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コーチ物語 クライアント22「悪魔の囁き」その7

「なるほど、そういう不安を斉木さんが抱いているんですね」
「どうやらそうらしいです」
 羽賀さんのオフィス。私は今日三村くんから聞いたこと、そしてそれに対する自分の思いや考えを羽賀さんにもう一度話してみた。電話口で話すより、こうやって直接対面して話すと、さらに言葉が引き出されるな。これは安心して話していいという空間づくりができているからだろう。
「では一つお聞きします。吉武さんは斉木さんをどうしたいと考えているのですか?」
「どうしていって、そりゃ……そりゃ、あいつの中にいる悪魔を追い出してあげたいんです」
「悪魔? そういえば昨日もそんなことをおっしゃっていましたね。それ、もう少し詳しく教えてもらえますか?」
「はい。これはある人の講演で聞いた話なのですが。私達の中には悪魔がいるそうです。そしてその悪魔は私達にたった一語だけを囁くそうです」
「その囁きって、どんな一語なんですか?」
「それが『だけどなぁ』って言葉なんです。この言葉で私達の気持ちの中で、やろうと思っていたことが足止めされてしまうって」
「なるほど、それはわかります。私もクライアントにいくらコーチングを行っても、なかなか行動に移してもらえない時があります。そういうときにクライアントは必ずこういうんです。『だけどですね』って」
「その気持ち、よくわかります。やっていなかったことに対してつい言い訳をしてしまうんですよね。それが悪魔の囁きっていうので。私はその囁きを自覚しながらも、今まではついつい囁きに乗ってしまっていたんです」
「その悪魔のささやきが斉木さんを襲っている、ということなんですね」
「はい、あいつは自分ができないと思ったことはすぐに『だけど』っていって言い返してくるんですよ。まずはやってみようって気持ちになってくれないのが気になって」
「なるほど、吉武さんがPTA会長になると自分に仕事の負担がかかってくる。斉木さんはそれを回避しようと思ってしまう。吉武さんとしては、斉木さんにいろんなことにチャレンジしてほしい、そう思っているのですね」
「はい。どうしたらいいでしょうか?」
「そうですね……まずは斉木さんの思い、これは今は吉武さんの推測でしか無いと感じました。いかがですか?」
「まぁ、そのとおりですね。ちゃんと斉木と話したわけじゃありませんから」
「だったらどうしたらいいと思いますか?」
「そりゃ、斉木としっかり話をして、あいつの話を聴いてあげること、ですかね」
 羽賀さんは私の答えににこりと笑ってくれた。どうやら正解らしい。
「わかりました。まずは斉木の気持ちを聴いてみます」
「あ、そのときに一つだけ注意があります。斉木さんの話に対して、途中反論したくなるかもしれません。また言い訳をしたくなるかも。けれど、今回は『そうなんだね』と受け止めてあげてください」
「は、はぁ」
 羽賀さんの言いたいことが今ひとつつかめなかった。しかし、そのことはこのあと痛いほどよくわかった。
 会社に戻ってそうそう、三村くんが渋い顔をして私に近寄ってきた。
「社長、どこに行かれてたんですか?」
「まぁ、ちょっと」
「ちょっとじゃないっすよ。斉木さん、かなり腹を立ててますよ」
「えっ、斉木が? どうして?」
「必要なときに限っていなくなるんだからって。確かに、私もこの仕様書の件で社長に聞きたいことがあったんですけど。ここがわからないと、看板製作の作業が進まなくて」
 そう言って図面を見せてくる三村くん。口調はおとなしいが、斉木同様私が姿を消していたことには少しムッとしていたようだ。
 仕様書の件は単純な品番記載ミスなので、先方に確認をとって事なきを得た。だが問題は斉木だ。彼をどうすればいいのか……。私は恐る恐る斉木に話しかけてみた。
「悪いな、必要なときに姿を消してしまって」
「社長、困るんですよね。必要なときにいてくれないと」
「しかし、あのくらいは先方に確認を取れば済むことだから、私がいなくても気を利かせて処理して欲しかったけどな」
 この言葉がまずかった。斉木が怒涛のごとく反論をしてきたのだ。
「あのくらいって、いつも社長はわからないことは自分に確認をとってから進めろって言っていたじゃないですか。だから三村くんと二人で社長の帰りを待っていたのに。一体オレたちにどうしろっていうんですかっ!」
 しまった。確かに斉木の言うとおり、今まではミスがあってはいけないから、わからないことは一度自分に聞いてから進めるようにと指導してきたのに。このままではいけないと思って、三村くんを中心に仕事を進めてもらおうと、斉木に自分の判断で仕事を任せようと思っていた矢先の事だったからなぁ。
 さらに斉木の反論は続く。
「社長こそ、出かけるのならどこに行くかくらい言ってくださいよ」
「携帯に電話すればよかっただろう?」
「それも社長が言ったことじゃないっすか。図面のことは見ないとわからないから、電話で言われても困るって」
 確かにそう言っていた。まさかこんなところで問題になるとは。
 このとき思った。どうして斉木がこんなにまで私に対して反論をしてきたのか。羽賀さんのあの言葉だ。『そうなんだね』と受け止めなさい、である。今回の件は私に非がある。それをつい言い訳をしてしまったがためにこのようになってしまった。
 私は一度深呼吸をして。まずは素直に謝ろう、そう思った。このとき、私の耳に悪魔がこう囁いた。
「だけどなぁ、お前社長だろう。どうして社員にペコペコしなきゃいけねぇんだよ」
 この囁きは私にとってはとても強力なものだった。斉木にごめんなさい、と言いかけた所でこの囁きがきたものだから。動きが一瞬止まってしまった。
 斉木は黙って私を見ている。どうする? まずは自分がこの悪魔を追い出さなければ。そうでなければ斉木の中にいる悪魔を追い出すことなんかできない。
 私はパッと顔を上げ。そして斉木に思い切ってこの言葉を伝えた。
「斉木、私が悪かった。今回は私がちゃんとした指示をしていなかったせいで、二人に迷惑をかけてしまった。本当に申し訳ない。ごめんなさい」
 ここで心からのワビを入れ、深々と頭を下げた。そのあと、恐る恐る顔を上げてみる。すると不思議なことが起きた。先程まであれだけ仏頂面していた斉木が、逆に申し訳なさそうな顔をして私を見ているじゃないか。
「社長、そんな謝らなくても。いや、確かに今まで社長に頼りきってしまったオレたちも悪いんっすけど。でも、出かける時は一言どこに行くかくらいは言って欲しかったっすよ」
「あ、あぁ。次からは気をつける」
 なんなんだ、この拍子抜けした雰囲気は。けれど、私が悪魔の囁きに勝ったからこそできたことだ。そこは間違いない。

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