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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第五章 過去、そして未来 その5

 ドアの外が妙に騒がしい。どうやら部屋は囲まれたみたいだ。
「陰に隠れてろ」
 ジンは指をポキポキ鳴らして、ファイティングポーズを取る。ボクはジンの言うとおり、風呂場の陰に隠れて、しかし部屋の様子が見えるところでその時を待った。
 ドアを開く音がガチャガチャする。外から鍵を開けているようだ。そしてドアがバンっと開く。ジンは低い姿勢で待ち構える。が、ドアが開いただけで何も起きない。一体どうしたんだ?
 ボクはそぉっとドアの方を覗き見る。だが何も起きた様子はない。ジンも微動だにしない。一体何が起きているんだ?
ドサッ
 そう思った瞬間、ジンはファイティングポーズをとったまま床に倒れ落ちた。おい、どうしたんだ?
 ボクは慌ててジンのところに駆け寄る。
「おい、ジン、どうしたんだ? おい、おいっ!」
 人の体を揺さぶるが反応がない。死んでしまったのか? いや、どうやら痙攣しているようだ。
「下手に揺らさんほうがいいぞ」
 ドアの外からそう声がする。その声は………
「大山専務………」
 リンケージ・セキュリティの大山専務が三人の護衛を連れて立っていた。その護衛の一人が銃のようなものを構えている。
「おいっ、まさか殺したんじゃないだろうな?」
「はっ、はっ、はっ。まさか。我社は人殺しの会社じゃないよ。こいつは我社で開発した、猛獣用の麻酔銃だよ。なにしろ相手は大変凶暴な相手だからね。こういった手でも使わないとなかなか大変そうだったからね」
 それでジンは痙攣しているのか。
「さて、蒼樹くん。これで我社の力がわかっただろう。君たちがいくら逆らってみても、私たちの手のひらで踊らされているんだよ」
 じわりじわりと迫られている。万事休す。もう逃げようがない。
「さて、君が望んでいた社長への対面だが。この事態だからもうわかっているよな」
 つまり、望みは断ち切られたということか。さらにボクは下手をすると、海の底にコンクリートの下駄を履いて沈んでしまう恐れもある。
 もうこれまでか。そう思った瞬間、体から力が抜けてきた。ボクはその場にへたり込んでしまった。
「さて、蒼樹くんにはもう少し君に合ったところに移動してもらおうか。いつまでも贅沢はさせられないからな」
 ボクは護衛の二人にうでを抱えられて、目隠しをされ、引きずられるように部屋を出た。そこからはよく覚えていない。たぶん、ホテルの裏口から出て車に乗せられたのだろう。
 どのくらい車に乗せられていたかもわからない。
「ほら、降りろ」
 そう言われて腕を乱暴につかまれ、そして椅子に座らされた。
「ほら、ここに足を入れろ」
 何か入れ物に足を入れられる。その後、冷たくてネチャネチャしたものがボクの足の周りを覆い始める。どうやら本当にボクをコンクリート詰めにするようだ。
 蒼樹雄大の人生もこれで最後か。ちょっと無茶しすぎたかな。でも、ボクが本当に追い求めたいものを求めてきた。そんな人生だったからまぁいいかな。
 このとき、外のほうが少し騒がしくなった。
「なんだ、てめぇ」
 そんな声がする。だがその声はそれ以上しなくなった。逆に低いダミ声が耳に入ってくる。
「で、どこにいるんだ?」
 その声の主はどうやらボクを探しているようだ。
「いたいた、いやがった。ったく、羽賀のお願いだから来てやったけどよ。オレを面倒なことに首を突っ込ませるんじゃねぇっ」
 その声の主はボクの目隠しを取ってくれた。そして救世主でもあるその声の主を見る。
 そこにはブルドッグがいた。
「おい、なに固まってんだよ。ほら、さっさと足を出せよっ」
 そういうと、ブルドッグはボクの足を抱えて、容器から抜けだしてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「礼はいい。ったく、羽賀に感謝するんだぞ」
「羽賀さんが知らせてくれたんですか? あなたは一体?」
「オレか。オレはこういうものだ」
 そう言ってブルドッグは黒い手帖をボクに見せた。
「け、警察!?」
「今回は公務じゃねぇ。羽賀にお世話になってるからその恩返しだ。あいつがおめぇを助けてくれって連絡してきたからな」
 羽賀さん、ボクのことをちゃんと見ていてくれてたんだ。でも、発信機と盗聴器はすり替えられていたんじゃないのか?
「おい、羽賀ぁ。こんなんでいいんだろっ。今日は久々の非番なんだから、ちょっとは休ませろよ」
 ブルドッグの警察官は倉庫の外に向かって大声で叫ぶ。すると倉庫の入り口からゆっくりとこちらに向かって歩いてくる人影が見える。
「蒼樹さん、無事でよかった」
 その声は間違いなく羽賀さんだ。羽賀さんは自転車のレーサーの格好で姿を現した。
「羽賀さん、どうやってボクを?」
「盗聴器がいつの間にかすり替えられていたのはわかったんだよ。だからボクは自転車でホテルのまわりを監視していたんだ。そうしたらリンケージ・セキュリティの専務の姿が見えてね。その後は車を監視していたら、ホテルの裏口から連れられる蒼樹さんの姿が見えたから、自転車で追ってきたんだよ」
 自転車で追ってきたって、相手は車だろう。それに追いつくなんて、羽賀さんはなんて脚力をしているんだ。
「ったく、クライアントが監禁されそうだから助けるのを手伝ってくれって電話してきやがってよ。警察を動かしたんだから、もう少し詳しい事情は聞かせてもらうぞ」
 ブルドッグの警察官がボクにそう言う。こればかりは仕方ないな。
「竹井警部、その前にちょっと確認したいことがあるんですが。時間もらってもいいですか?」
 この警察官、竹井警部っていうのか。
「ったく、国家権力使ってこの場を抑えてんだから、早くしろよ」
 竹井警部は羽賀さんに弱いのかな。羽賀さんはボクに向かって、父の手記の手帳を開いてみせた。
「この文章。この意味はわかるかな?」
 羽賀さんが指さしたところ。そこにはこんなことが書いてあった。
「右に行くも左に行くも地獄。ならば心はここにあらず。故郷に置くべし」
 確かにそういった文があったのは覚えている。が、意味はあまり深く考えていなかった。
「この文章は、手記の最後の方にあったものです。この文章の後は、実際に飛行機に乗り込んで爆破するまでの計画が書かれています。が、その中には佐伯孝蔵の名前はありません。これ以降はどちらかといえば無機質なことしか書かれていません」
 確かにそう感じる。
「この文以降は、まるで魂がどこかに抜かれてしまった感じがします。蒼樹さん、何か思い当たること、感じることはありませんか?」
 思い当たることといっても、十五年前の事故の頃、父は仕事が忙しいという理由で家には帰って来なかったからな。何も思い出せるものはない。
「もう一つ確認します。お父さんは十五年前の事故で亡くなったと言いましたが、それは間違い無いですか?」
「間違いないかと言われると、ちょっとあいまいかもしれません。なぜなら、父の遺骨が戻ってきたわけじゃないし。そもそも、父は別人になりきってあの飛行機に乗り込んだのですから。あの事故以来、父は家にも戻ってきていないし。でも、この手記からは間違いなく父が実行犯だと言えると思うのですが」
「なるほどね。ちなみにお父さんの故郷はどこですか?」
「父の故郷ですか? えっと、確か長野の方だったと記憶していますが」
「長野、ですね。わかりました。竹井警部、終わりましたよ」
「おぉっ。じゃぁさっさと帰るぞ」
 羽賀さんは一体何を確認したかったのだろうか。確かに羽賀さんの言うとおり、あの意味のよくわからない文章の後からは父の手記は日記のようなものから計画のようなものに変わっている。心ここにあらず、故郷に置くべし。うぅん、ボクにはよくわからない。
 気になりながらも、ボクはコンクリートが薄く固まった足を気にしながら竹井警部の車に乗せてもらい帰路についた。

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