その9
そうやって笑顔で私の家庭料理接待は終了。最後にはカルヴィさんは私にひっそりと耳打ちしてこう言ってくれた。
「こんどはニクジャガのつくりかた、オシエてください。これからながいツキアイになりそうだから、ネ」
長いつきあい……ってことは、交渉成立って事!? カルヴィさんが社長と一緒にタクシーで去った後、私は急に力が抜けてその場に座り込んでしまった。
「おい、恵子、どうしたんだ?」
「私、役に立ったわ。私にも役に立てることがあった。私の役割を果たすことができた。弘樹さん、私、やれたのよ。ありがとう、ありがとう」
何のことか今ひとつつかめていない弘樹さん。だって、交渉がうまくいったことをまだ知らないんだから。でも、私は弘樹さんに抱きしめられながら、しばらく涙が止まらなかった。もちろん、うれし涙なのはいうまでもない。
「へぇ、これがそのときに出した肉じゃがなんだ。どぉれ、ちょっといただきまぁ〜す」
「どうぞどうぞ、ミク。あ、舞衣さんもぜひ食べて下さいね」
カルヴィさんを接待してから一週間後。私は今や自慢料理となった肉じゃがを持って羽賀さんのオフィスに来ていた。ちょうどミクがバイトに来ていたときで、舞衣さんも休憩タイム。残念ながら羽賀さんは用事があるということで外出中。とりあえず、いるメンバーで一緒に私の肉じゃがをつまみながら、事の顛末を話すことになった。
「で、カルヴィさんを接待してからどうなったのよ?」
ミクが興味深そうにして私に聞いてきた。舞衣さんの目も興味津々。
「それからがすごいのよ。弘樹さんから聞いたんだけど、実は光陽工業の技術を前々から狙っていた海外メーカーがあったんだって。そのメーカー、実はカルヴィさんに光陽工業からその技術商品を購入できないかって相談に来ていたときだったらしいの。だから話しがトントンってすすんじゃって、あっという間に契約。もともと先方からラブコールを送られていたから、光陽工業の要望は全て受け入れてくれたのよ。おかげで一週間もしないうちに手形を落とすことができたんだって」
「へぇ、ちょっとできすぎた話ね。なんだか怖いくらい」
舞衣さんはそう発言した。
「そうなの、私もそう思って羽賀さんに同じ事を伝えたのよ。そしたら、羽賀さんがこう言ってくれたの。『心の奥からそう願えば、それはちゃんと叶うんだよ』ってね。羽賀さんからそういわれると、なんだかそう思えちゃうから不思議よね」
「うんうん、それってよくわかる!」
ミクが元気にそう答えた。舞衣さんもうなずいている。私の肉じゃがをつまみながら、女三人の会話。本当はビールがあると最高なんだけどな。まだお昼だし、これから仕事もあるからこのくらいにしとかなきゃ。
そう思ったときに、舞衣さんからこんな疑問が飛び出した。
「ところでさ、羽賀さんってなんだか得体の知れない人よね。この前もはっちゃんのお店を救ってくれたし。いくら元四星商事のトップセールスだっていっても、こんなところまではできないでしょ。そもそも、羽賀さんがどうしてコーチなんて仕事をしはじめたんだろう?」
舞衣さんのこの疑問に、一同は腕を組んで考え始めた。確かに舞衣さんの言うとおり、羽賀さんは奥が深すぎる。といっても、表面上は笑顔のステキな普通の人なんだけど。
「そういえば、羽賀さんが四星商事を辞めてからコーチになるまでって何をしていたんだろう? そもそも、四星商事を辞めたのはどうしてなんだろう?」
舞衣さんは羽賀さんにとても興味をもっているようだ。よぉし、ここは一つ羽賀さんと舞衣さんをくっつけなきゃ!
「ミクは羽賀さんといろいろと話しをするんでしょ。何か知らないの?」
「う〜ん、そういわれると羽賀さんって自分の過去のことを話さないな。ま、私が一番身近な存在だから、ちゃぁんと羽賀さんの過去を探ってみせるわよ。愛する羽賀さんのことだもん。もっと知っておかなきゃね♪」
あちゃ、舞衣さんとくっつける前にミクがいたか。こりゃさすがの私も手こずりそうだぞ。
羽賀さんの謎は深まるばかり。ま、考えたって仕方がないから、とりあえず休憩タイムを終了にして仕事に戻ることに。そんな風に思っていた矢先、さらに羽賀さんの謎を深める出来事が起きた。
お店に戻るとすぐに、店の前に黒塗りの高級車が。どこかの社長か重役って感じの紳士が車から降りてきた。もちろん、その車は運転手付きである。
「花をつくってくれるかな。墓参り用の」
その男性は落ち着いた声で、私に注文してきた。
「はい、わかりました。とくにお花の種類にご希望があればお伺いしますが」
「そうだな。花のことは良くわからんが」
「どなたのお墓にお参りですか?」
「娘のな、娘の墓に。今日が命日なんだよ。生きていれば君より少し若いくらいかな」
「そうですか……では少し若い方が好むようなお花をお入れしましょう」
「あぁ、頼むよ」
私はお墓参り用のお花を作り出した。その紳士は花を一つ一つゆっくりと眺めている。
「はい、これでいかがですか」
「おぉ、なかなかいいじゃないか。ありがとう。おい、青木、お金を払っておいてくれ」
紳士は運転手にそう伝えてた。そのとき、羽賀さんが帰宅。
「ふぅ〜、今日は暑かったな。あ、吉田さん、舞衣さん、ただいま」
羽賀さんが汗を拭きながら、自転車から降りてきたのだ。そして、店に入ってあの紳士の顔を見たときに羽賀さんの動きが止まった。そしてこのときに、信じられない言葉を私たちは聞いた。
「お、おとうさん……」
このとき、一瞬時間が凍り付いた。そして、その沈黙を破ったのはあの紳士。
「まさか、こんな日にここでおまえと会うとはな。まったく、どうしてもおまえとは縁が切れないらしい。おい、青木、行くぞ!」
その紳士、羽賀さんの顔を見るなり、先ほどの顔とは全く異なる険しい顔つきで、怒ったように運転手を呼びつけ車の中へ消えていった。羽賀さんもその場に立ちすくんだまま、その紳士の動きをただ見つめていただけだった。
私はわけもわからず、その様子を見ているだけ。
しかし、羽賀さんの口から出た言葉、「おとうさん」とは一体どういう意味なの? 今はただ、羽賀さんの複雑な顔つきを見守るしか、私たちにはできることがなかった。
<クライアントファイル6 完>
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