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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第七章 日本を動かすもの その8

「私はこれから、情報セキュリティの分野を通じて多くの人が幸せになれるような社会を作っていくことをここに誓います。そしてその中核として、このリンケージ・セキュリティが存在し、さらに業界を引っ張っていかなければならないと考えています」
 社長に就任し、役員会での最初の挨拶で私はこうみんなに伝えた。
 役員の中には「何を今更きれい事を」というような目で私を見ている人間もいる。確かにそうだろう。今まで佐伯孝蔵が行なってきたことを考えれば、私の言葉を懐疑的に見る人もいるはずだ。
 そんな連中をいちいち気にしていては始まらない。今は自分の判断で、自分の進むべき道を切り開いていく。これしかないのだから。
 私は、いやリンケージ・セキュリティは今まで犠牲を出しすぎた。それも、自分たちの考え方を押し通そうとした結果だ。
 そのときはそれが正しいと思っていた。いや、佐伯様が出した答えが絶対だと思っていた。
 今回、私はこのような専制的なやりかたが間違っていることを学んだ。本来は多くの人の意見を取り入れ、そして何が一番最適なのかを考えてから行動すべきだ。
 だからこそ、この会社には大きな改革が必要だと考えた。そのために私は多くの学びを得なければと、そしてその学びを社内に広げていかねばと考えている。
 しかし、何かを変えようとすると必ず抵抗勢力があるものだ。
「それは佐伯様の意志なのか?」
 佐伯派と言われている役員連中は、必ずそう言ってくる。今回も私の事業改革案を役員会で打ち出したところ、早速その質問が飛び出した。
「まず最初に言っておきます。佐伯孝蔵はもうリンケージ・セキュリティの事業から完全に退いています。会長でも相談役でもない、ただの一個人としてしか存在していない方になりました」
「しかし、大株主であることには代わりはないはずだ。会社というのは社長の持ち物ではない。株主の持ち物だ」
「そうおっしゃるだろうと思いましたよ。その株というのはこれのことですかね」
 私はそう言うと、現在のリンケージ・セキュリティの株の保有リストを取り出した。
「こ、これは………」
 役員の多くが絶句した。なぜなら、佐伯孝蔵が持っていたリンケージ・セキュリティの株はすべて私に譲渡された形になっているからだ。さらに驚くことがある。
「これは佐伯様の最後のご意志です」
「最後の?」
「そう、最後です」
「それはどういう意味だ?」
「こういうことですよ」
 私は内ポケットから一通の文書を取り出した。その表書きには「遺言状」と書かれてある。
「遺言状だと!? 佐伯様はまだ生きていらっしゃるだろうがっ!」
 場は騒然となった。生きているのに遺言状が開かれているとはどういうことだ?
「静かにっ!」
 私は場を一喝した。そしてゆっくりと大事なことを発表した。
「佐伯様は本日午前六時二十七分、ゆっくりと息を引きとられました。佐伯様はずっと持病を患っておられたのですが、それをひたすらに隠しておられました。しかし、昨晩病状が悪化。そして今朝方眠るようにお亡くなりになられました」
「き、貴様、それを狙って佐伯様の株を、そしてこの会社を乗っ取ろうとしたなっ!」
「めっそうもない。この遺言状の日付を御覧ください。これは顧問弁護士のところに今朝ほどまで保管されていたものなのですよ」
 遺言状の日付は、なんと私が佐伯様に従事したその日付であった。実はこれは私も今朝まで知らなかった事実である。
 実際の佐伯様はすでに亡くなっている。だがそれはごくわずかの人間しか知らない事実。弁護士もそれを知らない。
 それをどうして今朝亡くなったことにしたのか。もちろん私の策略的なこともある。だがそれ以上に、佐伯体質からこの会社を抜け出さないと新しいことは始められないと思っていたからだ。
 それにしても、私に株式を全部譲渡するということを予め決めていただなんて。これには私も本当に驚いた。佐伯様は本気で私にこのリンケージ・セキュリティという会社を託してくれたのだ。
 こうして私は名実ともに裏で日本を支える人物となった。だがそれは私が独断で動かすというものではない。多くの人の総意をもって最終判断を下し、そしてみんなが幸せに成るような行動を起こす。それが私の理念だ。
 この思いを私に植えつけてくれたのは、あの羽賀コーチである。私に人間としてどのように生きていけばよいかをコーチングで気づかせてくれた。
 社内でのいろいろなことがひと通り落ち着いてから、私は羽賀コーチの元へと足を運んだ。
「この度はいろいろとご指導ありがとうございます。まだまだ社内は落ち着かない状態ではありますが、これからはしっかりと束ねてまいります」
「いやいや、ボクは何も指導していませんよ。全ては飯島さんが持っているものを組み立てただけですからね」
「いや、そんなご謙遜を」
「飯島さんってなんかすごく丸くなりましたね。はい、お茶をどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
 あの日の一件以来、私は毎日といっていいほどこの羽賀コーチの事務所に通い、そしてコーチングを受けながらリーダーとして、そして人としての大事なものを学び気づかせてもらった。私が来るたびに、羽賀コーチの事務所の一階にいる花屋の舞衣さんがお茶を入れてくれていた。このお茶がとにかく絶品で、途中からはこのお茶を飲みたくなって来ていたといってもいいくらいだ。
「じゃぁもうボクのところからは卒業ということでいいのかな?」
「卒業と言われるとちょっと寂しい気もしますが。社長に就任してしまった今、もう時間もなかなかとれませんしね。残念ですが今日が最後となります」
「うん、ボクもちょっと寂しいけれど。これからの飯島さんの活躍を期待していますよ」
「ありがとうございます」
 気がつけば、このありがとうございますという言葉を素直に言えるようになっている気がする。以前の私は、人から何かをしてもらっても当然のことだという気持ちが強かった。だが、感謝というものを真の意味で知ってからは素直にこの言葉が出せるようになった。
「ところで、先日亡くなった大磯さんのお墓にお参りに行ったら、どなたかが参られたみたいで。大磯さんには身内の方はもういらっしゃらないと聞いていたのですが」
「あ、あの件ですか。うぅん、実はですね………蒼樹さんの息子さんの雄大くんが頻繁に大磯さんのお墓にお参りしているんですよ。それだけでなく、石塚さんや坂口さんのお宅にも足を運んでいるらしく。何か感じることあったみたいです」
「そうだったんですか、蒼樹の息子が」
「雄大くん、佐伯孝蔵に憧れ的なものを持っていましたからね。しかしそれが実は飯島さんの判断だったということを知って、いろいろと考えることができたみたいで」
「彼はどうして佐伯孝蔵に憧れていたんでしょうか?」
「それはわかりません。しかし、彼なりに人を知ろうとしていたのは確かです。そしてもっと学びたいという気持ちが強いのも」
 私はここで一つの考えが浮かんだ。
 佐伯孝蔵に私が必要だったように。私にも何かしらの補佐が必要だと考えている。だが今の会社の役員連中では頭が硬くて使い物にならない。もっと柔軟な考え方を持てる人物が欲しい。ならば………
「彼を私の補佐として育ててみるか。私が持っているノウハウを全て彼に与え、そして私のサポートをしてもらうのも悪くはないな」
 その考えが浮かび、自然と口にしていた。
「なるほど、それもいいですね。では早速何から始めてみますか?」
「羽賀さん、私に最後のコーチングですね」
 そう言って私は思わず微笑んでいた。
 これからの日本の未来は私の手にかかっている。だが私だけでは日本は支え切れない。私の後継者を育てながら、新しい世代へとこの役割を引き継いでいかねばならない。今のこの気持をしっかりと持ちながら、よりよい社会を築いていこう。これが日本を動かすものとしての使命なのだから。
 その思いで私は羽賀コーチの最後のコーチングに臨んだ。

<クライアント20 完>

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