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コーチ物語 クライアントファイル 10 迷える子羊 その2

「あ、羽賀さん、お帰りなさい!!」
「ただいまっ。あ、やっぱり来てましたね。あんなハデなバイクはあなたしかいないと思ってましたよ」
 羽賀さん、長身でスマートな男性。さりげなく笑うその顔がとても印象的な方だ。由衣さんの言うとおりだわ。
「でよ、おまえさん今日わしが来ることは伝えておったじゃろうが」
「伝えるも何も、今朝いきなり『今日そっちに行くからよろしく』ってメールだけじゃないですか。何時に来るかもわからないし、ボクだって仕事があるんですから。まったく、桜島さんは相変わらずなんだから」
「え、この人が桜島さん!」
 ミクさんはちょっと驚いた様子だった。
「いかにも、ワシが桜島じゃ」
「ってことは、羽賀さんのお師匠さん?」
「師匠ってほどの代物じゃないよ、この人は」
「おい、ワシを物扱いするんじゃない。ま、いかにもこいつにコーチングを仕込んだのはワシじゃがな」
「いや、仕込まれたのはコーチングよりも別のことの方がほとんどだったような気がしますけどね」
 羽賀さんと桜島さんといわれる老人は、どうやら師弟関係にあるらしい。けれど、羽賀さんの話す態度から見ると、師弟関係というよりは仲間に近い感覚みたい。
 いいな、年の差を超えてそんな関係がつくれるなんて。人見知りの私にはとてもできないことだわ。
「あ、ところでこちらは?」
 羽賀さんがようやく私に気付いてくれた。
「おっと、忘れてた」
 ミクさんがそう言う。あ、やっぱり忘れられてたんだ、私。
「こちら誠子さん、えっと…」
「青田誠子です」
 私は立ち上がり一礼。やっぱり存在感が薄いから、名前を覚えてもらいにくいのかな。
「そうそう、青田誠子さん。ほら、啓輔の彼女だった由衣さんの友達だって」
「あ、由衣さんの。それで今日は?」
 羽賀さんはバッグから手帳を取り出しながら、私の前に座った。あまり男性と話をしたことのない私。でも、なぜかこの人だったら大丈夫っていう感じがしてきた。
「えっと、由衣さんから羽賀さんだったらなんとかしてくれるんじゃないかということで、紹介してもらったんです」
「そうか…桜島さん」
「ん、わかっとる。お嬢ちゃん、またあとでゆっくり会おうな。おい、そっちのお嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんじゃないわよ、ミクっていう名前があるんだから」
「そうかそうか、じゃぁミクちゃん」
「ミクちゃんじゃなくてミク!」
「まったくせわしいお嬢ちゃんじゃ。んじゃぁミク、ワシにちょっとつきあえ」
「え、どうしてよ?」
「ミク、桜島さんにこのあたりを案内してあげてくれるかな」
 羽賀さんはミクさんに桜島さんの案内を頼んでいるけど、急にどうしてなんだろう?
「ミクよ、外でチョコレートパフェでもおごってあげるからつきあってくれんか」
「ま、そう言うなら仕方ないな」
 ミクさんってわりと現金な人なのね。でもその軽い性格ってうらやましいな。そしてミクさんと桜島さんは外に出かけていった。
「お騒がせしてごめんね。さて、誠子さんは由衣さんにどんな相談をしたのかな?」
 羽賀さんは体制をあらためて、私にそう尋ねてきた。
「えぇ、私って見たとおりちょっと暗いんです。そのせいで、人を傷つける事が多いみたいで」
「人を傷つけるって、どういう事かな?」
「はい、せっかく周りの人が私を誘ってくれても、どうしてもその誘いに乗れなくて。なんだかにぎやかなところとか行きたくないんです」
「うん、それで」
「私が断ると、相手は嫌な顔をするんですよ。せっかく誘ったのにって。そうなると、相手が嫌な思いをするでしょう。それが気になって…。そう思うと、人と話ができないんです。会話が続かないって言うか。そのせいでちょっとうつ病になっちゃって。病院には何回も通って薬を出してもらったんですけど、ぜんぜんよくならなくて」
 そこまで話したら、自分の言葉にまた落ち込む自分がいた。やっぱり私ってダメな人間だわ。そう思うと、顔を上げることができなかった。
 しばらく沈黙が続いた。羽賀さんもきっと私のそんな性格にあきれているんだろうな。そう思ってそぉっと顔を上げてみた。すると、にっこりと微笑んで私を見つめている羽賀さんがそこにいた。
「やっと顔を上げてくれたね」
 私はその言葉にビックリした。ひょっとして、私が顔を上げるのを待っていたのかしら…。
「誠子さん、前髪をちょっと上げてみてもらえる」
 え、どういうこと。羽賀さんの言っている意味がよくわからないまま、私は言われたとおり前髪を上げてみた。
「あ、思った通りだ。ボクね、誠子さんは前髪をちょっと上げた方がとてもチャーミングだと思ったんだ」
 そう言って羽賀さんは、どこから取り出したのか手鏡を私の方に向けた。私は思わず鏡から目をそらしてしまった。なぜなら私は自分の顔を見るのが嫌い。自分が嫌いだから。
「誠子さん、しっかり鏡を見て!」
 羽賀さんは力強い言葉で私にそう言った。私はおそるおそる、鏡に映った自分の顔をのぞき込んだ。
「え、うそっ」
 私は思わず驚いてしまった。今までこんな私を見たことがなかった。鏡に映った私は、今まで見たことのない私。
「ね、そう思わない」
 羽賀さんはにっこりとして私に微笑んだ。その微笑みにつられて、私も思わずにっこり。
「ほら、もう一度そのまま鏡を見てごらん。さっきよりもさらにステキな誠子さんがそこにいるから」
 羽賀さんの言われたとおり、もう一度私は鏡をのぞき込んだ。確かに、そこには自分でもビックリするくらいのステキな自分が。
「さて、もう一度話を聞かせてくれるかな。誠子さんの話、ゆっくりと聞きたいな。あの二人なら当分帰ってこないから、何でもボクに話していいよ」
 あ、なるほど。そのためにミクさんと桜島さんを外に。私は羽賀さんに安心感を覚えて、何でも話をする気になった。
「私…わたしはどうしたらいいのですか? どうしたらうつ病を治すことができるのですか? お医者さんに通っても、もうこれ以上どうしようもないって見放されたんです。もう死にたくて死にたくて…でも死ぬ勇気もなくて。これ以上生きていくのがつらいんです。これからどうやって生きていけばいいの、私は…」
 話し出したら、急に涙が。
「そうか…つらかったんだね」
 ここで羽賀さんは言葉が止まってしまった。何か考え込んでいるようだ。やっぱり、私の悩みは誰も解決できないのかしら。羽賀さんがせっかく私に笑顔をくれたのに、やっぱりどうしようもないのか
しら。
「誠子さん…これから言うことを冷静に聞いてね。ボクはね、カウンセラーでも精神科医でもないんだ。だからうつ病の人を治療することはできない」
 あ、やっぱり羽賀さんでもだめなんだ…。私の希望の一筋は、ここで絶ち消えてしまった。
「でもね、誠子さんが誠子さんらしく生きていくためのお手伝いはできるよ」
 え、それってどういうこと?
「ボクはね、コーチングを行うコーチ。さっきも言ったとおりカウンセラーでも精神科医でもないから、誠子さんのうつ病を治すことはできない。でも、誠子さんの魅力を引き出すお手伝いならできるかもしれない。さっきみたいにね」
 羽賀さんのこの言葉で、私は肩の力がトンっと抜け落ちた。この人ならなんとかしてくれるかもしれない。そう思ったら、自然に涙がこぼれ落ちてきた。

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