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コーチ物語 クライアントファイル15「弟子入り志願」その7

「はい、お茶をどうぞ」
「いやぁ、舞衣さんのお茶はいつ飲んでも最高っ! うまいっ」
 家主のいない羽賀さんの事務所。ボクと唐沢さんと堀さんはなぜかそこのソファに座っている。そして目の前には舞衣さんが入れてくれた特上のお茶がある。
 羽賀さんとミクがいないのはわかっていた。だから唐沢さん、すぐにお花屋さんの舞衣さんに事情を話し、鍵を開けてもらった。唐沢さんはさらにずうずうしく、舞衣さんにお茶を入れてもらうように要求。舞衣さんもそれにあっさりと了承し、今ここにお茶があるというわけだ。
「でさぁ、そういう理由で佐藤くんの実家が困ってるわけよ。舞衣さんだったらどうする?」
 ボクが先ほど二人に話したことを舞衣さんに説明。すると舞衣さん、うーんとうなって、ポツリとこう漏らした。
「お父さんの本心ってどこにあるのかなぁ。本当は帰ってきて欲しいと思うのよ。でも子どもには人生を安易に考えて欲しくない。それに本当にやりたいことをやって欲しい。そう願っているのもわかるのよねぇ」
 舞衣さんの言うとおりだ。ボクも親だったら同じように考えるだろう。だからこそ今こうやって悩んでいるのだ。
「ここはまず事実を確認しましょう。佐藤くん、だったわね。今から私がいろいろと質問をするから、そのことについて正直に答えてちょうだい」
 ファシリテーターをやっている堀さんが突然立ち上がってそう言った。一体何が始まるのだろう?
「まぁ見ておけ。あの人の手にかかったら、お前さんの問題なんてあっという間に整理できちゃうからな」
 唐沢さんが小声でボクにそう言う。
「じゃぁ、まず佐藤くん自身について聞くね。田舎を出てからどのくらい経つの?」
「えっと、もう六年くらい経ちます」
「六年か。その間に実家に帰省したことは?」
「親戚のおじさんが亡くなった時と、いとこの結婚式、それと同級生の結婚式のとき、そのくらいですかね」
「ってことは三回ね。最後に帰ったのは?」
「同級生の結婚式の時だから、二年近く前になります」
「二年近く前か」
 こうして堀さんはボクが答えたことを手短に要約し、ホワイトボードに記載して行く。それからもいくつか質問が続いた。でもその質問がこの後どうつながるのだろうか?
「さて、佐藤くんについての現状ってのがこれでだいたいつかめたわね。佐藤くん、これを客観的に見て、自分はどんな人間だと思う?」
「客観的に?」
「そう。わかりやすく言えば、どこかの誰かがここに並べられているような生活をしている。さて、そんな人を見てあなたはどう思うかってこと。仮にこの人が佐藤くんの友達だったら、どう感じる?」
 堀さんはホワイトボードをこぶしでコツコツ叩きながらそう言った。
 今並べられているのは自分のこと。しかしこれが自分の友達だったら。ハッキリ言って……
「甘えてますね。自分のやりたい事だけをやって、自分を育ててくれた両親のことをまったく考えていない。なんて親不孝なやつだと思います」
 このセリフ、自分に言っていることは百も承知だ。
「だったらそんな彼に、あなただったらどうアドバイスするかな?」
「はい。コーチングの勉強は後でもできます。しかし両親は待ってはくれません。今は自分のやりたことをガマンしてでも両親の元へ帰る方がいいとアドバイスします」
 そうだよ。帰らなきゃいけないんだ。このままじゃ親不孝な男に成り下がってしまう。
「まずはこれが佐藤くん側から見た事実ね。じゃぁ次に行きましょう」
 次にって、もう結論が出たんじゃないのか?
「次はお父さんとお母さんについて教えてちょうだい。まずはお父さんについて。いつ頃から農業をやっていたか知ってる?」
「えっと……昔聞いたことがあります。オヤジは最初サラリーマンだったって。でも農家の娘である母と知りあって、その跡を継ぐために農業に転身したんだって」
「ってことは、今の農地はお母さんのものだったってこと?」
「はい。でも家は別だったんです。母の旧家もかなり古くて。今はもう取り壊してなくなってます」
「なるほどね。なんとなく見えてきたな」
 見えてきた。何がだろうか? ボクにはさっぱりわからない。
 そのあと父と母についていくつか質問が続いた。さすがにわからないこともあったが、あらためて並べられたものを見ると、父の苦労が伝わってくる。
「今度はどう。これを見て。佐藤くんが自分の父親だったら。子どもに何を伝えたいと思うかな?」
「はい、わかりました。父は母と結婚し、農業を継ぐためにいろいろなことをあきらめてきたんだなって。だからこそ、自分の子どもにはやりたいことをやらせたい。この先、農業の未来は明るいとは言えないですから。子どもにわざわざそんな苦労を負わせたくない。そう思います」
「私も同じことを思ったわ。さて、ここからが問題よね……」
「あの……私、そろそろお店に戻らなきゃいけないから失礼するけど。その前に一つ気づいたことがあるの。どうしてこの二つが相反する問題になるんだろうかって。どちらも満足する方法ってあるんじゃないかな。もしよかったらそれを探ってみて欲しいな。じゃぁ、お店に戻ります」
 舞衣さんはそう言って事務所を去っていった。
「さすが舞衣さんね。私と同じこと考えていたみたい」
「だなぁ。羽賀が惚れ込むだけのことはあるわ」
 三人とも、これが相反する問題には見えていないのか? そう感じているのはボクだけなのか?
 でも、今からやろうとしているコーチングの世界で一人前にならないと実家には帰ることができない。しかし今実家に帰らないと後悔することになる。ボクはどうすればいいんだ?
「ただいまー。あれっ、なんでみんながここにいるの?」
 そのタイミングで羽賀さんが登場。もうそんな時間になるんだ。
「おっ、ちょうどいい時に帰ってきた。あとは羽賀に任せるとするか」
「おい、唐沢。なんなんだよ? ボクに任せるって何をだ?」
「詳しくはこいつに聞いてくれ」
 唐沢さんはボクの方をチラッと見てそう羽賀さんに伝えた。とりあえず今起きていることを羽賀さんに伝えなきゃ。そう思って今朝の電話のことから今に到るまでの経緯を一通り伝えた。
「なるほどねぇ。それでここまで事態が整理できたというわけか」
「えぇ。このまま私が最後までやってもいいけど、やっぱここは佐藤くんの師匠である羽賀くんに任せるのが筋よね」
 ボクとしては願ってもない。それに、さっき三人が言っていた相反する問題ではないというところ。ここの謎が知りたい。
「羽賀さん、ボクにコーチングをお願いします」
「じゃぁ一つだけ約束してくれるかな?」
「はい、どういったことでしょうか?」
「今回、ボクのコーチングで出した結論。それに対しては必ず行動に起こすこと。それだけは約束して欲しい。どうかな?」
「もちろんです。ボクが出した結論ですから。必ず行動を起こします」
 まだ出ぬ結論に対して、ボクは力強くそう答えた。だがまさか羽賀さんのコーチングでこんな結論をボクが口にすることになるとは。この時点では考えもつかなかった。
「じゃぁまずは確認させてもらうね。今の自分を客観的に見ると、親不孝なやつだと思ったんだね」
「はい、だから今すぐにでも帰らなきゃと思いました」
「そしてお父さんのことを整理したら、佐藤くんへの思いがわかった。自分のやりたことで成就するまで帰ってきて欲しくない。そういうことだね」
「はい。だから帰るべきか、帰らないでいるべきか、そこで悩んでいます」
「なるほど。今の佐藤くんには『帰る』か『帰らないか』が問題なんだ」
「はい、そうなりますけど……それが今の問題じゃないんですか?」
「じゃぁ視点を変えよう。佐藤くんがどうなればお父さんは満足してくれるのかな?」
 この質問がこの後のボクの意識を大きく変えた。

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