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コーチ物語・クライアントファイル7 愛する人へ その5

「なに、レストランチェーンの買収計画を大幅に変更するだと?」
「えぇ、確かにこのまま行えば、四星商事には過大な利益になり得るでしょう。しかし、その裏では泣きを見る人も大勢出てしまいます」
「おい、羽賀くんらしくない発言だな。今までは君の繊細、かつ強引な手法で数々の実績を上げてきたじゃないか。今回も私たちはそれを期待して、このプロジェクトを君に預けたのに」
「しかし畑田常務、本当にこのままでいいのですか? この前のミノル光学の件、あのままでは我が社は悪者扱いになりますよ」
「あの件について我が社にどうこう言う方が間違っとる。自殺したのは、ミノル光学の社長の意志だ。我が社はミノル光学の幹部へそれなりのお金を支払っているんだ。あの件で被害者になったのは、むしろ我が社の方だ」
「しかし、常務……」
「えぇい、これ以上話しても無意味だ。レストランチェーンの買収については、当初の計画のまま進行する。このままだと由美をおまえに預けることはできん」
「それとこれとは話が別です」
 羽賀と畑田常務の口論は続く。オレはこの二人をただ見守るしかなかった。
 ミノル光学の社長の葬儀から三日後、レストランチェーンの買収計画の報告会での出来事だった。このときに羽賀の言うことが突然180°変わってしまうとは。あんなにドライな性格だったヤツが、急に人のことを考え出した。もちろん、こうなったのにはミノル光学の社長の件が深く関わっているのは間違いない。が、もっと深く関わったのは由美であろう。
 港での一件以来、羽賀は由美と二人で会うことが多くなった。おそらく、羽賀の中で何かが生まれ、そのことを由美に話すにつれて生まれたものがだんだんと大きく育っていったのだろう。そして今回の計画変更発言へと移ったのだ。この時点で、羽賀と由美の交際は親も認める公然の事実となっていた。ゴールインは目の前というのは、誰の目から見ても明らかだった。
「ともかく、計画変更は認めん。どうしてもというのであれば、今回の件は別のものにやらせる。むろん、おまえが最初に立てた計画通りにな」
 畑田常務はそう言うと、新たに羽賀が持ってきた計画書を破り捨てて、会議室を出て行った。後に残された羽賀とオレ。オレは羽賀にどう言葉をかければいいのか、その言葉を探すのに頭がいっぱいになっていた。ほどなくして、由美が会議室に入ってきた。
「羽賀さん、どうしたの? お父さん、すごい顔をしていたけれど……」
「由美か……残念ながら新しい計画は認められなかったよ。やはり、この会社ではこういった考えは認められないのかな……」
 羽賀は弱気になって由美にそう伝えた。ちょっと前の羽賀だったら、絶対に言わないセリフだ。しかし、由美はにっこりと笑って羽賀にこう言った。
「大丈夫よ。この数日間二人でいろいろと話したじゃない。私たち、もっと人を見て生きていこうって。お父さんは立場上、会社の利益を優先して考えなければいけないから。そのうち、私たちの考え方をきっと理解してくれるわよ」
「だといいんだが……」
 どうやら羽賀と由美の間にオレのはいる隙間はないようだ。とんだおじゃま虫のようだな。というよりも、二人にはオレの姿が目に入っていないんじゃないかな? ちょっと寂しい気もするが……。
 それ以降、羽賀にはろくな仕事が回ってこなくなった。大がかりなプロジェクトからはずされるのはもちろん、ほとんど個人売買に近い小さな仕事すら与えられなくなった。
 だが、転んでもただでは起きないのが羽賀の性格。あいつは自ら仕事をつくり出そうと計画を打ち出していた。それが「人財育成プロジェクト」だ。
 四星商事もかつては社員教育事業に手を出したことがあった。流行の手法などを手がけたのだが、思ったほど利益を出すことが出来なかったためにわずか二年で手を引いた。その分野にまたあらためて羽賀がチャレンジしようとしていた。
「そうか、そんな先生がいるのか。だったら一度お会いしたいな」
 ある日、羽賀が電話口でやけに明るい声でそう対応していた。どうやら人財育成について、羽賀と由美の理想とする先生が見つかったようだ。羽賀は、今までとは違う角度から人財育成をにらんでいたらしい。どうも「コミュニケーション」を主とした方向で何かを見つけようとしていたということを小耳に挟んだことがある。
「よし、その先生をぜひお呼びしてくれないか」
 そして数日後、一人の初老の男性が羽賀を訪ねてやってきた。
「先生、お待ちしておりました」
 羽賀がそう迎えると、その初老の男性は羽賀に向かってこう言った。
 どうやらこの人が羽賀が電話口で話していた先生らしい。しかし、どこかで見たような気がするのだが……気のせいか?
「ほほう、どうやら人並みに涙を流したようだな」
 その言葉で思い出した。ミノル光学の社長の葬儀の時に「若いの、つらかったら涙を流してもいいんじゃぞ」そう言って羽賀の肩をポンッと叩いて去っていった男だ。羽賀も、その言葉で思い出したようだった。
「あ、あのときの……その節はお世話になりました」
「いやいや、ワシは何もおまえに世話なんぞしとらん。ただ、おまえさんの感情が素直でないのは明らかだったからな。感情は、素直に表に出してこそ人間というもんだ」
 この男の一言一言がオレの胸にも突き刺さる。
 その後、羽賀のテンションの高さは異常なくらいだった。
「よぉし、これでいけるぞ。これを多くの企業で導入してもらえれば、今までの企業が悩んでいた部分が一気に解決できるはずだ。ボクがやらねば誰がやる!」
 おいおい、なんだこの羽賀の勢いは。まぁ、羽賀が言うようにうまくいけば、畑田常務だってきっと見直してくれるだろう。それに、由美も前にも増して活き活きと仕事をしている。きっと、羽賀と二人で仕事をすることに生き甲斐を感じているんだろうな。
 そんな二人を象徴するような連絡がオレの元に舞い込んだのは、それからすぐのことであった。

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