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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第六章 決断した男 その6

「飯島夏樹。三十八歳、男性」
「若いな」
 私が最初に抱いた感想だ。三十八歳で実質リンケージ・セキュリティのトップに君臨しているようなものだ。
 私の場合、秘書長に就いたのは十八年前。四十二歳のときだった。当時は秘書長とはいっても、いわゆる秘書室を束ねるだけの存在だったのだが。私の台から徐々に佐伯孝蔵のスケジュールを完全管理する体制に変化していき、最後はむしろ佐伯孝蔵を隔離するような形に整えていった。
「こいつは学歴がすごいぞ。東大卒のあと、ハーバード大学へ留学。経済や経営のノウハウを学び、MBAもその頃に取得している。そして帰国後は国会議員の秘書を務めている」
「議員秘書か。どこの先生だ?」
「聞いて驚け。榊先生だ」
「榊って、首相を務めたあの榊議員か!?」
「あぁ、歴代首相の中でも人気が高いあの先生だよ。短命な日本の首相の中でも、長くその座にいた人間だからな」
「と同時に、リンケージ・セキュリティを一番必要としていた総理でもある。そうですよね」
「羽賀さんの言うとおりだ。そしてこの飯島夏樹は榊首相の政策秘書を務めている。いや、飯島夏樹がいたからこそ、榊は長いことその座に居続けることができた、とも言われている」
「その飯島夏樹がどうして佐伯孝蔵のところに?」
 ひろしさんの疑問については、私が答えた。
「佐伯孝蔵は人のものを欲しがりますからね。おそらく、榊首相がその座を降りたときに有能な飯島夏樹を譲り受けたのでしょう。いや、奪い取ったといったほうがいいかもしれない。おそらく榊議員は佐伯孝蔵には頭があがらないはずですからね」
「飯島夏樹についてわかっているのはそこまでだ。それ以上の経歴については残念ながら見つからねぇ」
「そこまでわかれば十分ですよ。じゃぁ彼に直接交渉に行きましょうか」
「直接交渉って、どうやって?」
 羽賀さんの言葉に私は驚いた。どうやったらそんなつながりを持つことができるのだ?
 だが羽賀さんはこともなげにこう言った。
「もちろん、正面からですよ」
 いたずらっぽく笑う羽賀さんが妙に印象的であった。
「ここを訪れるのも十五年ぶりだな。しかし、十五年前とはまた違った雰囲気に変わっていますよ」
 今私が立っているのは、リンケージ・セキュリティ本社ビル前。隣には羽賀さんがいる。
 この十五年でリンケージ・セキュリティはよほど大きな力を得たのだろう。本社ビルが大きく改装され、その力を誇示しているようにも思えた。
「さ、行きますよ」
 羽賀さんは堂々と本社ビルへと足を運び、正面にいる受付嬢のところへと向かった。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは、はじめまして。秘書長の飯島様にお会いしたいのですが」
「秘書長の飯島ですか。失礼ですがアポイントは?」
「いえ、とっていません」
「でしたら、ちょっとおつなぎできかねますが」
「大丈夫です。羽賀と蒼樹が来た、とお伝え願えれば」
「羽賀様と蒼樹様、ですか?」
「はい、お願いします」
 受付嬢は今ひとつ納得できない様子で電話を繋ぎ始めた。それからものの数秒後にその結論が出た。
「羽賀様、蒼樹様、秘書長は今会議でお会いできないとのことなのですが。後日あらためてであればお会いできるとのことです」
 やはり突然伺っても、すぐには会えないか。仕方ない。私はそう思って諦めようとした。が、羽賀さんは意外な行動に出た。
「いえ、ぜひ今日、いや、今すぐお会いしたいとお伝え下さい」
「えっ、今すぐ、ですか?」
「はい。こちらも重要な件でお伺いしていますので」
「は、はぁ」
 受付嬢は困惑した態度で再び電話をつなぐ。羽賀さんは堂々とした態度で受付嬢の返事を待っている。どうして羽賀さんはそんなに急いでいるのだろう?
「おまたせしました。五分後にお会いするそうです。十五階のフロアの応接室にお上がりください」
「ありがとう。渡辺香さん、ですね。なかなか優秀な受付ですよ。ありがとう」
 羽賀さんはにこやかに受付嬢の名札の名前を呼んでお礼を言う。そのおかげか、受付嬢はさっきまでの困惑した表情から笑顔へと変化した。
「さて、いよいよです。和雄さん、心の準備はOKですか?」
「はい。でもどうして無理だと言われたのをゴリ押ししたのですか?」
「ははは、簡単なことですよ。それは無理じゃないからです」
「無理じゃないって、どうしてわかるんですか?」
「勘、と言ったら?」
「勘、ですか?」
 いくら勘でも、かなり無謀ではないだろうか。だが羽賀さんはこう答えてくれた。
「勘、といってもまったくの当てずっぽうじゃないんです。受付嬢の渡辺さん、彼女の表情を見ていればわかりましたよ」
「どんな表情なのですか?」
「私は今回、あえて困った客を演じました。当然受付嬢は困りますよね。そういう場合、誰に判断を委ねると思いますか?」
「そりゃ、当然上の人とか面会する本人、今回であれば飯島夏樹でしょうね」
「その通り。そこで明確な回答が出されたらどんな顔をすると思いますか?」
「そうだなぁ、自分の判断じゃなく上の判断がくだされたのだから、助かったって感じの顔かな」
「でしょ。でも受付嬢は困惑した顔のままだったんですよ。おそらくは『適当な理由でも言って追い返せ』とでも言われたのでしょう。だから………」
「だから、羽賀さんはあの受付嬢の答えは嘘だと判断したのですね」
「えぇ、だからもう少しゴリ押ししたんです。そもそも、飯島夏樹がボクたちの訪問を拒む理由はない。おそらくむこうも私たちので出方を試したんじゃないかな。彼はそのくらい頭の良い人のはずです」
 そこまで読んでいるのか。私はむしろ羽賀さんの頭の良さに、そしてその観察力に感心した。この人が周りから信頼を得ているはずだ。
 エレベーターのドアが開くと、そこには一人の女声が待ち受けていた。
「羽賀様と蒼樹様ですね。ご案内いたします」
 どうやら秘書室の人間らしい。応対がしっかりしている。そして通されたのは特別応接と書かれた部屋。中に入ると、佐伯孝蔵の力を誇示するような立派な絵画や置物が置かれている。ここは佐伯孝蔵のために作られた部屋のようだな。
「こちらでお待ちください」
 そう言うと案内の女性は一度部屋を出ていった。それと入れ替わりで別の男性がお茶を持ってきた。めずらしいな、男性が持ってくるのは。
「どうぞ」
 丁寧な手つきでお茶を並べる。私はどうも、と言ってペコリと頭を下げる。だが、羽賀さんはその男性をじっと見つめる。
「それではしばらくお待ちください」
 その男性が部屋を出ていこうとしたとき、羽賀さんが突然こんなことを言い出した。
「待たなくてもいいんじゃないですか。飯島夏樹さん」
 えっ、どういうことだ?
「はっはっはっ。いやいや、バレていましたか。さすがは噂の羽賀さんだ。よく私だってわかりましたね」
「いえいえ、そんな巧妙なことを仕掛けてくるだなんて。ボクも思いもしなかったですよ」
「その割には、私が仕掛けたトラップを二つもくぐり抜けるとは。この二つをあっさりと見破ったのは羽賀さん、あなたが初めてですよ」
 そう言ってニヤリと笑う飯島夏樹。羽賀さんも同様にニヤリと笑い返す。どうやら何か二人とも共通するものを持っているようだ。
「さて、今回のあなた方の要望をお聞きしましょう。まぁ聞かなくてもわかってはいますがね」
 飯島夏樹は私達と対峙する形でソファに腰掛けた。どうやら彼は今まで多くの人間と会い、そして多くの体験を積んできたようだ。堂々とした態度とその言葉を聞けば、そのくらいのことは私にも感じられる。
 それ以上に恐ろしいのは羽賀さんだ。その飯島夏樹の仕掛けたトラップをあっさりと見破るのだから。私はただ、この二人がこれからどのような会話を展開していくのかを傍から見ているしかないと感じてしまった。

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