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Cafe Shelly 〜サンタの贈り物〜

あらすじ
飲んだ人が今欲しいと思った味がする魔法のコーヒーを淹れてくれる喫茶店、カフェ・シェリーが舞台の物語。三年前に事故で夫をなくした真理恵は、息子の裕貴が「パパをプレゼントして下さい」とサンタにお願いする姿に困っていた。真理恵とあるきっかけでは喫茶店のマスターと店員のルリ以外は信じられなくなっていた。だが、同級生の隆史はふざけながらも真理恵のことを見守っていた。そしてクリスマスイブ、カフェ・シェリーでのパーティーにサンタがやってきた。真理恵はそして裕貴はサンタに何をプレゼントしてもらえたのか。そして隆史の気持ちは真理恵に届くことができたのか?

 十二月、冬の寒さが厳しくなってきたこの日、私は街の中心部にほど近い、駅からそう遠くないところにある、細い路地に来ていた。
 車が一台通る程度の道幅。道の脇には歩道になるようにレンガ造りの花壇が何カ所か置いてある。花壇にはクリスマスを感じさせる真っ赤なポインセチアが咲いている。
 そして道はアスファルトではなくカラーのブロックを敷き詰めている。その色がカラフルで、私の心を踊らせるものがある。
 通りの向こうまでは三百メートル程度。両側にはブティックや雑貨屋といった店が並んでいる。どの店も派手さはなく、この通りにしっくりくるシンプルさがある。
 私はこの路地に来るのがとても楽しみ。なぜなら、その通りの中ほどには私が目指すお店があるから。
「Cafe Shelly……カフェ・シェリー」
 黒板の看板には、チョークでお店の名前とコーヒーのイラストが描かれてある。そしてこんな言葉も。
『あなたが心から信じられる人は誰ですか?』
「うふふ、ルリちゃん、今日はこんな言葉を書き残したのね。いつもあの子のインスピレーションには驚いちゃうのよね」
 黒板に書かれている言葉は、このお店の店員、ルリちゃんがその日に頭に浮かんだことを書いている。これがまた、なぜかいつも私にとってぴったりと当てはまる言葉になるんだよな。
 そんなことを思いつつ二階に上がる。
 カフェ・シェリー、ここは私の行きつけの喫茶店であり、心を癒す場でもある。ビルの二階にあるせいか、あまり目立たない。そのおかげで知る人ぞ知る隠れ家的な感じのお店。私にとってはその方がありがたい。人がごちゃごちゃいるところは苦手だしね。
カラン・コロン・カラン
「せ~んせっ、こんにちは」
 心地よいカウベルの音とともに、私は勢いよくドアを開けた。
「おぉ、真理恵か。おまえいい加減、先生って言うのはやめてくれよ」
 私の声に応えてくれた男性はそう言いながらも笑って私を迎え入れてくれた。
 お店に入ると、コーヒーと甘いクッキーの香りに包まれる。まるで異世界に飛び込んだ、そんな感覚を覚える。
 店内は茶色と白で統一されたシンプルな内装。特に飾りっ気はないけれど、その方が私の心を落ち着かせてくれる。
 耳をすませば軽快なジャズが流れている。音量は会話の邪魔をしない程度で、とても心地よい感じ。
 カウンターに四席、中央の丸テーブルに三席、そして窓際には半円型のテーブルがあり、そこには四席。十人も入れば満員になってしまう、とても小さな喫茶店だ。
「あ、真理恵さん、いらっしゃい。今日は裕貴くんは一緒じゃないの?」
 カウンターの奥からそう言いながら顔を出したのは、まだ若くてかわいらしい店員の女性、ルリちゃんだ。
「うん、今日は保育園にあずけてきちゃった。たまには一人で羽根を伸ばしたいときもあるのよね」
 裕貴とは私の四歳になる息子のことである。
「真理恵、いつものでいいのかな?」
「うん、シェリー・ブレンドをお願いしまぁす」
 このお店の看板メニューであるシェリー・ブレンドを注文する。
 ここのマスターは私の高校の頃の恩師である。といっても、もう十五年も前の話なんだけど。
 高校を卒業してからしばらくは先生と会うこともなかったが、私の結婚式で再会。実は私の結婚相手というのが高校の先生で、以前はマスターと一緒の職場にいたことがあるのだ。先生、いや、マスターにはそれ以来いろいろとお世話になっている。
 マスターが学校を辞めて喫茶店を始めたときから、私はこのお店の常連客となっている。
「真理恵さん、どうぞ」
「ありがとう、ルリちゃん」
 ルリちゃんは私の高校の後輩でもある。つまりルリちゃんもマスターの教え子だ。マスターは二十歳以上年の離れたルリちゃんと結婚をしたんだ。これにはさすがに驚いたけどね。
「う~ん、いい香り」
 私はシェリー・ブレンドの香りを楽しんでゆっくりと口に含んだ。
「真理恵さん、今日はどんな味がするの?」
 シェリー・ブレンドは飲むたびに味が変わる。まわりでは魔法のコーヒー、シェリー・ブレンドと呼ばれている。
 マスター曰く「コーヒーは薬膳である」ということ。これは、マスターが豆を仕入れているコーヒーの師匠から教わったことだという。
 その昔、コーヒーは薬として使われていて、その作用はその人が今欲しがっている機能を補うことができたらしい。
 今からやる気を出そうとしている人には興奮剤に。逆にゆっくりと落ち着きたいと思っている人には精神安定剤に。本物のコーヒー豆を使えば、その人が欲しがっている体の機能を回復する手助けをしてくれる。シェリー・ブレンドはその効果をさらに拡大したものらしい。
 シェリー・ブレンドは今その人が欲しがっているものの味がする。そのおかげで、今悩みがある人にとってはそのヒントがシェリー・ブレンドから得られる。人によっては、味だけじゃなく映像として頭にヒントが浮かんでくる人もいる。
 ちなみに、このシェリー・ブレンドの魔法は不思議なことに、マスターの淹れたものでしか味わうことができない。マスターの師匠も、他のコーヒールリスターも同じ豆でチャレンジをしたが、ただの美味しい普通のコーヒーでしかなかったということだ。
 マスター自身も、なぜ自分だけがこの魔法を使えるのかがわかっていない。どこにその秘密があるのかは未だに謎である。
 実は私も、何度もこのシェリー・ブレンドに助けられた。毎回飲むたびに味が違うので、いつも楽しみにしている。
「そうね、今日はちょっと懐かしい味かな。彼の、健介の胸に抱かれているって感じがする」
「そうか……もうあれから三年も経ったのか」
 マスターがボソリとつぶやいた。そう、もう三年も経ったんだ。私の夫、健介が交通事故で逝ってから。
 ちょうど三年前の、今日みたいな寒い日ことだった。車で学校へ通勤をしていた健介。その日は学校の行事の準備で夜遅く帰っていた。
「健介、遅くなるって連絡あったけど、何時に帰ってくるんだろう」
 まだ幼い裕貴を寝かせつけて、私は一人テレビを観ながら健介の帰りを待っていた。健介は先に寝てなさいと言っていたけれど、帰ってきて真っ暗な部屋なのは寂しいだろう。だから、私が笑顔で迎えてあげなきゃ。そう思って、うつらうつらしながらも健介の帰りを待っていた。
 だが、その眠気も一本の電話でかき消された。
「警察の者ですが、佐渡健介さんの奥さんで間違いないでしょうか?」
「あ、はい。佐渡の妻ですが」
「まことに申し上げにくいことなのですが、健介さんが事故に逢いまして」
「えっ!?」
 このとき、頭が真っ白になったのを今でも覚えている。
「それで、健介さんは市民病院に運ばれましたが……」
 警察の人はここで言葉を詰まらせた。そしてこの言葉を私に伝えた。
「健介さんの死亡が確認されました」
 何が起こったの?
 えっ、今何て言ったの?
 私の聞き間違い?
 けれど、その言葉は事実だった。警察は今から迎えをよこすので、本人確認をしてほしいとのこと。まだ私は何が起きたのかさっぱりと事態を把握することができないまま、パトカーで市民病院へと運ばれた。
 そしてそこで見たもの、それはまぎれもなく健介だった。いつもと違うのは、あんなに明るかった笑顔ではなく、もう呼んでも何も応えてくれない、ただそこに横たわっているだけのもの。
 そうして、私はようやく事態を飲み込むことができた。健介が死んでしまった。そのことを受け入れるのにかなりの時間がかかった。
 あとから警察から聞かされたことだが、交差点で信号無視の車が健介の車の運転席側に衝突。健介にはまったく非がなかったとのこと。しかも相手は飲酒運転をしていたという。
 健介の死後、私は周りからいろんなバッシングを受けた。旦那が死んで、保険金が山ほど入ってきたんだろうとか、健介にも非があるはずだとか、あることないことを言われてしまった。
 そのことに疲弊して、私は一時期うつ状態に陥ってしまった。ただでさえ健介の死で落ち込んでいるところに、身内でさえも私にお金の無心をしに来る始末。この先裕貴と二人でどうやって生活していけばいいのかわからなくなっていたのだ。
 そんな私を救ってくれたのがマスターとルリちゃんだった。マスターは学校の先生をやっていたときに、スクールカウンセラーとして活動をしていた。またルリちゃんもカウンセリング講座に通っている上に、セラピストとしての資格も持っていた。
 この二人が私の話を聴いてくれ、徐々に心が前向きになっていくのを感じることができた。
 さらにマスターは私の就職を紹介してくれたり、息子の裕貴の保育園を探してくれたりといろいろ面倒を見てくれた。
 そのおかげで今の私がいる。今では昔以上の元気で、今を精一杯生きることに全力を向けられるようになっていた。
「真理恵、仕事の方はどうなんだ?」
 昔のことをボーっと考えていた私にマスターがそう声をかけた。
「え、う、うん。クリスマスシーズンからは順調よ。おかげで仕事の日はちょっと忙しくて。裕貴とゆっくりお話しもできていないのよね。かわいそうだとは思うけど」
 私は今、郊外にある大型雑貨店で働いている。仕事ぶりが認められ、今ではパートさん達を束ねる主任の役割をいただいている。
 お休みは店休日である毎週水曜日。それが今日なのだ。
 本当なら休みの日こそ息子の裕貴とゆっくり遊んであげたいところなのだが。職場では遅くまで働き、家に帰ったら息子の世話。このところまったく自分の時間というのがとれていない。だからこそほんのわずかでいいから自分の時間が持ちたくて。こうやって一人でカフェ・シェリーに足を運び、現実を忘れようとしている自分がいる。
「だったら一緒に連れてくればいいのに。私が裕貴くんのお相手してあげるよ」
「ルリちゃん、ありがとう。でも今は裕貴からちょっと距離を置きたいって気分なのよね」
「あれ、何かあったんでですか?」
「うん、もうすぐクリスマスでしょ。裕貴ったらサンタさんに無理なお願いするんだもん」
「無理なって、どんなこと?」
「裕貴ったらね、パパをプレゼントして欲しいって言うのよ……」
 さすがのサンタもこればかりは無理な相談だ。でもパパが欲しい裕貴の気持ちもよくわかる。私だってできることだったらパパ、健介をプレゼントして欲しい。
「ねぇ、サンタって本当にいるのかなぁ?」
 私はふとそんなことを口にした。
「サンタか。真理恵はどう思っているんだい?」
「そうね、子どもにとってはサンタって本当にいるんだと思うのよね。一年に一度、自分の欲しいものを持ってきてくれる。そんな魔法のような存在。私の子どもの頃はそうだったなぁ。ルリちゃんはどうだったの?」
「サンタさんかぁ。私ね、こう思うの。姿形は子どもの頃に描いていたものとは違うけれど、サンタって大人になった今でもいるんだって」
「へぇ、どうしてそう思うの?」
「サンタさんを信じていれば、毎年必ずプレゼントが届いているからね」
 ルリちゃんはそう言ってマスターの方をちらりと見た。
「あは、ルリちゃんにとってのサンタさんは意外に身近なところにいるのかもしれないね。あ~、私にもサンタさん来ないかなぁ~」
カラン・コロン・カラン
 そのときカウベルが鳴って、お店のドアが勢いよく開いた。
「う~、さびさびっ。マスター、シェリー・ブレンド一つね。おっ、真理恵じゃねぇか」
「なんだ、隆史か。今日は仕事、さぼり?」
「バーカ、何言ってんだよ。こちとらこれから商談っていう立派な仕事があるんだよ」
 隆史はバカにしたような口調で私にそう言ってきた。そして図々しくもカウンターの私の隣に座ってきた。
「隆史さん、いらっしゃい。最近とても忙しそうね」
「ルリちゃん、ありがとう。いやぁ、さすがに年末になると結構文具が出ていくから。二代目のオレとしてもここは一踏ん張りしないとね」
 隆史は地元の文具店の二代目。お店も構えているが、仕事の多くは地元企業からの注文を取ってきては配達をするということらしい。ウチの店も隆史の文具店から事務用品を買っている。
 隆史は中学の時の同級生。中学の時の隆史はお調子者で、クラスの人気者だった。だからといって、決して女の子にモテていたわけではない。私は当時、野球部のキャプテンにあこがれていて、隆史なんて眼中になかった。
 そして高校に進学。私は女子校に行ったので、高校に入ってからは隆史と全く会うことはなかった。けれど、今のお店に勤め始めたときに事務用品の購入を通じて彼と再会した。
 それ以来、なぜか隆史は私に馴れ馴れしく話しかけてくるようになった。このカフェ・シェリーの存在を教えたのも私。以来、隆史は何度も足を運び、いつの間にかこのお店の常連客となっていた。
「ところで真理恵、おまえんとこのガキ、えっと……」
「裕貴よ。いい加減人の子どもの名前くらい覚えなさいって」
「そうそう、裕貴、ゆうき。その裕貴のクリスマスプレゼントって決まったのかよ? おもちゃならウチを通じて買えば卸価格で提供するぜ。テレビゲームとかは無理だけどね」
「裕貴のプレゼントかぁ……」
「なんだよ、浮かない顔をして。何かあったんか?」
「裕貴が欲しがっているもの、おもちゃだったらよかったんだけどねぇ」
「なんだよ、裕貴はどんなのが欲しいって言っているんだ? あ、わかった。ディズニーランドに連れて行けとか、どうせそんなことだろう?」
「それもちょっと困るけど、それよりももっと実現不可能なことなのよね」「あ、今度こそわかった。裕貴のヤツ、パパが欲しいとか言ったんだろう」
 隆史の言葉で私はドキッとした。
「パパならオレがなってやるって、いつもそう言っているだろう」
「な、なによっ。人の子どもの名前も覚えられないヤツにパパなんかになってもらいたくないわっ」
「おいおい、そんなにムキになるなよ」
 隆史はいつの頃からかよく冗談でそんなことを言い出していた。いつでもパパになってやるからな、だと。
 私は当然そんな言葉を真に受けてはいなかった。というよりも、今は人の言葉があまり信じられないというのが本音だ。信じられるのは恩師でもあるここのマスターとルリちゃんくらいなもの。
「ふぅ~っ」
 私は大きなため息をついた。
「人を信じられないから、サンタも信じられないようになったのかな……」
「真理恵、まだあのことを気にしているのか?」
「気にするなって方が無理な話よ!」
 私は隆史にちょっと八つ当たり。
「あんなヤツのこと、早く忘れろよ。確かにヤツは、慎二はお前に優しかったさ。でもその優しさにまさかあんな裏があるなんて、オレも、そしてマスターでさえも見抜けなかったんだから」
 慎二、か。もう思い出したくもないことだ。
 健介が死んでから、私はがむしゃらにがんばってきた。でもその頑張りが逆に私の体を蝕んでしまった。
 ある日、私は過労で倒れて県立病院に運ばれた。その時の担当医、それが慎二だった。歳は四十でとても頼れる男性だった。
 そして慎二は私が退院してもときどき連絡をくれて体を気遣ってくれた。聞けば独りでアパートに住んでいると言うこと。私もお礼がてら、ときどき慎二に手料理を持っていくようになった。そしてお互いに時間を合わせて外で会うようになった。
 このカフェ・シェリーには何度も連れてきた。慎二の存在は私の枯れた気持ちを生き返らせてくれた。マスターもルリちゃんも、そして隆史も慎二のことを歓迎し、いつも楽しく会話をしてくれていた。
「いつも手料理をありがとう。今度はボクが君を楽しませてあげるから」
 そう言って何度か私に迫ってくる慎二。それが何を意味しているのか、子供じゃないんだから私にもわかっていた。
 しかし私の胸の中にはまだ健介がいた。だからこそ、慎二とはずっと健全なおつきあいをしてきた。どこかで吹っ切らなきゃ。そう思いつつも、一線を越えることはなく慎二との付き合いは続いていた。
 しかしそれも一年前のあのことで全て終わりになった。
「まさか、慎二に奥さんがいたなんてね…」
 私はボソリとつぶやいた。そう、彼は奥さんと離れて単身赴任をしていたのだ。それがわかったのは、私が慎二のところに、いつものように手料理を持っていったときだった。
 突然奥さんが訪ねてきた。手には離婚届を持って。そのとき、慎二と奥さんは事実上離婚状態だったとか。
 そのことを奥さんから聞かされ、そして
「あなた、あとは慎二のことよろしくお願いね。慰謝料は請求しないでおくから。というよりも、あなた、慎二に騙されていたんでしょ?」
とあっさり言われた。
 そのとき私の中で何かがはじけた。慎二は私を愛していたのだろうか。それを確認するように私は慎二を見つめた。だが慎二の目線は奥さんを追っていた。慎二は奥さんに未練があったようだ。
 どうやら私は慎二のいっときの寂しさを紛らわせるための道具に過ぎなかったみたい。そのことがわかった瞬間、私は慎二の部屋を飛び出していた。
 それから一度も慎二とは会っていない。風のうわさでは、単身赴任の任期も終えて元の病院に戻ったとか。
 そのことがあって以来、私に優しさを見せる人を安易に信じられなくなった。マスターとルリちゃん以外には。今目の前にいる隆史も、ふざけあうことはしても男女の仲にはなろうとは思えない。隆史なりに私に気を遣ってくれているのはとても感じてはいるのだが。
 こんな感じで人を信じられなくなった私がサンタを信じろ、というのが無理な話だ。
「あ、いい香り」
 自己嫌悪に陥りそうな私の気持ちを取り戻してくれたのは、焼きたてのクッキーの香りだった。
「うん、上出来♪」
 ルリちゃんが上機嫌でオーブンからクッキーを取りだしている。このクッキーはカフェ・シェリーでも評判の、自家製のもの。
 マスターの妹さんはお菓子屋さんをやっていたことがあって、ルリちゃんは学生時代にそこでアルバイトをしていたということ。そのときにクッキーやマドレーヌといった焼き菓子の作り方を伝授され、その腕をこの店で振るわせている。
「はい、どうぞ」
 そう言ってルリちゃんは私と隆史に一枚ずつクッキーを差し出した。
「いいの? これ、売り物でしょ」
「お、うめぇなぁ。さすがはルリちゃんだ」
 私の気遣いをよそに隆史はクッキーをほおばっている。
「あは、うれしいな。私ね、こうやって自分が作ったもので人が喜ぶ顔を見ると、またがんばろうって気になれるの。だからこうやって出来たてをお客さんに差し出してるの。その代わりに一枚だけだけどね」
「そうなんだ。せっかくだから裕貴のおみやげに一つ買っていくわね」
「真理恵さん、ありがとう。今の真理恵さん、私にとってはサンタさんだよ」
「え、それどういうこと?」
 ルリちゃんが言う「私がサンタ」という意味がよくわからなかった。きょとんとしている私をみて、今度はマスターがこう語ってくれた。
「ルリはね、こうやってクッキーやお菓子を焼くときに必ずこんなひとりごとを言うんだよ。私のつくったお菓子でたくさんの人が笑顔になれますように。そしてその笑顔をみることで私にも幸せを感じさせて下さい、ってね」
「うん、今の真理恵さんの笑顔と、そしてクッキーを買ってくれたことで裕貴くんが笑顔になれるって思ったことで、私は幸せを感じられるの。だから私に幸せを運んでくれた真理恵さんが、今の私にとってはサンタさんなんだよ」
「そう言われると私も嬉しいな」
 このカフェ・シェリーで会話をすると、いつも心が和む。ここに来るお客さんたちはこうやってマスターとルリちゃんを取り囲んだ会話で心の洗濯ができる。
「お、そうだそうだ。真理恵、クリスマスイブの夜にここでパーティーやるんだけど来るか? パーティーといってもそんなに派手じゃないけど。隆史くんもどうだい?」
 マスターからの突然の申し出。
「え、マスター、オレもいいんですか? もちろん行きますよ!」
 隆史は二つ返事で大喜び。
「イブの夜かぁ……仕事が終わるのがちょっと遅くなるけど」
 私はちょっとためらった。クリスマスイブの日は仕事の性格上どうしても忙しくなる。しかし理由はそれだけではない。
 マスターとルリちゃんとだけだったら息子の裕貴を連れて喜んで行くところ。けれど隆史や他のお客さんも一緒というのは今ひとつ馴染めない。昔はそうじゃなかったのに。やっぱり慎二の件が心に引っ掛かっているんだろうな。
「遅くなるんだったら、オレが迎えにいってやろうか?」
 私が考え込んでいるのを見て、隆史がそう提案してきた。隆史は私がもっと別のことで悩んでいることを知らない。まぁ当然だけど。
「そうね、考えとく。じゃ、マスターごちそうさま。そろそろ裕貴を迎えに行くわね」
「なんだよ、もう帰るの?」
 隆史は名残惜しそうにそう言った。私だって本当はもうちょっとここにいたい。けれど今はなんとなくここを去りたい気持ちが強くなった。
「真理恵、クリスマスイブのパーティー参加の返事はいつでもいいから。もちろん裕貴くんも連れてこいよ。プレゼント用意して待っているぞ」
「先生、ありがとう。じゃ、ルリちゃんもまたね」
 私は足早に店を出て行った。
「クリスマス……か。人を信じ切れないこの私にサンタさんなんて本当に来るのかしら……」
 そんなことを考えながら、私は街中をぶらつきながら保育園へと向かった。
「ゆうき~、むかえにきたよ~」
 保育園に着くと、先生がすぐに私の元へ。そこで先生がちょっと気になることを言ってきた。
「ゆうきくん、サンタさんにはパパをお願いするんだって言っているんですよ。でもお友達からは、いくらサンタさんでもそんなのできっこないって言われて。それでケンカになっちゃって」
 それを聞いて私の胸はズキンとなった。
「ケンカって、相手を傷つけちゃったんですか?」
「いえ、そこまではなかったんです。ただお友達と言い合いになってしまって。私達が止めに入ったので大事にはなりませんでした。でも、寂しげなゆうきくんがどうしても気になってしまって」
 裕貴はパパの、健介のことは写真でしか知らない。私も裕貴がまだ小さかった頃はよく健介の話をしたけれど、健介が死んだのは裕貴がまだ一歳だったから実際に覚えているわけがない。慎二と出会ってから健介の話しをすることがなくなったし。
 だから裕貴は本当のパパである健介のことはよく覚えていないはずだ。なのに、やはりパパという存在に憧れをもっているのだろう。
「ママ~」
 保育園の奥から元気な声で駆け寄ってくる裕貴。
「ママ、あのね、サンタさんはパパをつれてきてくれるよね」
 何かを訴えるような目で私を見つめる裕貴。でも私はどうしてもその答えを口に出すことができない。私だって健介以外の男の人を信じて、そしてそれにすがってみたい。一人で強がって生きていたくない。でもどうしても今は誰も信じられない。誰かを頼ることなんてできない。
「サンタさん、か……」
 そうつぶやくので精一杯だった。
 それからというもの、裕貴はことあるごとにサンタさんへのお願い事を口にしたり、たどたどしい文字で手紙を書いたりしていた。
「サンタさんへ。パパをプレゼントしてください」
 一生懸命に書いたこの手紙を目にしたときに、私はどう答えればいいのかわからなくなった。健介はもういない。それは裕貴にもわかっているはずだ。けれど、会いたいという気持ちを無理に否定することもできない。
「そうね、パパに会えるといいね」
 そう答えるのが精一杯。そんな日々を過ごしていった。
 そうして気がつけば明日はクリスマスイブ。雑貨店としては一番のかき入れ時で忙しさも倍増。私はその波にのまれながらもなんとか仕事をこなしていた。
 あれから休みが取れなくてカフェ・シェリーには足を運んでいない。そういえばクリスマスイブのパーティーへの参加連絡もしていないな。どうしよう。そう思ったときにバックヤードの奥から聞き慣れた元気な声が聞こえてきた。
「はい、じゃぁファイルをひとケースですね」
 うちのマネージャーと会話をしているのは文具の御用聞きに来ている隆史だった。隆史はマネージャーとの会話が終わると、私の姿を見つけて一目散に駆け寄ってきた。
「よぉ、あれから元気だったか? マスターが心配してたぞ」
「うん、お店の方が忙しくてね」
「真理恵、おまえカフェ・シェリーのクリスマスパーティー、行くんだろ?」
 行くんだろ、と言われても気持ちの上ではなかなか返事が返せなかった。なのに口の方が勝手にこんな言葉を発していた。
「う、うん。この日は夜八時まで仕事だけど。それからでよければね」
 自分でもなぜそう言ったのかはわからなかった。
「でも、裕貴はどうしよう? 明日は遅くなるから、おばあちゃんにお迎えをお願いはしているんだけど」
 私の実家は今住んでいるところから少し離れたところにある。私が忙しいときには実家の母が裕貴の面倒を見てくれている。しかし、健介が死んだときに保険金が入ったことで、お金の無心をしてきたほどの親だ。心から信じて裕貴を預けることはできない。
 とはいっても、クリスマスイブは私も帰りが遅くなってしまう。そのため、先日クリスマスイブの日の保育園のお迎えを頼んだら
「クリスマスくらいは子どもと一緒にいてあげられないのかねぇ」
と少し嫌みを言われてしまった。私の母は時々ひとりごとのように私に対して嫌味を言うことがある。これは私に対してのお金の無心を断ったからだ。
 嫌味なら私に向かってハッキリと言ってくれたほうがスッキリするのに。陰で何を言われているかわからないと思うと、なおさら実の母でさえ信じられなくなる。
「よし、オレが裕貴を迎えに行ってあげるよ。先にカフェ・シェリーに預けておけば、ルリちゃんや他のお客さんが遊んでくれるだろう。その後時間をみて真理恵を迎えにいくよ」
「え~、でもお店はパーティーの準備で忙しいんじゃないの。裕貴、じゃまにならないかなぁ」
「大丈夫。そんときはオレが責任を持って遊んであげるからさ。ね、そうしようよ」
 隆史の提案はとてもうれしかった。素直にそれを受け入れてありがとうって言えればいいのに。
 私が黙り込んでいると、隆史は明るくこう言ってくれた。
「よし、決定! 保育園には明日オレが迎えに行くって伝えておいてくれよ。じゃないと誘拐犯に間違われちゃうからな」
「え、あ、うん、わかった」
 私は隆史の勢いに押された形で思わず返事をしてしまった。隆史は私の返事を聞くと、スキップをして店を出て行った。
 逆に私はふぅっとため息。自分の気持ちは本当にクリスマスパーティーに行きたかったんだろうか。行ってみたい気持ちはすごくある。私だってパーティーではしゃいでみたい。でも、そんな自分を他人に見せるのがなんとなくイヤ。本当の自分の姿を人に見せたくない。
「うそつき!」
 え、誰?
 私はあわてて周りを見回した。
 けれどお店の隅にいた私の周りには誰もいない。しかし、確かに今私の耳には「うそつき」と聞こえた。
 一体誰の声?
 うそつき、私が?
 そう、確かにうそつきかもしれない。私は本当は自分を多くの人に見てもらいたい。そしてもっとかまってもらいたい。そのためには人を信じて、疲れたときには人に甘えてみたい。もっと素直に自分を表現してみたい。なのに私は何に意地を張っているんだろう。
「真理恵さん、レジお願い」
 マネージャーの声で私は我に返った。そうだ、今はそんなことを考えている場合じゃなかった。私は再び忙しさという海の中にダイビングをするようにレジに向かって走っていった。
 そしてクリスマスイブの日の朝を迎えた。
「わかった? 文具屋さんのたかしおじちゃんがむかえにくるから。それからルリねえちゃんのいるコーヒーやさんにいくんだよ。ママはおしごとがおわってからいくからね。いい子にしているんだよ」
「うん、わかった! ぼく、いい子にしてる」
 私は裕貴に今日のことを説明した。裕貴はルリちゃんが大好きで、カフェ・シェリーに行くといつもニコニコ顔になる。今日ももちろんにっこりと笑ってくれるだろうと思ったのだが、今ひとつ乗り気でない顔つき。その理由はやはりこれだった。
「ねぇ、ママ、いい子にしてたらサンタさんきてくれる?
 ボクにパパをつれてきてくれるかなぁ。おもちゃもおかしもいらないから。サンタさん、パパをつれてきてほしいなぁ」
 つぶらな瞳で私をじっと見つめる裕貴。そんな裕貴を見ていたら、胸の奥から何かがこみ上げてくる。私は裕貴をギュッと抱きしめて、そっと耳元でこう伝えた。
「うん、きっと来るよ。いい子にしていたらサンタさんきっとくるよ」
「じゃぁ、ママもいい子にしてね」
「えっ?」
「だって、パパはママのところにもくるんだよ。だからママもいい子にしていないとサンタさんはママのところにパパをつれてきてくれないんだよ」
「そうだね。うん、そうだね」
 裕貴は私の心を映し出す鏡のようだった。
 本当は私だって誰かにすがって生きていたい。心から人を信頼して、自分の心を楽にしていたい。そんなパートナーが欲しい。
 死んだ健介は本当にそんな存在だった。けれど健介はもう戻っては来ない。そして、マスターとルリちゃん以外に心から信じることができる人なんて私にはいない。
「ゆうき、ママもいい子にしてるからね。だからサンタさん、きっとくるよ」
 これは裕貴にではなく自分に言い聞かせた言葉。本当は私にも頼れる人が欲しい。心から信じられる人が欲しい。そして、そんな人が裕貴のパパになってくれれば。そんな思いが頭に渦巻いていた。
「よし、いこうか!」
「うん!」
 こうしてクリスマスイブの朝、私は裕貴を保育園に預けて戦場となる職場へと向かった。
 この日はクリスマスプレゼントの最終戦。朝から地獄のような忙しさだった。店内はクリスマスプレゼントを購入するお客さんがひっきりなしにやってくる。しかも、プレゼント用の包装をするという手間までかかってしまう。
 気がつけば閉店時間の午後七時。スタッフもだいぶ疲れてはいるが、若い子はこれから友達や彼氏とクリスマスを楽しむという。
「真理恵さんはこのあとどうするんですか?」
 片づけの最中、アルバイトの大学生にそう聞かれた。
「あ、うん。行きつけの喫茶店のパーティーに誘われているから」
「あれ、加藤さんとデートじゃないんですか? 昨日、加藤さんが迎えに来るとかっていう話をしてましたよね」
 加藤さんとは隆史のこと。どうやら昨日のやりとりを見られていたらしい。
「あ、加藤さんも行きつけの喫茶店の常連さんだから。二人でデートってわけじゃないのよ」
「へぇ、そうなんですか? いつも仲良く話しをしているから、加藤さんっててっきり真理恵さんの彼氏じゃないかと思っていたんですけどね」
「あはは、あっちが勝手に親しげにしてるだけだよ」
 口ではそう言ったものの、そう言われて悪い気はしなかった。
 隆史はノリが軽いところはあるけれど、仕事は一生懸命で信頼感はある。この歳まで独身だったのは、本人曰く仕事一筋だったからということらしい。
「まりえ~っ、おわったかぁ~?」
「あ、うわさをすればなんとやら。真理恵さんお迎えですよ」
 もう少しで片づけも終わろうというところで隆史が登場。
「まったくもう、あいつは少しは空気を読めってのよ。こっちはまだスタッフみんなで片づけしているところなのに。別にあいつとデートをしようってわけじゃないんだからね」
 私はみんなに聞こえるように、わざと大きな声でそう言った。ちゃんと言い訳をしておかないと後で何をうわさされるかわからないからね。
「真理恵さん、こっちはもういいよ。あとはボクの方でやっておくから。加藤さんがせっかく迎えに来ているんだから行っておいで」
 マネージャーが気をつかってそう言ってくれた。
「いえ、仕事は最後までやりますよ」
「大丈夫。ほら、行っておいで」
「で、でも……」
「真理恵さんはいつも最後まで残ってくれているんだから。今日はボクたちが真理恵さんにお返しする番だよ。こんなことしかできないけれど、これがボクたちからのクリスマスプレゼント。さ、加藤さん待ってるよ」
「あ、ありがとうございます」
 心の奥がなんだかジーンときた。私はみんなにお礼を言って、バックヤードで待っている隆史のもとへ向かった。
「真理恵、おつかれさま。マスターが真理恵にって、これ」
 隆史が差し出したのは保温のできる水筒。
「疲れた体を癒すのに、特製のシェリー・ブレンドだって」
「ありがとぉ」
 こんなときにはシェリー・ブレンドはとてもありがたい。私は車の中で早速シェリー・ブレンドをいただいた。
「今日の味はどんなだい?」
「うん。疲れが吹き飛ぶって感じ」
 仕事から解放された安堵感と、これから楽しもうという期待感が入り交じった感覚だ。下手なドリンク剤よりも、何倍も効くって気がするな。まさにコーヒーって薬膳なんだなって思った。
 そして、せっかくなのでもう一口。
「えっ、なに?」
 このとき今までにない不思議な味わいが口の中に漂ってきた。何、この味。
 隆史は私が妙な顔をしているのに気づいたようだ。
「どうした?何か不思議な味でもしたのか?」
「な、何なの。私、どうかしちゃったのかしら」
 するとその瞬間、なぜか目の前の景色がうまく見えなくなった。目の前がうまく見えない理由はすぐにわかった。私の目に、涙があふれていたからだ。
「真理恵、どうした?」
 私の様子がおかしいのに気づいて、隆史はそう聞いてきた。
「ううん、なんでもない」
 そう言いながらも私はハンカチで涙をぬぐう。
「おまえ、泣いているのか?」
「うん、どうしちゃったのかしら。シェリー・ブレンドを飲んで泣いちゃったのって初めて……」
 今まで幾度となくシェリー・ブレンドを飲んできたが、こんなことは初めてだった。悲しいわけでもないのに、涙が勝手に溢れてくる。
 そんな私に気をつかったのか、隆史は黙ったまま車を走らせてくれた。そうしてカフェ・シェリーに到着。
「あ、ママー!」
 私の姿を見るなり、裕貴は駆け寄って抱っこをせがんだ。
 店は顔なじみの常連客とマスターとルリちゃんを合わせて十名ほど。こぢんまりとはしているが、みんなとても楽しそうな笑顔だ。
「ゆうき、いい子にしてた?」
 裕貴の頭をなでながら、私はそっと裕貴を抱きしめた。
「ママ、おかおがつめたぁい」
「ごめんごめん」
「裕貴くん、とってもいい子でしたよ。ルリ姉ちゃんのお手伝いもしてくれたしね」
 ルリちゃんがそう報告してくれた。
「うん! サンドイッチ、いっしょにつくったんだよ」
「すごいねー。どれどれ、ママにも裕貴がつくったサンドイッチ食べさせてよ」
「うん!」
 裕貴が張り切ってサンドイッチを取りに行く。
「真理恵、おつかれさま。一杯飲むだろう?」
 交代でマスターがビールとグラスを持ってきてくれた。
「ありがとうこざいまーす。じゃぁ、いただきまーす」
 私は差し出されたグラスを手にして、つがれたビールを一気に飲み干した。
「特製のシェリー・ブレンドありがとう。でもちょっとおかしな事が起きたのよ」
「ん、どうしたんだ?」
「最初に一口飲んだときには、疲れが吹き飛ぶ爽快感って感じがしたの。これは仕事で疲れていたからだってのはわかるのよ。でも次に飲んだときに、なぜだか涙が出てきちゃって……今までこんなことなかったのに」
「そうか。真理恵はそれをどうとらえる?」
「わからない。それがわからないのよ。私は何を欲しがっていたんだろうって、あの涙はどんな意味があるんだろうって考えちゃった」
「そうだな。真理恵は今までどんなときに涙を流したのかな?」
「いろいろあるわよ。一番最近泣いたのは、慎二と別れたときだったかな。そして一番たくさん泣いたのは健介が死んだとき……あ、いや、あのときはあまり泣かなかったなぁ」
 今思えば健介が死んだときには私はあまり泣かなかった。その理由の一つは、現実を受け入れることができなかったこと。そしてもう一つの理由は、ここで自分が弱い人間であることを人に見せたくなかったこと。
 思えばこの頃から私は周りの人に対して意地を張って生きてきたような気がする。
「考えてみたら、心の底から涙を流したってことないかもしれないなぁ」
「そうか。じゃぁ昔はどうだったんだ?
 そういや真理恵は高校の頃は泣き虫だったような記憶があるな」
「やだぁ、先生ったら。あの頃はまだ私も純粋で若かったのよ」
「そういや真理恵が一番泣いたの、覚えてるぞ。確か文化祭の打ち上げ式の時だったな。真理恵はずっと文化祭の実行委員として、裏方で目立たない仕事を地道にやってきたんだよな。舞台裏で指示を出したり、校内の掲示物をチェックしたり、みんなが気持ちよく文化祭を過ごすために一生懸命だったよな」
「うん、あのときは文化祭が終わったと思った瞬間、なんだか涙があふれてきちゃって。感動したというか、使命を果たし終えた安堵感というか。あれ以来、あんなふうに涙を流した事ってなかったかも。自分に素直じゃないのかな……」
「真理恵さん、ワインいかが?」
 カウンターでマスターと話をしているところに、ルリちゃんがワインを差し出してくれた。
「あ、ありがとう。いただくわ。そういえばルリちゃんって最近どんなことで泣いた?」
「え、私ですか? う~ん……そうねぇ、この前見た映画、あれは感動して泣けたなぁ。あれはマスターも思いっきり泣いてたもんね」
「いやぁ、あの映画は久々に泣けたなぁ。真理恵は映画とか見て泣かないのか?」
「最近はダメね。泣きたいけれど、ここはガマンしなきゃって思っちゃうのよ」
「真理恵、おまえうそつきだろう?」
「えっ!」
 マスターのこの言葉に、私はビックリした。そう、この前どこからか突然聞こえてきた「うそつき」という言葉。ひょっとしてあの言葉は今のマスターの言葉だったのだろうか?
「マスター、それはちょっと、いくらなんでも……」
「いいのよ、ルリちゃん。それよりも教えて。うそつきってどういう意味なの?」
 私はマスターの言う「うそつき」の意味が知りたくてたまらなかった。
「真理恵、自分でもうすうすは気づいているだろう。何に対してうそをついているのか」
「うん……」
 私はわかっていた。わかっていたけれどそれを認めたくはなかった。でも、マスターとルリちゃんにならそんな自分をさらけ出すことができる。そう思った。
「私、どうしても自分の気持ちとは違うことを言ったりやったりしちゃうのよ。だから泣きたいのに泣かないって思ったり、人に意地を張ったり。そうしないと自分が壊れてしルリそう。もう人にはだまされたくはないから」
「もう人にはだまされたくない。そうか、自分を守るため、か」
「自分を守るため……」
 マスターの言葉を私は復唱した。
「そう、自分を守るため。無防備に自分自身をさらけ出してしまうと、そこにある弱みをパクリと食べられちゃう。だから自分を守るためのバリアーを張らなきゃいけない」
 私は頭に浮かんだ言葉を口にしてみた。
「そのバリアーが自分へのうそってこと?」
 ルリちゃんがそんな質問をしてきた。
「そうだな。敵を欺くにはまず味方から、ってことになるかな。自分自身にうそをつかないと、周りの人をごまかすことはできないからね」
 私の代わりにマスターが答えてくれた。まさにそのとおりだ。けれど、こんな疑問が湧いてきた。
「じゃぁ、私はこの先自分を守るためにずっと自分にうそをついていかなきゃいけないの? それ以前に、人ってそうしないと、うそをつかないと自分を守れないものなの?」
 思わずマスターに詰め寄った。
「真理恵、おまえは私やルリにうそをついたことがあるか?」
「ううん、ない」
 それだけは言える。マスターやルリちゃんにうそなんかついたことはない。虚勢を張って自分を守ろうとしたことなんかない。それどころか、ここだけが私の憩いの場だと思っているのだから。
 そのことを伝えると、マスターはこんなことを言った。
「真理恵、そう言いながらもお前は一つだけ私とルリにうそをついているぞ」
「え、私うそなんかついていないよ」
「いや、残念ながら真理恵自身も気づいていないうそをついているんだよ」
「自分も気づいていないうそって?」
 私はマスターの言う「うそ」が何なのかを知りたくてしょうがなかった。しかしそれを知るのはこの一言で後回しになってしまった。
「ママー、あっちでおりょうりたべよう。ぼくのつくったサンドイッチたべてほしいな」
 裕貴が私を誘いにきた。裕貴が指差す方を見ると、隆史を始め常連さん達が私のことを待ちわびていた。
「うん、わかった。先生、私のついているうそ、後から教えてね」
「いや、教えなくてもそのうち気づくよ」
 マスターの「そのうち気づく」という謎の言葉が気になりつつも、裕貴が引っ張っていく方へと足を向ける私。とりあえずこの場は雰囲気を壊さないようにみんなとおしゃべりと食事を楽しむことにした。
 その後、パーティーも一段落。
「よし、みんなコーヒーでも飲むか?」
「おっ、そりゃいいね。マスター、シェリー・ブレンドお願いね」
 常連の一人がマスターの声にそう応えた。
「わかってるよ。今日のシェリー・ブレンドは特別製だぞ。ルリ、手伝ってくれ」
「は~い」
 マスターとルリちゃんはカウンターでコーヒーの準備。裕貴は疲れたのか、私のひざの上で眠っている。
 私は裕貴の頭をなでながら、マスターが言った「自分でも気づいてないうそ」について頭をめぐらしていた。
「はい、真理恵さん」
 私がぼーっと考えていたら、ルリちゃんがシェリー・ブレンドを持ってきてくれた。
「あ、ありがとう」
 早速一口。
「ん、おいしい。疲れた頭がよみがえるって感じね」
 お酒が入っていたせいもあったのだろう。さっきまで頭がうまく回らなかったのが、シェリー・ブレンドのおかげでシャキッとなった感じがした。
「今日のシェリー・ブレンドはいかがですか?」
 マスターがみんなにそう尋ねた。すると真っ先に隆史が手を挙げてこんな答えを返した。
「はいっ。なんだか勇気が湧いてきました。心の奥からみんなの応援が聞こえてきた気がしますよ」
 隆史ったら何を言っているんだろう。突然変なことを。
 しかし、常連の一人が突然こんな声をあげた。
「がんばれよ、隆史!」
 一体何をがんばるの?
 私がキョトンとしていると、なんと隆史が私の方へどんどん歩いて来るじゃない。え、一体何なのよ?
 その顔は今まで見たことないくらいとても真面目な顔。
 隆史は私の前で立ち止まり、一度ネクタイを整える。
「隆史、どうしたの?」
 隆史の突然の行動、意味がわからない。隆史はなぜだか緊張して私の方をじっと見つめている。そして意を決したようにおもむろに口を開き始めた。
「ま、真理恵……いや、真理恵さんっ」
「隆史、一体どうしたの?」
 隆史は私と向かい合い、一拍おいて今度は私の両肩に手を当ててきた。
「今まで真理恵のことをずっとみてきた。友達としておまえのことを支えていこうと思っていた。おまえと、そして裕貴の二人を幸せにしたい。だんだんその気持ちが大きくなってきた。だから……だから……」
 え、なに。これってひょっとして……まさか?
「だから、オレと結婚してくれ。今度はふざけて言っているんじゃない。心から本気で言っているんだ」
「ちょ、ちょっと待って……」
 突然の出来事に私は何がなんだか頭がパニック。でも私の混乱を落ち着かせてくれたのは、マスターのこの言葉だった。
「真理恵、ゆっくりとシェリー・ブレンドを飲んでごらん」
 私はマスターの言うとおりに、飲みかけだったシェリー・ブレンドを口にした。このときにあの感覚が私に再び訪れた。そう、ここに来る前に隆史の車の中でシェリー・ブレンドを飲んだときのあの不思議な感覚。気がつくとまた涙が出てきた。
「真理恵、今どんな感じだ?」
「先生……わかった、私わかった。ここに来る前になんで涙が出たのか。そして今どうして涙が出ているのかも。私、これが欲しかったんだ……」
「真理恵、一体何が欲しかったんだ?」
 隆史が心配そうな顔で私をのぞき込みながらそう聞いてきた。私はひざで眠っている裕貴の頭をなでながら、ほほに伝わる涙を手でぬぐって隆史に精一杯の笑顔でこう答えた。
「私ね、私、今気づいたの。私、自分の心にずっとウソをついていた。こんな気持ちを感じたいのに、感じちゃいけないってウソついてた。でもわかったの。今、嬉しいって感情なんだって。そしてやっと思い出したの。心の奥から嬉しい時って、こうやって涙があふれてくるものだってことを。私、これが欲しかったんだ。だから私、今自分に正直になれる」
「真理恵……じゃぁ……」
「うん。自分に正直になれたのは隆史のおかげ。隆史がずっと私のことを見守ってくれたから、今ようやく自分を取り戻すことができた。だからこの先もずっと私のことを見守って欲しい。ずっと私のそばで。そして裕貴のことも。裕貴のパパになって、ね」
 この瞬間、見守っていてくれた常連客から大きな拍手が。その音のせいと、ただならぬ雰囲気を感じたのか裕貴がゆっくりと目を覚ました。
「ん……パパ?」
 裕貴は何の夢を見ていたのだろうか。寝言のような言葉だったが、隆史は裕貴を抱き上げてこう言ってくれた。
「うん、今からオレが裕貴のパパになるんだよ」
 その言葉に裕貴はパッと目を覚まして、その目を輝かせた。
「わぁ、サンタさんほんとうにきてくれたんだ!」
「そうだね、サンタさんゆうきのところにきてくれたね」
「じゃぁ、ママのところにもサンタさんきてくれたんだ。ママ、いい子にしてたもんね」
 裕貴の言葉に周りのみんなは大笑い。私もつられて、涙を流しながら一緒に笑った。

 パーティーも一通り終わり常連さん達はみんな家路についた。残ったのはマスターとルリちゃん、私と裕貴、そして隆史の五人。
 私は後片づけを手伝い、隆史はもう一度夢の中にいる裕貴を抱っこしてくれている。テーブルを拭きながら私はルリちゃんにふと疑問に思ったことを質問してみた。
「ねぇ、カフェ・シェリーでクリスマスパーティーやるのって初めてだよね。今年はどうしてこんな企画をしたの?」
「え、そ、それはね……」
 なぜだかルリちゃんがとまどっている。ルリちゃんは助けを求めるようにマスターに目で合図を送った。
「あはは、隆史くん、もうバラしてもいいかな?」
 マスターが隆史に何やら許可を求めた。でもどういうこと?
 隆史はマスターの言葉に照れ笑いしながらも軽くうなずいた。
「実はね、隆史くんがお願いをしてきたんだよ」
「え、隆史が?」
「真理恵にプロポーズしたいから力を貸してくれって。だから私から、クリスマスパーティーを開いて、そのときにプロポーズをしてみるのはどうかなと提案したんだ。サプライズにもなるしね」
「ってことはひょっとしてこのことは他のみんな知ってたの? だからあのとき、頑張れって声援が出たんだ」
「真理恵、ごめんっ」
 隆史が申し訳なさそうに謝っている。
「まったくもう。でもいいわ、許してあげる」
 いつもなら隆史に文句を言うところだけれど、今回はそんな気にはなれない。
 裕貴を抱っこした隆史をにっこりと笑って見つめた。こうやってみると隆史もすっかり裕貴のパパだ。
「あーっ! 大事なことを忘れてた!」
 突然隆史が大きな声を。
「ど、どうしたのよ」
「ルリちゃん、裕貴をお願いしていいかな?」
「あ、はい」
 隆史は腕の中でぐっすり眠っている裕貴をルリちゃんに預けた。そしてなにやらポケットの中をごそごそ。そして……
「あらためて言うぞ。オレは裕貴のパパになる。だから真理恵、オレと結婚してください」
 深々と頭を下げる隆史。しかし両手だけは私の方を向けている。その先にはきらりと光るものが。
 それは輝きを持ったダイヤの指輪だった。
「隆史……」
 私はあふれる涙を止めることができなかった。
「はい、よろしくお願いします」
 そう言うと、隆史は私の左手の薬指にそっと指輪を。
「真理恵、おめでとう」
 マスターとルリちゃんがとびっきりの笑顔と拍手で祝福してくれた。

「せ~んせっ、今年も一年お世話になりました」
 今日は大晦日。カフェ・シェリーの今年最後の営業日。私は裕貴と、そして隆史と一緒にマスターとルリちゃんにご挨拶にうかがった。
「よっ。結婚の準備は進んでいるのか?」
「うん、隆史がお正月にうちの実家に挨拶にくるんだ。あ、シェリー・ブレンド二つとオレンジジュースお願いね」
 隆史と裕貴は窓際の席でルリちゃんと遊んでいる。私はカウンター席でマスターと向かい合った。
「ところで先生、一つ不思議に思うことがあるんだけど」
「なんだい?」
「私ってあれだけ人を信じられなかったんだけど、隆史にはやたらと素直になれたんだよね。どうしてだろう?」
「どうしてだと思う?」
「う~ん、やっぱ自分の気持ちに正直になれたからかな。だから人の気持ちが素直に受け取れるようになったって気がする」
「そうだね。真理恵は今まで心にバリアを張っていたんだ。それを取り除けば人の心が、特に温かい気持ちがわかるものなんだよ。隆史くんはそのバリアを根気強く叩き続けた。そしてようやく、そのバリアを壊すことができたんじゃないかな」
「私、気づかないうちに隆史に助けられていたんだね」
「そうだな。はい、シェリー・ブレンド」
「ありがとう」
 差し出されたシェリー・ブレンドをひとすすり。
「真理恵、今日はどんな味だ?」
 私はとびっきりの笑顔でこう答えた。
「うん、最高の幸せの味!」

Cafe Shellyサンタの贈り物 完

#創作大賞2024  #恋愛小説部門


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