コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第六章 決断した男 その5
長い一日だった。
私は羽賀さんがとってくれたホテルの部屋で今日のことを振り返ってみた。
十五年間住んでいた田舎を後にして、夕方住み慣れていたこの地に帰ってきた。そして早速羽賀さんたちと今後について話しあう。
その中でいろいろな事実を知り、さらに気付かされた。
そもそも私は何をしにこの地に戻ってきたのか。最初は佐伯孝蔵に自分の悪を悔いてもらおうと思った。そのためには、彼の悪事を世に知らしめること。正義の鉄槌を与えること。これしか頭になかった。
だがこれはそんなに効果が期待できるものではない。それがわかった。逆に彼を窮地に立たせることは、単に私たちの、いや私の満足感を高めるだけにすぎないことも理解できた。
そこに気づかせてくれたのは、息子の雄大の言葉。
「佐伯孝蔵は本当に悪なのでしょうか?」
彼が計画し、実行したこと。これは明らかに社会的に見て悪である。なにしろ多くの命を奪うことで自分の立場を優位に持ってこさせたのだから。
だがその一方で彼がいなければ、彼が指示をして行わせなければ日本という国は情報戦争で他の国から負けてしまい、さらに多くの人々が涙を見せる結果になっていたかもしれない。
そう思うと、佐伯孝蔵がやってきたことは必要なこととも言える。
「罪を憎んで人を憎まず、というが。この場合はちょっと複雑だな」
やはり私にとって佐伯孝蔵は憎むべきに値する人物である。だが、その佐伯孝蔵に近づくにはひとつのハードルを超えねばならない。それが秘書長の飯島夏樹という人物。男なのか女なのか、今の段階ではそれすらもわかっていない。飯島夏樹については羽賀さんの情報網で調査を行うということで今日は解散となった。
ここで、私が秘書長をしていた頃のことを思い出した。佐伯孝蔵は人に興味は持っているが、あまりにも機密事項を知りすぎている。それだけに、出会った人物にそのことを漏らされることが会社としては一番気を使っているところだった。
だから、佐伯孝蔵に会う人物は秘書室でかなり吟味をしていた。これは会社の役員であっても、だ。だからこそ、リンケージ・セキュリティの中枢を握っているのは、役員ではなく実質は秘書室であるといっても過言ではない。そして、そのトップとなる秘書長となれば、かなりの実績と実力、そして佐伯孝蔵に対しての忠誠心を持たないと務めるのは無理である。
私は最後の最後で、その忠誠心に背く行為をしてしまった。だから今はこのような形で身をひそめることになったのだ。
そんなことを悶々と考えていたら、いつの間にか眠りについていたようだ。気がついたのは翌朝、一本の電話からであった。
「はい………もしもし」
画面には非通知とかかれてある。その電話に恐る恐る出る。
こっちにいる間は不便だろうということで、羽賀さんが私に持たせてくれた携帯電話。私はこの十五年間、そういうものを手にしなかったからな。おかげで基本的な操作を習わないと電話できないほどであった。
「おめざめかな、蒼樹和雄くん」
その声を聞いて一気に青ざめた。間違いない、この声は………
「さ、佐伯孝蔵………ど、どうして?」
「造作も無いことよ。君の行動はすべて私にはお見通しなのだよ。クックックッ」
いやらしい笑い声が聞こえる。確かに、リンケージ・セキュリティの情報網をもってすれば私の行動などお見通しだろう。しかし、この電話の番号まで知られてしまうとは。
「一体なんの用だ?」
私は強気で佐伯孝蔵に迫ってみた。だが彼は動じることもなく私にこう言ってきた。
「なんの用だ、とはな。それが蒼樹くん、君の思いなんだな」
「君の思いとは、どういうことだ?」
「どうしても私に歯向かう、ということだね」
こちらの動きは何もかもお見通し、と言いたいのか。佐伯孝蔵の言葉は続く。
「羽賀純一、といったね。君のことをサポートしてくれる人物は」
羽賀さんのことが筒抜けなのは当然のことだろう。
「彼はなかなか優秀ということではないか。聞けば以前は四星商事でトップセールスマンだったのが、ある日突然コーチングに転身。逆に四星商事を相手にさまざまな勝負に勝ったということじゃないか。いい味方をつけたものだな」
私はそこまで羽賀さんのことは知らなかった。だがこの程度調べるのは、リンケージ・セキュリティにとっては造作もないことだ。
「だが彼も知りすぎたな。ロシアとの軍事交渉の件では今の日本政府からの依頼で軍事交渉を有利に持っていくための手がかりを追っていた。そういうでしゃばった真似をしてもらっては困るんだよ。だからちょうどいい機会だから、彼には消えてもらおうと思ったのに」
「ど、どういうことだ?」
私のその声におかまいなしに、佐伯孝蔵はしゃべり続けた。
「だが、彼には不思議な力があるようだ。神の力が働いたとしか思えないな」
「だから、どういうことだ」
ここでやっと佐伯孝蔵は私の声に反応した。
「それは羽賀純一に聞いてみるとい。忠告しておこう。私に歯向かうのは自由だ。だが君たちの命は保証しない。それでもいいかね?」
「そ、そんな脅しにはのらない。あなたには罪を認めてもらう。絶対にだ!」
そう言って私は電話を切った。一気に汗が吹き出てきた。あの声のプレッシャーは半端ではない。自分でもよく耐えたものだと感心すらしている。
その汗を拭き取るために、そしてもう一度頭を目覚めさせるためにシャワーをあびることにした。そしてシャワーから出ると、ちょうどそのタイミングでまた電話が鳴った。今度は画面に「羽賀純一」と出ている。
「あ、和雄さん、おはようございます」
「は、羽賀さん。よかった。さっきとんでもないことが起きて」
「とんでもないこと?」
「佐伯孝蔵から電話があったんです」
私のその言葉で、電話の向こうにも緊張感が走ったことが伝わってきた。
「その話、ゆっくり聞かせてください。こちらに来ることはできますか? 私も和雄さんにお伝えしたいことがありますので」
「わかりました。今すぐ伺います」
私は急いで身支度をして、羽賀さんの事務所へとタクシーを走らせた。そして到着すると、そこにはすでにジンさんとひろしさんも待ち構えていた。
そこで早速、私は今朝起きた佐伯孝蔵からの電話のことについて話し始めた。
「なるほど。でもリンケージ・セキュリティってそこまで情報をつかんでいるのか。こりゃ情報合戦になりそうだな」
ジンさんがそう言葉を漏らした。私も同じ意見だ。
「そこで彼は言っていました。羽賀さんには不思議な力がある、と。神の力が働いたとしか思えない、とも」
「ボクにそんな力があるのかはわかりませんが。何者かに襲われたお陰で、あの航空機事故に合わずにすんだのですから。でもこれではっきりしましたよ。ボクを襲ったのはロシア側のスパイか工作員だと思われます。ボクから重要な情報を抜き出そうとしたんでしょう。そしてボクになりすました人物が身代わりとしてあの事故に遭ってしまった」
「なるほどぉ、これでだんだんとつながってきたな。で、羽賀さんの方の情報ってのはなんなんだよ」
ひろしさんのせっかちな性格は治ってないな。だがそれは私も知りたかったところだ。
「それについてはジンさん、お願いします」
「おう。まずは佐伯孝蔵が日本政府から不利になるような法案をつきつけられているか、という点についてだ。十五年前は個人情報保護法の基本となる法案だったが、今回はどうやら日本政府は真っ向から佐伯孝蔵に戦争を仕掛けようって腹らしいぞ」
「どういうことだ?」
羽賀さんはまだその内容を知らされていないらしい。ジンさんの話は続く。
「先日、官僚のパソコンや各政党のサーバーがあいついでサイバー攻撃を受けたのを覚えているか?」
「あぁ、新聞でも結構にぎわせてくれたからな」
私はそのことは知らなかった。あまり俗世間の出来事に感心を持っていなかったからな。
「政府はこういったことを未然に防ぐためにも、罰則規定だけではなく情報を取り扱う企業に対しての調査と内部監査に対しての情報公開を義務付ける法案を可決しようとしている」
「つまり、重要機密情報を日本政府に暴露しろ、ということにつながるのか。確かに、リンケージ・セキュリティにケンカを売っているな」
「個人の情報は守られていても、それを取り扱っている企業の情報は暴露しろというのだからな。もちろんあからさまにはそうは言っていないが」
日本政府対リンケージ・セキュリティ。明らかにその図式が成り立つ。
「そしてもう一つ、飯島夏樹についてだ」
私たちは固唾を飲んでジンさんの次の言葉を待つことになった。
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