コーチ物語 〜幸せの歩き方〜 第三章 未来を見ることとは
「ここか、会場は…」
会場の案内の掲示板にはこう書かれている。
”あなたの未来、お見せします 行動達成セミナー”
羽賀さんからお誘いを受けたセミナーが今日開かれる。
何かが足りない。今、そんな思いでこの場に立っている。
仕事の方はだいぶ慣れてきた。徹ちゃんも私との作業では、いろいろと話をしながら進めている。その話も社長や奥さんに対しての愚痴が多いのだが。
おかげで会社の内部事情にもだいぶ詳しくなってきた。詳しくなればなるほど、「あまりここには長くいられないな」という気になっている。だからといって、今は何をするということを決めたわけではない。居場所がないからこの会社にいる。そんな気持ちだ。
だから何かが足りない。その何かを見つけたい。そんな思いでここにやってきた。
このセミナーの開始は午後一時半。私の仕事が午後一時までなので、ちょっとギリギリになるかなと思っていた。徹ちゃんにセミナーの件を話したら
「それなら、黙っておくから三十分早く帰ってもいいですよ。今日は社長も奥さんもいないし。ボクが黙ってりゃ誰にもばれませんよ」
という言葉をもらった。今回は徹ちゃんの言葉に甘えて、いつもより三十分早く仕事を終えた。
「いらっしゃいませ。あ、笠井さん!」
受付で待っていたのはミクさん。私は今回ご招待ということで参加費は免除。感謝しながらイスに座る。
珍しいのは机がなくてイスだけ。そして正面にはホワイトボード。羽賀さんは来場した方へあいさつをして回っている。そうしてようやく私に気づき、あわててこちらにやってきた。
「笠井さん、ようこそおいで下さいました。今日は楽しんでくださいね」
「こちらこそご招待頂いてありがとうございます。今日はどんなことを教えてもらえるのか、期待しています」
「あはは、教える、か。実は今日は私から教えることは無いんですよ」
「え、セミナーなのに何も教えないんですか?」
「ふふふ、それは後でのお楽しみ」
一体この先何が起こるのだろうか? 期待と不安を胸に、私は会場に来ている人達を見回した。
見たところ、男女も年齢もバラバラ。おおよそ三十人くらいがこの会場に集まっている。
「ではお時間になったので始めさせて頂きます。あらためましてこんにちは!」
羽賀さんの元気で力強いあいさつ。その言葉につられて、私も一緒に声を出してあいさつしてしまった。
「今日はこんなにたくさんの方に集まって頂き、とてもうれしく思っています。さぁ、今日はおまちかねの『あなたの未来お見せします』です」
ここで待ってましたとばかりの拍手が起きた。
「拍手ありがとうございます。それではまず最初に、ちょっとした自己紹介ゲームを始めましょう。せっかくここで出会ったのも何かの縁ですからね」
確かにそうだ。今回のセミナーは羽賀さんとミクさん以外に知った顔はいない。せっかくこうやって羽賀さんを中心に集まった仲間だから、私ももっと他の人のことを知りたい。
こうしてアイスブレイクと呼ばれる自己紹介ゲームが始まった。ここではじゃんけんをして負けた人が名前は言わずに、今の気持ちだけを伝え、勝った人はそれをメモする。
制限時間内にできるだけたくさん集めるように指示をされていたため、いかにしてじゃんけんに勝つかしか頭になかった。
「最大何人集まりましたか?」
一番多い人で8人。少ない人で2人。私は4人から今の気持ちを集めることができた。だがこれで終わりではなかった。
「では、今集めた気持ち、誰が言ったものか覚えていますか? 今からその人のところに行って、集めた気持ちの横に名前を記入して下さい。ではスタートです!」
これはうかつだった。じゃんけんに意識を集中していたため、相手の顔なんてあまり覚えていない。結果的にどうしてもあと一人が思い出せなかった。
「はい、終了です。こうやって見ると何人か残っていますね。では残りの方の答え合わせをしましょう」
こんな感じで自己紹介ゲームが終了。そこで羽賀さんが解説を入れてくれた。
「私達は一つのことに集中すると、今のように周りが見えなくなることが多いものです。そのせいで大事なことを見失ってしまう。そんなことないですか?」
そう言われて、私は自分の過去を思い出してしまった。仕事に集中しすぎて、家庭のことが見えなくなっていたあの頃のことを。
「今からの時間はそうならないように、自分が話すだけでなく周りの人の言葉や表情にも意識を向けてくださいね」
妙に納得する言葉だった。これは忘れないようにしておかないと。
「ところで、皆さん周りの方を見回してください。どんな表情をしていますか?」
羽賀さんにそう言われて、私は横や後ろの方の表情を見る。
「では周りの方とご自分との距離感はいかがですか?」
距離感。最初は羽賀さんとミクさん以外に知っている人はいなかった。だからちょっと緊張している自分がいた。だが今は横にいる見ず知らずの人でも話しかけられる。そんな雰囲気になっている。
「はい。私の目から見ると皆さんの空気はとてもいい感じに和んでいるように見えますよ。それではお近くの方と四人組を組んでもらえますか。できれば初めてお会いする方同士でお願いします。お知り合いの方と来ている人は必ず別れてください」
羽賀さんの誘導で、私はすぐ横の若い女性と、同じ年代の男性と一緒になった。そしておっとり型で動きがスローの奥さんが近くにいたので、こちらに誘って四人組を形成。
「それではその四人で向かい合わせになって座ってください。そしてご自分の今の気持ち、それにご自分のお名前を沿えて自己紹介し合ってくださいね。さぁ、どうぞ」
羽賀さんの言葉で自己紹介がスタート。
若い女性は青田誠子さん。女子大生だそうだ。羽賀さんのコーチングのおかげで徐々気持ちが晴れやかになっているとか。
そして同年代の男性。名前は吉田弘樹さん。奥さんが羽賀さんの事務所の一階にあるお花屋さんに勤めているとか。まだ会社の状況が厳しいけれど、羽賀さんのおかげで希望を感じることができているとか。
そしておっとりした奥さんは大野和子さん。おばあちゃんと二人で駄菓子屋を営んでいるらしい。気持ちはいつも晴れ晴れしているとか。にこやかな表情からその雰囲気が十分伝わってくる。
そして私の番。
「名前は笠井慎一郎です。仕事はインターネットのウェブサイトをつくる会社に勤めています。私の心には、まだちょっとわだかまりがありまして」
「あ、ちょっと前の私と同じですね」
そう言ってきたのは青田さん。
「私もほんの少し前までは心の中にいろいろとあって、今ひとつだったんです。でも、羽賀さんと知り合ってからは少しずつ雲が晴れていくような感じ。今日のセミナーでその雲を一気に蹴散らしたいなって思ってやってきたんです」
「へぇ、青田さんもそうなんだ。実は私も会社が羽賀さんにお世話になって、だいぶ心の中の雲が晴れてきたんですよ。業界としては冬場の厳しい状況ですが、おかげさまで我が社も春の訪れが見えそうでね」
そう口を挟んだのは吉田さん。どうやら二人とも羽賀さんにお世話になった方のようだ。
「あらあら。羽賀さんって大人気ね」
そう言ってきたのは和子さん。
「和子さんも羽賀さんとお知り合いのようですが?」
私がそう尋ねると、ゆっくりとした口調でこう語ってくれた。
「羽賀さんはね、仕事の合間によくお店に来てくれて、おばあちゃんと私の話し相手になってくれるんですよ。いつも面白いお話しをしてくれてねぇ。面白いだけじゃなくていろいろと勉強にもなるし。おばあちゃんも私も羽賀さんの大ファンなんですよ」
和子さんのにこやかな表情を見ると、羽賀さんがどれだけこの人に影響を与えているのかがわかる。
ここで気づいた。羽賀さんって太陽のような人なんだ。多くの人に希望という光を与えてくれる。
そう思ったら、これからセミナーで起こることに期待がもててきた。ひょっとしたら他の人が言うように、このセミナーで自分の心にも晴れ間が見えるかもしれない。
「はいっ、それでは次にこの先どのような気持ちにしたいのか。それを天気に喩えて考えてみましょう」
羽賀さんは私たちにこう言ってくれた。先ほどは今の状態、次はこれから先の状態か。
私の頭の中にひらめいたのは、さんさんと降り注ぐ太陽。それしか見えない。今の羽賀さんのように周りにもそのエネルギーを惜しみなく降り注ぐことができる。そんな人間になりたい。
「では、その天気を今目の前にいる仲間に話して下さい。お時間は五分間差し上げます。それではどうぞ」
羽賀さんの誘導で、先ほどと同じ順番で話を始めた。それぞれが思う、これからの心の天気はとても興味深かった。そして私の番。
「私はさんさんと降り注ぐ太陽の光がまぶしい晴れです。太陽は惜しみなくそのエネルギーを多くの人に注いでくれます。私もいつかはそんなふうに、多くの人に自分の持っているものを惜しみなく与えられるような人間になりたいです。ちょうどあそこにいる羽賀さんのように」
そう言って私が羽賀さんに視線を移すと、他の三人も羽賀さんの方を向いてくれた。そして首を縦に振る。
「いいですね、それ。ぜひ羽賀さんのような人になってくださいよ」
吉田さんが私に励ましの言葉をかけてくれた。
「私も羽賀さんにあこがれるな。笠井さんならなれますよ、絶対に」
青田さんが続いて言葉をかけてくれた。
「うんうん。それはいいですねぇ。羽賀さんみたいな人が増えてくれると、私もうれしいですよぉ」
和子さんもゆったりとした口調でそう言ってくれた。
そう言われると、目の前にいる三人がなんだか昔からの知り合いのように思えてきた。
「はい。それではお時間です。それでは皆さん、一度大きく深呼吸しましょう。はい、吐いて〜。そして自然のままに吸ってぇ〜」
羽賀さんのゆったりとしたこと場に合わせて、全員が深呼吸。体中の無駄な力が出て行き、そして必要なものだけを吸い込む。そんなイメージを持つことができた。
「それでは皆さん、目をつぶって。そして隣の人と手をつないで下さい」
羽賀さんの言われるがままに私は隣の青田さん、そして和子さんと手をつなぐ。二人の暖かさがその手を伝わって私に流れ込んできた。
なんだろう、この感覚は。ワクワクするような、それでいて安心するような。自分の居場所を見つけた。そんな気分だ。
このとき、ふと気がつくと目の前に由梨恵の姿が浮かんできた。由梨恵はにっこりと笑って私に微笑んでいる。あの笑顔。久しぶりに見たな。
だが残念なことに、その姿は次の羽賀さんの言葉でかき消されてしまった。
「それでは今から皆さんは、ちょっとだけ先の未来に旅立ちます。そう、今日は五年ほど先の未来に行ってみましょう」
そう言われて最初は何のことだかわからなかった。いきなり五年後だなんて言われても。
だが、羽賀さんの次の誘導の言葉で、この後本当に五年後の自分の姿を見ることができた。
「まず、先ほど話して頂いた『この先どのような天気になっていたいか』。その天気を思い出して下さい」
そう言われて、先ほどイメージした、さんさんと降り注ぐ日差しがまぶしいくらいの太陽を思い浮かべた。
「さて、その天気の状態になっているときって、あなたは一体何をしているときなのでしょうか?」
羽賀さんのその言葉を聞いて、ビジネススーツを着て書類を片手に部下にいろいろと指示をしている自分の姿が思い浮かんだ。
私はどこかの会社の経営者になっている。そして自分の会社の商品が多くの人に受け入れられ、それを待っている人がたくさんいる。社員達は活気づいており、私が一つ一つ命令しなくても自分から喜んで動いている。
今回部下に行った指示。それは部下からの提案に対してGOサインを出したところ。だから部下は喜んでいるのか。
私のイメージはさらに続く。
仕事から帰ってきて、一戸建てのしゃれた自宅へ。「ただいま」その声に家の奥から「おかえりなさい」の声が。
その声は聞き慣れた三人の声。一人は息子の海斗。そしてもう一人は娘の明日香。二人は奥のリビングから顔を出す。息子はもう中学生。そして娘はまだ小学生。五年後の姿ははっきりとは思い浮かべることはできないが、それなりに成長している。
そしてその後からゆっくりと顔をだしたのは、つい先ほど私のまぶたの裏に浮かんできた妻の由梨恵。あの笑顔が再び私の前に姿を現してくれた。
そうか。私が望んでいるのはこの姿なんだ。
由梨恵とは別れたくて別れたのではない。私がだらしないがために、このままでは子どもに悪い影響を与えてしまうために別れたのだ。
だが五年後の私は違う。多くの人に良い影響を与えるために、今はまだ見ぬ自社の製品を広げ、多くの人の笑顔を求める仕事をしている。
その父親の仕事ぶりは、子ども達に悪い影響を与えるはずがない。だからこそ、こうやって再び家族として寄り添っているのだ。
そうか。私が望んでいるのはこの姿なんだ。ほんのわずかな時間ではあるが、私は五年後の理想とする姿を見ることができた。
「はい。いかがでしょうか。皆さんの頭の中では五年後の自分の姿がおぼろげながら見えてきたのではないでしょうか」
私はまだ目をつぶったままではあるが、大きくうなずいた。
「はい。それでは今から、その五年後になりきったまま、今の状況を目の前にいる三人の仲間に伝えて下さい。場面はそう、五年前に羽賀コーチのセミナーで知り合った仲間が、五年後にふとしたきっかけで再会した。ちょっとした同窓会です。『あれ、久しぶりだね。今何やっているの?』そんな一人の言葉から会話が始まります」
なるほど、今度は五年後の自分になりきるんだな。そして会話をするのか。
「ではお一人五分間時間を差し上げます。一人ずつ、今何をやっているのか。先ほど目の前に見えた五年後の自分になりきって話をして下さい。あなたが望むものは全て手に入れています。あなたが望むことはすべて実現しています。そんな今のあなたを思いっきり目の前の仲間に語って下さい。周りの方は、ただ聞いているだけじゃなく、『それはどこなの?』とか『誰と一緒にいるの?』といった質問をどんどん投げかけてくださいね」
なんだか話すのが楽しくなってきそうだ。それと同時に、ちょっと恥ずかしい気もする。なにしろ今のこの自分が社長なのだから。だが、恥ずかしさよりももっとその社長である自分の姿を味わいたい。その気持ちの方が勝っていた。
「さぁ、それでは手を離して目を開けてください。順番はどなたからでも結構です。お時間は私が合図をしますので、時間いっぱい、お一人ずつ語って下さい。それではどうぞ」
羽賀さんのその合図で、周りのグループでは会話がスタートした。私たちのグループも、先ほどから話をしている順番で開始。まずは女子大生の青田さんからだ。
「私ね、今小説家やっているの」
青田さんの五年後は小説家になっている。最初に出した一冊がベストセラーになり、さらに世界的に広がっているという世界。この青田さんの未来像に、私を始め他の二人も「それはすごい!」という感嘆の声をあげていた。
そこから今の活躍の姿を口にする青田さん。その表情はとても活き活きとしている。かといって、キャピキャピした軽いものではなく、どことなく安心感を得られる。そんな明るさだ。
「はい、それではお時間です。それでは次の方、よろしくお願いします」
羽賀さんの優しく、そして耳なじみのよい、それでいてしっかりと伝わる言葉で一人目終了の合図。五分というのはあっという間だな。
続いて吉田さんがこう切り出してきた。
「皆さん、お久しぶりです」
この言葉にも一瞬とまどったが、よく考えてみれば場面設定は五年後だったな。それを思い出して私もこう言葉を発した。
「吉田さん、五年前とそれほど変わりませんね」
「ははは、五年前よりちょっとだけ太りましたけどね」
吉田さんもなかなかノリがいい。ちょっと中年太りが気になりだしたお腹をさすりながら、吉田さんは笑って話を始めた。
吉田さんは若くして会社の役員に昇進。今は海外事業で大忙し。そんな中、奥さんとヨーロッパに視察を兼ねた旅行に行く姿を語ってくれた。
奥さんは羽賀さんの事務所の一階にあるお花屋さんに勤めていて、そこでフラワーアレンジメントをやっている。今回は奥さんの勉強も兼ねての旅行だそうだ。吉田さんって奥さん思いなんだなぁ。
「はい。ではお時間です。それでは三人目の方、よろしくお願いします」
今回の五分間もあっという間。吉田さんはまだしゃべり足りないような表情。
「私ね、今も大野屋でずっと子ども達に駄菓子を売っているのよ」
唐突に和子さんがそうしゃべり出した。先ほどまでの吉田さんは少し早口。だが和子さんはそれと対照的で、のんびり、ゆっくりしたペースで私たちに語り始めた。
和子さんの話に出てくる人物は羽賀さん。今よりも名前が売れ、それなりに売れっ子になって忙しい羽賀さんと、それをサポートしているミクさんの姿が。
そして面白かったのが、羽賀さんはすでに結婚しており、その相手が花屋の舞衣さんだという。
和子さんの作り話に、私たち三人はどんどん引き込まれていった。
本来はこの時間は自分の五年後を話すのだが、私たちが共通して知っている羽賀さんの五年後の姿というのもとても興味がある。和子さんの話は、まさに五年後にタイムスリップして未来を見てきた内容そのものであった。
「でね、羽賀さんって今も五十円握りしめてイカの薫製を片手にむしゃむしゃ食べるんだもん。とても世間ではすごい人って言われる姿とは大違いなのよ」
なるほど、五年後の羽賀さんっていくらすごい立場になっても、私たちの身近にいる人なんだな。
「はい。皆さん結構盛り上がっていますね。それではいよいよ四人目、最後の方です。それでは楽しんでお話ししてください」
いよいよ私の番だ。さぁ、話をするぞ。そう思った瞬間、頭の中が真っ白になった。
さっきまで頭の片隅にあった自分の五年後が突然思い浮かばなくなったのだ。青田さん、吉田さん、そして和子さんの視線が私に集中する。その視線が余計にプレッシャーとなり、私にのしかかってきた。
「笠井さん、今隣に誰がいるんですか?」
突然私の後ろから声がした。羽賀さんである。ちょっとビックリしたが、その声のおかげで真っ白になっていた私の未来に映像が浮かび上がってきた。
そうだ、私の隣には……私の隣には由梨恵。そしてその両隣には海斗と明日香。四人並んでいる写真のような風景が頭をよぎった。
「私の隣には今妻がいます。六年前ほど、一度別れたんですが、その後復縁しましてね。今では元のように仲良く暮らしています。今日はちょっとした記念日でね。家族四人で写真を写しに来ているんです」
不思議だ。さっきまで思いもしなかった風景がこうやって口からスラスラと出てくる。私のそのセリフを聞いて、吉田さんがこう聞いてきた。
「へぇ。で、今日は何の記念日なんですか?」
そこまでは考えていなかった。だがこれも口から先にその状況がセリフとして出てきた。
「えぇ。実は恥ずかしながら二度目の結婚記念日なんですよ。復縁した記念日とでも言いますか。家族の絆を取り戻した日ということで、毎年こうやって写真を撮ることにしているんです」
「わぁ、それってステキですね」
青田さんが手を叩いてほめてくれた。それが私の気分を良くしたのか、ここからいろいろなことが口から出てき始めた。
新しく家を買って住んでいること。息子の海斗は中学でサッカーをやって、大活躍していること。娘の明日香は昔から絵を描くのが得意で、たびたびコンクールで入賞していること。
そして妻が自分の仕事を理解して、今では陰ながらサポートしてくれていること。
その妻とも、今は年に一回はゆっくりとした旅行をして過ごしている。このとき子ども達は妻の実家に預け、ちょっとした新婚気分を味わっている。今度はヨーロッパを一週間ほど回ってくる予定だ。そんな言葉まで私の口から出てきた。
ここまでしゃべってみて、とても気分がいいことに気づいた。そうか、これが自分の望んでいる理想の五年後なのか。
全てのセリフが口から先に出てくる。しゃべったことを自分の耳で聞いて、そしてあらためて自分が望んでいることに気づく。
不思議な感覚だ。まだまだしゃべっていたい。もっともっと五年後の自分を見てみたい。そんな気分に浸っていた。
「で、笠井さんは今どんなお仕事をしているのですか?」
吉田さんのこのセリフで、私の思考は一旦停止してしまった。
今まで順調に家族のことをしゃべっていたのに、自分がやりたい仕事については何も浮かばなくなってしまったのだ。
一瞬の沈黙がこのグループを襲ってしまった。
「え、し、仕事ですか……」
一瞬の沈黙がこのグループを襲う。いろいろと頭の中を廻らせていた。が、これといった名前の仕事が思いつかない。
「え、えっとですね……」
何でもいいから口に出してしまおう。そう思った瞬間、
「はい、お時間になりました」
羽賀さんの合図。正直、私はホッとしてしまった。と同時に、自分が五年後にどのような仕事をしているのか、その未来を見ることができなかったことに対して残念な思いが湧き上がってきた。
ひょっとしたらこのセミナーはこれで終わりなのか? これじゃ消化不良もいいところだ。どうにも心の中がモヤモヤしている。このモヤモヤを何とかして吐き出したい。その気持ちでいっぱいになってきた。
「はい。それでは両隣の人と手をつないで、そして目をつぶってゆっくり深呼吸しましょう。はい、吐いてぇ〜」
羽賀さんの言葉に従って、息をゆっくりと吐く。そして吐けば吐くほど心の中にあったモヤモヤ感がすぅ〜っと出て行くような、そんな感覚を覚えた。
「はい、自然のままにゆっくりと息を吸いましょう。さて、もう一度ゆっくり吐いてくださ〜い」
同じようにもう一度息を吐き出す。今度はさらに気持ちが落ち着いてくるのがわかる。だが、気持ちが落ち着いたからといって自分の未来の仕事を見ることができなかった残念な気持ちが消えることはなかった。
「はい、また自然のままに息を吸って。さて、今の気分はいかがでしょうか。おっと、皆さんはまだ五年後の未来にいるんですよ。今度も四人で、順番も関係なく好きなように雑談してください。先ほどは一人ずつ話をしましたが、今度は順番はご自由に。話したい人が話をしてくださいね。時間は十五分間です。十五分の間、四人がまんべんなくお話しができるように気を使ってくださいね。それではどうぞ」
よかった、どうやらもう一度五年後になりきって話をする時間ができたようだ。ここでもう一度、自分の未来の仕事について口から出てくるに違いない。それを期待しつつ、吉田さんの言葉に耳を傾けた。
「私ね、昨日妻と一緒に行ったヨーロッパから帰ってきまして……」
そこから、まだ見ぬヨーロッパの景色が、まるで本当の土産話のように頭の中に入ってきた。
どうやら吉田さんの奥さんはフラワーアートでそれなりに有名な人物になっているらしい。今回のヨーロッパ旅行は、吉田さんは仕事で、奥さんは勉強も兼ねて二人で楽しむために行ったとか。
黙って聞いていると、おそらく一人で十五分くらいはしゃべってしまう勢いがあった。困ったな、私もしゃべりたいのに。
それをうまくコントロールしてくれたのが青田さんだった。
「へぇ、それはすごいですね。ところで和子さん、羽賀さんって今どうなっているの? 私しばらく会っていないからもう少しその辺が聞きたいんですけど」
ナイス! 和子さんは青田さんに突然話を振られたにもかかわらず、落ち着いた態度でゆっくりと話を始めた。
「そうそう、羽賀さんたらうれしそうな顔で報告に来たのよ。なんと赤ちゃんができたんだって。でも私から見たらちょっと遅すぎね。舞衣さんとはつきあいも長いのに、なかなかゴールインしなかったんだから。やっとゴールインしたと思ったら、全国を駆け回っているでしょ。舞衣さんもまだお花屋さんを続けているから、なかなか夫婦の時間がないみたいなのよ」
和子さんの話は、ホントに近所のおばちゃんたちの井戸端会議のようだった。今羽賀さんがその状況にいるのではと錯覚してしまうくらい、あたりまえに話をしている。下手な演技も無し。だからこそ全てが自然に聞こえてしまうのだ。
ふと時計を見ると、スタートから約八分が経過しようとしていた。半分を過ぎたところか。時間配分的にもそろそろ次の話を始めないと。
ここで青田さんを見ると、私と同じように手元の時計を見ていた。そしておもむろにこう言ってくれた。
「へぇ、羽賀さんって今とても活躍されているんですね。いいなぁ。私ももっと羽賀さんみたいに活躍したいですよ。ところで笠井さんって今どんなお仕事しているんでしたっけ? 先ほど聞きそびれたんですけど」
きたっ! ナイスタイミング。
私は青田さんの質問に答えるように、今度は冷静になって自分の心から出てくる言葉を待った。そして私が出した答えはこうだった。
「私は、私は今社長をやっています。今はまだ従業員が十名ほどの小さな会社です。でも、社員は一丸となって自分で考えて行動し、そして結果を出してくれる者ばかりなので、とても充実した会社になっていますよ」
これは先ほど目をつぶっていたときに思い浮かんだ、あのイメージを思い出してそのまま口にしてみたものだ。
「そう言えば笠井さんって昔会ったときに、太陽みたいに多くの人を元気づけるようになりたいって言っていましたけど、今のお仕事ってそんなイメージのものなんですか?」
これも青田さんからナイスな質問。実はこのときの質問がなければ、私はこの先一生をかけて行おうという仕事には出会わなかったかもしれない。
「そうですね。五年前にお会いしたときにそんな話をしましたね。おかげで私は多くの人から喜ばれる仕事をしています。私の得意なパソコンを活用した仕事なんですけどね」
ここで「パソコンを活用」なんていう言葉が自分から出てきたのはびっくりだった。そんな自分に気づきつつも、私はさりげない表情で話を続けた。
「今は五年前よりも、さらにインターネットがあたりまえになって。しかも端末も、一人に一台が当然の時代。でもやはり初心者やお年寄りには、こういったIT機器というのは近寄りがたい存在みたいで」
ここで和子さんが大きくうなずいているのがとても印象的だった。
「で、私が始めたのが、こういった方々にも安心して使って頂けるようなサポートサービスなんです。といっても、パソコン教室みたいのじゃないんですよ。何て言うんだろう。そうそう、訪問介護サービスってあるじゃないですか」
「あ、自宅に訪問して身の回りを世話する、あれでしょ。実はウチの実家の母もそれにお世話になっているんですよ」
そう言ったのは吉田さん。どうやらそれは五年後の話ではなく、今現在そのような訪問介護サービスを受けているようだ。
「そう、あの介護サービスみたいな感じで、いろんな家庭のIT機器の利用をサポートしていくんです。パソコンを覚えてもらうのではなく、一緒になって使っていく。今じゃお孫さんとインターネットで会話を楽しんでいるお年寄りや、ネット通販で買い物をしている方も増えてきて、だいぶ仕事も軌道に乗っていますよ。それに端末も最先端のものはいらないから、いろんな業者から中古品を安く提供して喜んでもらっています」
「へぇ、それは便利そうだな。ね、そうでしょ、和子さん」
吉田さんが和子さんに話を振ってくれた。
「そうそう。私も実は笠井さんのところのサービスを受けているんですよ。今じゃウチのおばあちゃんまで、なにやらインターネットで買っているみたい。とっても楽しそうなの。これも笠井さんのところのサービスのおかげですよ」
和子さん、うまい!
口からでまかせで、思いついたことを並べてみただけなのに。あのときなぜか「訪問介護サービス」というのが単語としてひらめいた。そしてそこからヒントを得て、先ほどのような事業の話になったのだ。
「笠井さん、それってこれからとてもウケそうですね。今後はどんな事業展開にしていくんですか?」
「えぇ。この分野ではウチが最先端といっていいでしょう。ですがまだ認知が足りないので、もっともっと人を増やして、サポートできるパソコン介護士みたいなものを増やしていこうかと。ゆくゆくはパソコン介護協会みたいなものをつくって、免許制にしてこの事業を広げていきたいですね。できれば国から利用者に補助金なんかが出るように呼びかけていきたいです」
言ってみて、自分の事業のスケールがだんだんと大きくなっていることに驚きを隠せなかった。口からは何とでも言えるんだな。
しかし、大きなことを言ってはみたものの、少し不安にも駆られた。本当にこの私に、それができるのだろうか。
「じゃぁ、最後は私が話をしますね」
最後は青田さんが自分で時計を見ながら、自分に話題をふった。
青田さんは小説家になって活動の幅を広げている話。だが、私の頭の中は自分で口にした事業についてのイメージが渦巻いており、青田さんの話はほとんど頭には残っていなかった。
「はい、お時間です」
そうして十五分が過ぎた。だが私は前以上に悶々とした何かが心に残っていることに気づいた。大きな事を口にしたがために発生した、正体のわからない不安感である。
「では、再び目を閉じて。隣の方と手をつないで下さい」
私は不安感を抱いたまま、羽賀さんの言うとおりに目をつぶって青田さん、和子さんと手をつないだ。
「では深呼吸をします。はい、吐いてぇ〜」
先ほどの深呼吸の時には、息を吐くことで少しずつ気持ちがすぅ〜っとしていった。が、今回はそんな気分になれない。
ここで羽賀さんは、私の心を見透かしたようにこんなことを。
「今、皆さんの心の中はどのような状態でしょうか? 五年後を語って、興奮している人もいるでしょう。五年後、口にしてしまったことが本当にできるのか不安になっている人もいるでしょう」
私は後者の方。本当にそうなるのか不安で仕方がない。羽賀さんの言葉は続く。
「ここで皆さんに一つ伝えなければならないことがあります。今、皆さんが体験した五年後の未来。これは必ずそうなります。そう、必ず」
羽賀さんに「必ず」と言われると、なんとなく大丈夫な気がしてきた。が、まだまだ不安をぬぐい去ることはできない。
「しかし、必ずそうなるには一つだけ条件があります」
ほらきた。そんな簡単に自分の願いが叶うなんて事はあり得ない。
「皆さんが五年後、そうなるためのたった一つだけの条件をお伝えします。ですが、この条件は皆さんの五年後の姿を確実にそうするための魔法の呪文でもあります。そのため、うかつには皆さんに伝えることができません」
なんだよ、その魔法の呪文って。ケチケチせずに早く伝えてくれ。そんなのがあるんだったら、この不安はなくなってしまうに違いないんだから。
「その魔法の呪文をお伝えするために、どうしても皆さんにやって頂きたいことがあるのです。それは……」
それは一体何なんだ? 羽賀さんの言葉に期待を抱きながら、次の言葉を待った。
「それは、この場でメンバーに自分の五年後の姿を、大きな声で宣言してもらうことです!」
その言葉を聞いて、一瞬「えっ!?」と思った。
大きな声で五年後の姿を宣言する。それが魔法の呪文を得るためにやらなければならないことなのか。
それだったら簡単にできるぞ。そう思った反面、自分の未来像をメンバーに大きな声で告げるという事に対して、恥ずかしさも出てきた。
「それではゆっくりと目を開いて下さい。いいですか、今から最初に発表した順番で、あなた自身の五年後を一言でメンバーに伝えて頂きます。ただし、『ストップ』と言うまで、何度も何度も繰り返して、大きな声で伝えて頂きます」
一回じゃないのか。羽賀さんの説明から、今度はそんなことができるのかという自分自身に対しての不安が生まれてきた。そんな、人前で大声を出すなんて経験したことがない。けれど、やるしかない。
「それでは、先ほど五年後の自分を語っていただいた順番で、私がストップと言うまで大きな声で自分の五年後の姿を叫び続けて下さい。それではお一人目の方、準備をお願いします」
私のグループでは、青田さんが立ち上がって私たち一人一人と目を合わせた。
「それではお一人目の方、本気を出して、大きな声で五年後を語って下さい。それではスタートです!」
「私は、小説家になってベストセラーを出している!」
青田さんが大きな声で叫びだした。同じ言葉を繰り返し、繰り返し。
「もっともっと、大きな声で! あなた達の本気はそんなものですか?」
羽賀さんはもっと大きな声を要求している。それにあおられて、青田さんもさらに必死の形相で、握り拳に力を入れて、全身に力を込めて声を振り絞っている。
見回すと、他のメンバーもその声に徐々に力が入っているようだ。
「まだまだ、もっともっと!」
羽賀さんはまだまだあおっている。私も必死の青田さんを見ると、手に、そして全身に力が入ってきた。
「がんばれ、がんばれ、がんばれ!」
私の思いが徐々に声になって現れてきた。同じような声が私の正面からも聞こえる。そう、吉田さんも私と同じような格好で、イスから腰を浮かして青田さんを応援している。
「がんばれ、がんばれ、がんばれ!」
気がつくと、私も大きな声で青田さんを応援している。吉田さんだけでなく、和子さんも手に力を入れて青田さんに
「がんばって、がんばって、青田さん!」
と声援を送っていた。
他のグループでも同じように、必死になって自分の五年後を叫んでいる人を応援し始めた。そして、その声援が最高潮に達したとき
「はい、ストップ!」
羽賀さんのストップの声。
それと同時にイスに倒れ込むように座る青田さん。息がとても荒い。だが、青田さんの表情は疲れよりも満足感に満ちあふれている。
しばしの小休止のあと、羽賀さんの声。
「はい、それでは二人目の方、ご準備を」
私のグループの二人目は吉田さん。吉田さんは「よしっ!」と気合いを入れて立ち上がった。
「それではお二人目の方、力の限り大きな声で叫び続けて下さい。よろしいですね。それではスタート!」
「私は役員になって、妻と一緒にヨーロッパを旅行する!」
これは大きな声だ。だが、羽賀さんは先ほどと同じように叫んでいるメンバーに「もっと、もっと」と要求をしている。
今度は私も最初から応援。
「がんばって、もっともっと。吉田さん、がんばって!」
他のグループでも応援の声があがっている。今度はさっきよりも速いペースで応援の声が行き渡った。吉田さんも、周りの声に負けじと声を振り絞っている。吉田さんの額には汗がにじみ出ている。
私もそれに合わせて、応援の声がだんだんと大きくなってきた。あのおとなしく見える和子さんも、びっくりするくらいに大きな声で応援を送っている。
「はい、ストップ!」
今回の吉田さんも、先ほどの青田さんと同じように満足した顔つきをしている。
そして三人目の和子さん。先ほどの吉田さんとは少し対照的に、静かに、そしてずっしりと重たい声でこう叫んだ。
「わたしはー、おばあちゃんといっしょにー、むかしとおなじようにー、ずっとおみせをまもっていまーす!」
ここで気付いた。五年後に何かを変えるよりも、五年後も今と同じように続けていくことの方がきっと難しいに違いない。そう、今の幸せを続けていくことが。そう思うと、和子さんを応援する声にも力が入っていた。
「はい、ストップ!」
和子さんも、汗を拭きながら満足した顔つき。
そしていよいよ私の番がやってきた。
「それでは四人目の方、準備はよろしいですか? 力の限り大きな声で叫んでください。それではいきます。用意、スタート!」
羽賀さんの合図と同時に一度大きく息を吸い込んだ。そして
「私は、家族を再び取り戻して、太陽のように多くの人に幸せを与える会社をつくる!」
全身からエネルギーをあふれ出させるがごとく、力一杯大きな声で叫んだ。
「がんばれ、がんばれ!」
「もっともっと、大きな声で!」
「そうよ、その調子!」
周りのメンバーがそれぞれ私に向かって、私に負けないくらい大きな声で声援を送ってくれる。それに負けじと、私も再び大きな声で叫び続けた。
「もう一度、家族と一緒になって、そして幸せな生活を送る! そしてその幸せを多くの人に分け与えられるような会社を作り、もっともっと多くの人に幸せを与えていく!」
そんな言葉を何度繰り返しただろう。額からは汗がじんわりとにじみ出てくる。両手に握った拳にも汗が。
叫べば叫ぶほど、自分の頭の中はその未来の絵でいっぱいになっていく。もう他のことは考える余裕はない。
「はい、そこまで!」
羽賀さんの合図と共に先ほどまで座っていたイスに倒れ込んだ。全身から一気に力が抜けていく。
それと共に、面白いことに気づいた。全身の力が抜けていくのと同時に、幸福感がじわじわとわき出てくるのだ。
自分はここまでやったんだ、そしてこれからそこまでたどり着くんだ。満足感と未来への期待感で心の中がいっぱい。すると不思議なことに、自然と顔がほころんできた。
そうか、これが青田さんや吉田さん、和子さんにも起きたことなんだ。だから三人とも満足した表情だったんだ。そして今、私自身も心の中が満足して、その表情が表に出ていることが実感できた。
「はい。皆さん、今のお気持ちはいかがですか?」
羽賀さんが私たちに問いかける。会場にいる参加者達は、声にこそしなかったがそれぞれがそれなりに満足をした表情をもって羽賀さんの問いに答えている。
「さて、それでは皆さんにお聞きします。今、五年後の未来に対して不安だという方はいらっしゃいますか?」
その質問で気づいた。大声で叫ぶ前までは自分の未来に対してあれだけ不安が大きかったのだが、今はその不安はどこに行ったのか、全く感じることができない。不安どころか、今からその未来に向かっていくのだというワクワク感の方が大きい。
どうやら周りの参加者も全く同じ気持ちのようだ。羽賀さんの質問に対して誰一人「不安だ」という者はいなかった。
「実は今やっていただいたのが『魔法の呪文』なのです。このように自分のやりたいこと、思い描いているものを大声で口にして宣言する。これによってあなたの心を支配していた不安や恐れがどこかへ飛んでいき、気がついたら心の中は、あなたが思い描いている未来の姿でいっぱいになっていくのです。ですから、あなたが少しでも未来に対して不安を抱いたのであれば、この魔法の呪文を繰り返してみてください」
なるほど、そうか。この先、不安に陥りそうになったときには使えるな。
「では今から皆さんに見て頂いた五年後の未来を確実なものにするために、そして皆さんがその未来に向かって歩き続けるようにするために、最後の仕上げを行います」
最後の仕上げ。そう言われて、今度は何が飛び出すのだろうかという期待感に満ちあふれてきた。
「それでは皆さんに準備を協力してもらいます」
羽賀さんの指示で、脇によけてあった机を運び出した。
「ミク、例のものを配って」
「はいっ」
ミクさんが何かを配り始めた。どうやら封筒と便箋のようだ。色はピンク。便せんは二枚ずつ配られた。
「では今から、手紙を書いていただきます。でも、どんな手紙を書けばいいのでしょうか? それは、あなたの五年後のその姿が達成されたときに、その姿を報告したい方へ宛てる手紙です」
今から書く手紙、それは自分がなりたい姿が達成されたときに、「自分は目標を達成したぞ!」ということを誰かに報告するための手紙。今の状況を書くのではなく、五年後にそうなったときの状況を書けばいいということ。
「あなたが報告したい方、この方をまず決めて下さい。ただし、その方は実際に報告できる方に限らせて頂きます。死んだ両親やご先祖様に報告したいという方もいらっしゃるでしょう。ですが今回は実際にこの手紙を読んでもらえるような方を選んで下さい。そして、その方はできれば身近な方を。奥さんや旦那さん、ご両親やお子さん。いつもそばにいてくれるような方をぜひ選んでみて下さい」
私が成功を報告したい人。それは両親。今は両親が所有するアパートに家賃無しで住まわせてもらっている。また、食事もときどき面倒を見てくれる。
私が事故を起こしたときもすぐに駆けつけてくれて、呆然として何をどう動いてよいのかわからない自分に変わっていろいろと動いてくれた。
そんな両親に、早く自分が成功している姿を報告したい。その気持ちでいっぱいになっている。
「では、今からお時間を差し上げます。あなたが成功した姿を報告したい方への手紙を書いて下さい。書き終わったら、次の指示をするまでしばらく黙ってお待ち下さい。それではどうぞ」
羽賀さんの言葉で、私は手紙を書き出した。最初に父と母の名前を書く。拝啓、なんてあらたまった手紙は書いたことがない。いきなりどう書き出そうか迷ったが、今の気持ちを素直に文字にしようと、筆を走らせた。
一通り書き終えたが、まだ他の人は筆を走らせている。私は自分の書いた手紙をあらためて読むことにした。
笠井敬司様、つかさ様
お元気ですか。私は今、とても充実した生活を送っています。
お二人にはとても心配をおかけしました。
順調に運んでいたと思える生活も、私の不注意で起こした事故により、家族がバラバラになるという事態になってしまいました。
お二人にも孫である海斗と明日香とも会えなくなることになってしまい、あのときは本当に申し訳ないと思いました。
ですが、あれから私も一念発起して自分の人生を良い方向に変えていこうと努力しました。
いろいろな人の支えもあり、やっと念願だった家族も取り戻し、支えてくれた方々への恩返しができるような仕事を始めることができました。
そういえばお父さんはパソコンが苦手でしたね。
今はそんな方へ安心してパソコンを扱うことができるサービスを始めています。
おかげさまで、いろいろなところで重宝され、会社も順調に伸び始めています。
これもあのときにお二人が私を支えてくれたおかげだと、感謝しています。
本当に、本当に、ありがとうございます。
今は胸を張って、堂々と人生を歩んでいけるようになりました。
今度は私がお二人に恩返しする番です。
これからはお二人が安心して暮らせるような環境をお届けしていきます。
今まで私の心の支えになってくれて、本当にありがとう。
慎一郎
あらためて読み直したときに、なぜかふと涙が出てきた。
それが何の涙なのか、自分でもよくわからない。けれど、その涙を素直に受け止められる自分がいることに気づいたとき、なぜか安心して前に進めるような気がしてきた。
手紙を書いた後、私は静かに目を閉じて考えた。
これまで生きてきた人生、それなりに一生懸命にやってきたつもりだった。だが、それはあくまでも自分のため。上から言われた仕事をこなすことだけが、自分の幸せにつながることだと考えていた。
今回、この羽賀さんのセミナーに参加して大きな気づきを得ることができた。
幸せは自らがつくり出すもの。そして、その幸せは一人だけでできるものではない。多くの人と共有し合ってこそ高めていけるもの。
自分の口から出てきた自分の未来。それを信じてみよう。未来を語っているときに感じた幸せ感を早く本物にしよう。
そんなことが繰り返し繰り返し頭の中に浮かんできた。
「はい、では皆さんお手紙を書かれたようなので一度こちらを向いて下さい」
私が目をつぶってそんなことを考えていたときに、羽賀さんからの言葉が。
「では、今皆さんのお手元にある封筒。これに、先ほど書いたお手紙の内容を報告したい方のお名前とご住所をお書き下さい。ご住所のわからない方は、お名前だけでもしっかりと書いておいて下さい」
言われたとおり、私は封筒の表に「笠井敬司様、つかさ様」と連名で書き記した。住所は自分の実家なので、すぐに書くことができた。
「では封筒をひっくり返して、裏面にご自分のお名前を書いて下さい。ご住所を書きたい方は書いて頂いても結構です。この先ご住所が変わるかもしれないという方は、お名前だけでもいいです」
私はいつまでも今の父親のアパートにお世話になるわけにはいかないと思い、自分の名前だけを記すことにした。
「はい、皆さん書き終わりましたか? では次に先ほど書いたお手紙を三つ折りにして封筒に入れて下さい。あ、でもまだ封はしないように」
何人かはすでに封筒の中に手紙を入れていたが、封をしそうになって羽賀さんの言葉にあわてている人もいる。
「それでは皆さんに一つ質問します。今、皆さんが報告したいことを書きましたよね。それを必ず実行してやるぞ、という気持ちのある方、手を挙げて下さい」
この問いかけに、会場の全ての人が手を挙げた。もちろん、私もだ。
「はい、ありがとうございます。ではもう一つ。この先自分はそこに書かれている未来に向けて行動を起こす、という決意をされた方のみ、封筒に貼られている両面テープで封をしっかりとして下さい。行動を起こす決意ができないかたは、そのままの状態にしておいて下さい」
私はためらわずに封をしようと、両面テープの剥離紙をはがし、封をしようとした。が、そのとき一瞬ためらってしまった。
ここで封をするということは、この先自分はそれに向かって行動しなければならないことを意味する。果たして本当にそんなことができるのだろうか?
大声で決意宣言をする前に起きていた不安感が、今頃になってよみがえってきた。
だが、心とはうらはらに手は封筒に封をするという行動を起こしている。
そうだ、ここでためらうことなんかない。自分の奥底に潜んでいる願望が、今この手を動かしているのだから。
そうして私は、封筒の封をしっかりと閉じた。
「皆さん、封をしましたね。ということは、先ほど思い描いた未来に向かって、今から行動を起こすということを決意されたのですね」
この問いに私は軽く首を縦に振った。周りの参加者も同じように首を縦に振っている。
「ではこの手紙の使い方をお伝えします。この手紙はあなたの決意表明の証です。ですから、この手紙を常に携帯するようにして下さい。手帳に挟んだり、よく持ち歩くバッグに入れたり。なるべく無意識に目が届くようなところがいいでしょう」
私は最近いつも使っているリュックに入れることにした。羽賀さんの言葉はさらに続く。
「そして、あなたが手紙に報告したような状況が訪れたとき、もう報告をしていいだろうと思ったときに、この手紙をポストに投函して下さい。『私は立派に目標を達成し成功しました』ということを本当に報告するのです。この手紙は飾りではありません。本当にあなたがこの手紙を本来の目的で活用するその日が来るまで、この手紙はあなたの行動の原動力となるのです」
なるほど、羽賀さんが言うようにいつかこの手紙を本当にポストに投函するぞ、という意志を持ち続ければ、絶対にその日が訪れるはずだ。
私は封をされた手紙を見つめ、さらに意を決していた。
こんなところで座っている場合じゃない。今すぐ立ち上がって、何かを始めないと。そんな気分になっている自分に気づいた。
「さて、今の気分はいかがですか? 今のその気持ち。それを続けてさえいればいつかはそこにたどり着きます。なにしろゴールはもう見えているのですから。今まではゴールが見えなかった。だからどこに向かって走っていけばいいのかがわからなかった。そうではありませんでしたか?」
羽賀さんの言うとおり、今までの人生は漠然と「幸せ」を探していたような気がする。だが、今は何を求めればいいのかがはっきりしている。未来に対しての不安はない。どうすればそこに行けるのか、そればかりを考え始めているという自分に変化してきた。
「それでは、今一体どんな気持ちになっているのか。ぜひとも目の前にいる仲間と共有して下さい。それではどうぞ」
羽賀さんの合図で、吉田さんが開口一番。
「もう、やってやろうって気になりましたよ。いやぁ、このセミナーに参加して本当によかった。私は絶対に幸せになりますよ」
これに同調して、青田さんもこんな言葉を。
「私も、絶対に小説家になるって決めました。いや、決めていたのはずっと前からだったけれど、今はそれが願望じゃなくてそうなるんだっていうように、確信に変わったかな」
この確信という言葉に反応したのが和子さんであった。
「そうねぇ。私も今回参加して、みぃ〜んなの幸せになる姿を確信しましたよ。これで安心して駄菓子屋を続けていけるわ」
そして私の番。
「そうですね。私もさっきまではとても不安だったのが、今すぐにでも何かを始めたいって衝動に駆られていますよ」
こうして四人の会話は徐々に盛り上がっていった。そこには不安はない。そうなると決まっている未来の姿が、より具体的になって私の前に迫ってきた。
およそ十分くらい話をしただろうか。羽賀さんのストップの声。
「はい。盛り上がっていますがもう終わりのお時間が迫って参りました。では最後に私から、皆さんに本当の魔法の呪文を一つお伝えします。何か迷ったとき、不安になったときには、大声で自分の決意を叫んだ後、今からお伝えする魔法の呪文を口ずさんでみて下さい」
私はその言葉を聞き漏らさないよう、そして忘れないようにメモの準備をして羽賀さんの口から飛び出す言葉を待った。
「いいですか、魔法の呪文をお伝えしますね。それは『そうなることになっている』です」
そうなることになっている。私は羽賀さんが言われたとおりにメモをした。
「皆さんが大声で叫んだ未来。これはもうそうなることが決まっているんです。皆さんは明日あたりまえに起きて、あたりまえに会社に行き、あたりまえに仕事をするでしょう。それはどうして? そう、そうなることが決まっているからです。皆さんは知らず知らずのうちに、自分の未来の行動を決めて、そしてあたりまえのようにして動いているのです。だったら、今自分が思い描いている未来をあたりまえにしましょう。そうなることはすでにもう決まっているのですから」
これは目から鱗が落ちる思いだ。そうか、そうなることになっているのだったら、その通りに行動するのはあたりまえだ。
「そうなることになっている」。私はこの言葉を何度も何度も頭の中で繰り返した。
こうして羽賀さんのセミナーは終了。参加者全員が、心に何らかの決意を持って会場を後にした。私もその中の一人。もう不安はない。未来へ向かって一直線だ。
ふと見上げると、夕日がとても輝いて私に微笑みかけていた。
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