コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第七章 日本を動かすもの その2
「ま、まさか………これが………佐伯………さま」
蒼樹和雄が今佐伯様と対面をした。正しくは人工知能の佐伯孝蔵である。さすがに絶句したようだ。
そこにあるのはマイクとスピーカーがついている端末。その本体となる人工知能は、リンケージ・セキュリティが誇るデータサーバーの中にある。目の前の端末はそこに情報を送り込むだけのものである。
「おい、これは一体どういうことなんだ。説明しろっ!」
蒼樹はとっさには理解できずに困惑しているようだ。それはそうだろう。誰だって人間と思っていたものが機械だったらそうなるはずだ。
「ワシから説明すれば良いのか、蒼樹よ」
目の前の端末から、佐伯孝蔵様の声がそう答える。
「あぁ、わかった。この端末の向こうのどこかに佐伯孝蔵がいるんだな。おい、いい加減に本人に会わせろっ」
「ハッ,ハッ、ハッ。真実を知らぬとここまで自分を取り乱すものじゃな」
「真実って、何が真実なんだっ」
蒼樹の声はさらに大きくなる。そろそろ頃合いか。
「蒼樹さん、私の口からご説明しましょう。まずは落ち着いて」
「落ち着いていられるか。ここまで人を小馬鹿にして。こんな端末で私をごまかそうというのか?」
「そうではありません。これが今の佐伯孝蔵様なのです」
「これがって、このパソコンみたいな端末が佐伯孝蔵だっていうのか?」
「はい、その通りです」
「馬鹿言うんじゃない。機械の端末がこんなに流暢な受け答えをするはずがない。いい加減本人を出せっ!」
「残念ながらそれが真実なんですよ、蒼樹さん」
その声に振り向くと、そこには羽賀コーチが立っていた。
「あちらの部屋でお待ちくださいと申したはずですが」
「さすがに向こうの部屋まで蒼樹さんの声が聞こえてきたら、ボクも心配になりますよ。まぁこうなるだろうことはわかっていましたけれど」
羽賀コーチは冷静な態度で私たちを見つめている。この男はここまで計算していたということなのか?
「羽賀さん、これは一体どういうことですか? この機械が佐伯孝蔵というのはどういう意味ですか?」
「飯島さん、私の口から説明してもよろしいですか?」
ここは私や目の前の人工知能の佐伯孝蔵様より、羽賀コーチから説明してもらったほうが有効だろう。私は無言で首を縦に振った。
「まずボクが知り得た事実からお伝えします。今まで蒼樹さんや私達にかかってきた電話。これはこの端末から発せられた声です」
「でも、とても機械の声とは思えない………それに、一方的なセリフではなくちゃんと私の声と受け答えをしていた」
「はい、それがこの人工知能のすごいところでしょう。ただし欠点がありました」
「欠点とは?」
「それがこれです」
羽賀コーチは私に見せたファイルを取り出して蒼樹さんに見せた。
「これは?」
「これは佐伯孝蔵の電話の声を解析したものです。声紋などは生の佐伯孝蔵とぴったりと一致しているのですが、ある違和感があったんです」
「ある違和感とは?」
「私たちは通常、言葉はどうやって出しますか?」
「当然、口から出すだろう」
「このとき、息はどうしていますか?」
「息は………しゃべるときには吐いて、適当なところで息を吸う」
「そうです。ところがこの佐伯孝蔵の声には息を吸う箇所がないんです。つまり言葉を吐きっぱなしであることがわかりました」
蒼樹がファイルをめくると、そこには一般の会話と佐伯様の会話の呼吸音の違いが明記されていた。これは私も目にしたものだ。
「ここでボクはある推測を立てました」
「どんな推測なんですか?」
「ズバリ、佐伯孝蔵はもうこの世にはいない、というものです」
「そ、そんな馬鹿な。声が機械だってことだけで、そんな………」
蒼樹はよほど佐伯様がこの世にいないことを理解したくないらしい。けれどそれは真実。そのことを言おうとしたときに、端末のスピーカーから声が聞こえてきた。
「その羽賀の言うとおりじゃ。ワシはもうこの世にはおらん。今お前としゃべっておるのは、ワシの人格をすべてにおいて反映した人工脳が判断をしてしゃべっておる。そういうワシが言うんじゃから間違いないわ」
思わず笑いが出た。人工知能が自分のことをそうやって人に説明するのを聞いたのは初めてだ。佐伯様もそういう御人だったのだろう。
「蒼樹さん、今羽賀さんが言われたとおりです。人工知能といっても、本体は我社のサーバーの中にあります。本物の佐伯様は三年ほど前に亡くなりました。亡くなる前からずっと、この人工知能計画は進んでいて、佐伯様が最後まで自分の分身として育てたのがこれなのです」
「佐伯孝蔵が育てたのはこれだけじゃないでしょう。飯島さん、あなた自身もその一つのはずですよ」
羽賀コーチは私にそう言う。確かにそうだ。私はわずか一年で飯島夏樹という人格に新たに佐伯孝蔵という人格をインストールして生まれ変わったといっても過言ではない。
そのため、業務命令についてはまずは人工知能の佐伯孝蔵に伝える前に私自身が判断を下す。そして人工知能と答え合わせをする。そういった作業を繰り返しながら、私が佐伯様の代弁者として指示を出すことがほとんどであった。ただし、どうしても直接その声を伝えなければいけないときだけ、この合成音声を使っていたのだ。
「じゃあ、この日本は佐伯孝蔵という名の機械端末と、お前によって動かされたというのか?」
「いえ、全ては佐伯様の意思どおりに動いていたのです。そこには私の意志はありません」
「じゃぁ、あの航空機事故、あれもこの端末とお前が考えて仕組んだことなのか? さらに雄大から聞いたぞ。ロシアとの軍事交渉の件で動いていた人たちを亡き者にしたのもそうだというのか?」
私はその問いに黙って首を上下に動かした。
「きさまっ、自分で何をしたのかわかっているのかっ!」
「私は日本という国を守った。ただそれだけです」
「人をこれだけ犠牲にして、守ったといえるのかっ!」
立ち上がって顔を真赤にして私を指さす蒼樹。だが私はその問いに関してはこう答えるだけである。
「はい、佐伯様なら間違いなくそうすることを忠実に行っただけですから」
バンッ!
蒼樹は畳を思いっきり両手で叩き、なんとも言えない表情を浮かべた。
「では私は、誰に対して罪を償えと訴えればいいのだ。もうすでにこの世にはいない佐伯孝蔵にいくら声をぶつけても、それは届かないじゃないかっ!」
叫びの中に涙が見える。だがいくら蒼樹が泣き叫んだところで、事実を変えることはできない。
「蒼樹よ。お前はワシに何をさせたいのじゃ?」
端末から声がそう聞こえる。人工知能である佐伯孝蔵様はそのことを知りたいようだ。その声はさらに続く。
「お前と会うことが決まってから、お前の行動を逐一見ておったが。まだ蒼樹の心がわからん。教えてくれまいか?」
「お前になんか私の心がわかってたまるかっ!」
人工知能の佐伯様の声に、蒼樹はさらに声を荒らげた。まったく、論理的でないことを受け入れられない人種というのは困るな。
だが羽賀コーチがそれに対してこんなことを言い出した。
「蒼樹さん、今の気持ち、感情をそのままぶつけてみてはいかがですか? どうせならとことんこの人工知能と、そして佐伯孝蔵のコピーである飯島夏樹を困らせてあげては?」
どういうことだ? 私たちを困らせるとは。
羽賀コーチのその言葉で、蒼樹はゆっくりと顔を上げた。そして冷酷な目線で私たちを見つめた。
「いいでしょう。やってやりますよ。こうなりゃとことん。おい、人工知能の佐伯孝蔵、そして飯島夏樹。お前ら覚悟しとけよ」
私はここで、蒼樹から得も知れぬ恐怖を感じた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?