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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第七章 日本を動かすもの その4

「飯島よ、どうしたのじゃ?」
 人工知能の佐伯様がそう私に質問してきた。誰だって今の状況を見ればそう聞きたくなるだろう。私は一人で敗北感に追われているのだから。
「羽賀さん、一体どういうことなんですか?」
 蒼樹も私のこの態度がどうしてなのか理解できていないようだ。ふふっ、凡人にはこの苦悩はわかるまい。
「飯島さん、今ご自分で負けを認めましたね」
「あぁ、負けだ。まんまとあんたたちにやられたよ」
 半ばやけになってそう答える。
「わからん、わしには理解できん」
 人工知能は所詮人工知能でしかないのか。それとも今本当に佐伯様が目の前にいてもそう思うのか。
 そうか、これが私と佐伯様の違いなのか。
 またあらためてそう思わされた。
「ボクから状況を説明してもよろしいのですか?」
「あぁ、かまわんよ。今更恥もクソもないからな」
「では説明しますね」
 私はぼーっと羽賀コーチと蒼樹、そして人工知能の端末を眺めている。所詮私は私だったということか。佐伯様にはなりきれなかったのか。そんな思いばかりが頭を巡らせながら、羽賀コーチの言葉を耳にする。
「まず今回、飯島さんにボクはこう伝えました。飯島さんと人工知能の佐伯孝蔵、この二つの意見が食い違ったときにはどうするのかと。そして飯島さんは答えました。そんなことはありえない、と」
「確かにそう答えました。でも今は違う答えをしましたよね。まぁ質問が『あなたは何者ですか?』ですから、当然そうなるでしょう」
「そう、当然そうなる、というのが一般的な考え方です。だって、それぞれに対して質問しているのですから。けれど飯島さんは自分のことを簡潔に述べただけです。それに対して人工知能の佐伯孝蔵は………」
「やたらと答えが長かったですよ。確かに佐伯孝蔵は自分のことをしゃべりだすと話が長くなるんですよね。私はそれは知っていましたから、今回も覚悟をして聞いていました」
「そう、ここで違いが生じました。内容が違うのはどうでもいいんです。肝心なのはそこで話すときの考え方です」
「考え方?」
 蒼樹はまだわかっていないようだ。なんだか黙って聞いているのもばからしくなってきた。
「それは私が自分で説明しよう」
 力が抜けていた身体を起こし、羽賀コーチと蒼樹、そして人工知能の端末をそれぞれ睨んだ。
「では飯島さん、お願いします」
 羽賀コーチは憎たらしいほどのにこやかな顔で私の発言を促した。
「私は自分のことを話すときに、簡潔に話をした。これは昔からの私のクセでもあるかな。頭の中で話すことを整理し、必要最小限の発言にして口にする。そのおかげで、政策秘書時代に作成した榊首相の演説原稿も短くてわかりやすいと評価をいただいたものだ」
 ふと昔のことを思い出して、苦笑いした。
「けれど、佐伯様は蒼樹が言ったとおり話が長い。自分の思ったことをそのまま口にするタイプで、とにかく思いつきで話しをする。人工知能は優秀すぎて、そんなところまで似せてしまったからな」
 そのプログラミング指示を出したのは私。他の人間と話すときに、できるだけ佐伯様の話し方に似せるための工夫だ。あえてあいまいにするところを作った、といったほうがいいだろう。
「私が負けだと認めたのはここだ。私は佐伯様と同じような思考パターンを持っていないことを今回あらためて認識させられたよ」
「なるほど、そういうことだったのか………でも、だからといって飯島さんが劣っているというわけではないのでは?」
 蒼樹のその言葉に、私は目をパッと開いた。
「劣っているわけではない、というのはどういう意味かな?」
「だってそうじゃないですか。今までは人工知能とはいえ、佐伯孝蔵と同じ答えを出していたのでしょう。そのプロセスはともかく、結論が同じなのだから何の問題もなんじゃないかと思って」
「しかし、現に今私は佐伯様とは違う答えを出した。これでは意味がないんだ!」
ドンッ
 床を拳で叩く。その痛みは私にとっては自らを悔いるための痛みである。
「そう、飯島さん。あなたは佐伯孝蔵とは違う。いえ、違っていいんです」
「何っ、どういうことだ?」
 羽賀コーチの言葉。その意味が今ひとつつかめない。どういう意味なのだ?
「飯島さん、あなたは佐伯孝蔵の後継者として、佐伯孝蔵と同じになろうとしすぎたんですよ。それでは飯島夏樹という人物の良さがどこかへ行ってしまう。違いますか?」
「ふん、佐伯様は私に後継者になれとおっしゃった。自分と同じ考えを持てと言って、私に全てを託した。同じになろうと思って何が悪い?」
「何が悪いのか。そこは私にはわかりません。あなたがいいと思えばそれでいいでしょう。だが、人は人のコピーには成り得ないんですよ」
「成り得なくはない。私は現にそうなろうとしていた」
「けれどなれなかった。違いますか?」
 そう言われると、反論のしようがなかった。そのことが先ほど証明されたばかりなのだから。
「飯島さん、無理をしなくてもいいんです」
「無理? 無理なんかしていやしない」
「本当にそうですか? 私には無理をしているように見えます。なぜなら、今あなたは自分の感情を表に出している。けれどそれまでのあなたは感情を全く表に出さず、まるでコンピュータのように的確な答えだけを求めていた。そうではないですか?」
「そ、それは………」
 羽賀コーチにそう言われて、何も答えることができない。
「今、自分の感情を表にだしてみて、どんな気持ちですか?」
「ふん、胸くそ悪い」
 思わずそう答えた。
「教えてくれんか。つまりわしは後継者育成に失敗した。そういうことなのか?」
 人工知能の佐伯孝蔵がそう質問してきた。私はヤケになってこう答える。
「あぁ、失敗、失敗だよ。私はあんたにはなれなかった。佐伯孝蔵になりきれなかった。だからもう、私なんてここにいる意味はないんだよ」
「なるほど、ここにいる意味はない、か」
 人工知能の佐伯孝蔵はそう言って沈黙してしまった。
 それに対して羽賀コーチがこんなことを言い出した。
「飯島さん、今ようやく自分らしさを取り戻しましたね。おそらく本来の飯島夏樹は、冷静沈着でものごとの先を呼んで短い言葉で答えを出すという理論型。その反面、自分の立てた理論が崩れると、もろくなってしまう。違いますか?」
「そうだな、確かに私は理論派の人間だと自分でも思う。だが、理論が崩れるともろくなるというのは今初めて知ったな。そうか、私にもそんな性格が残っていたのか。ふふふっ」
 なんだか急におかしくなってきた。今の今まで、私はコンピュータのように正確無比な人間だと思っていたのに。こんなにも感情を顕にすることがあるんだ。
 そういえば学生時代に似たようなことがあったな。
 ハーバード大学に留学をしていた頃、むこうの同級生と口論になった。私は自分の理論が完璧だと思っていた。いや、実際に完璧だった。
 だが完璧すぎて周りの同級生に理解を求められなかったのだ。その結果、周りは相手の同級生の味方について、私は立場的に不利になった。
 そのとき、私は私が崩壊した。
「そうか、そういうのであればそれでいいだろう。だがきっといつか後悔させてやるからなっ」
 論争に敗れて最後に言ったセリフがこれだった。その後、私は必死になって勉強を続け、トップの成績で卒業。同級生の鼻をあかせてやったつもりだった。だが同級生はそんなこと気にもとめなかった。卒業式の時にやたらとにこやかに喜び合う姿だけが目についた。
 そこでもまた、敗北感を感じたものだ。自分の頑張りがどうして認めてもらえなかったのか。そこが理解できなかった。
 だからこそ、さらに完璧な人間になろうと思った。ミス一つない、誰からも賞賛される人間になろう。そのときにそう誓った。それが今の私を作ったといってもいいだろう。
 それ以来、私は人前で、いや一人でいても感情を表に出すことはなかった。考えてみれば、涙ひとつこぼしたことがない気がする。
 私は完璧なマシンだ。そう、人工知能の佐伯孝蔵と同じく、考え方は常に論理的で最上の結果が生み出されるためにしか頭を働かせなかった。
 それこそが私であると自分の中では確信していたのに。ここにきて目の前の羽賀コーチにもろくも崩されてしまった。

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