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コーチ物語・クライアントファイル6 私の役割 その2

「舞衣さん、もし舞衣さんが結婚してダンナさんが悩んでいたら、妻としてどんなふうに接すればいいと思いますか?」
「え、結婚して……え、えっと……う〜ん、さすがにこれは私じゃ思いつかないな」
「ですよね……」
 私は再び暗い顔に戻ってしまった。舞衣さんが悪いわけじゃないけれど、なんだかどうしようもない気持ちになってしまって。
「ごめんなさい、話してって言っておきながら何も役に立てなくて。あ、そうだ。こういうときこそあの人を頼ってみるといいかもしれない」
「あの人って?」
「ほらあの人よ」
 そう言って舞衣さんは天井を指さした。そうか、あの人か。
「ということで、羽賀さん、吉田さんの話を聴いてくれる?」
 フラワーショップ・フルールのテーブルに腰掛ける三人。どうやら羽賀さん、昨日は遅くまで起きて何かをしていたらしい。まだ寝ぼけた顔であくびをしてここに座っている。
「ふわぁ、あ、ごめん。いいよ、どうやら吉田さんにボクたちはこれからお世話になるみたいだし」
「えっ、お世話ってどういうこと?」
 舞衣さん、何のことかわからずにそう尋ねてきた。
「あ、それはこっちのことっ。とりあえず今回はおいといて……」
 まったく、羽賀さんこんなところで逆襲してくるんだから。でもそのおかげで私はちょっとリラックスできた。そして昨日弘樹さんから聞いた話を羽賀さんにしてみた。
「なるほど、そういうことですか。確か吉田さんの旦那さんの勤めているのは陽光工業でしたよね」
「うん、そうだけど」
「融資を断ってきた銀行は、もしかしたらはまな銀行かな?」
「そんなことを言っていた気がするわ」
「はまな銀行か……もうひとつ、陽光工業が特許製品を売りだそうとしていたのは、四星商事系列の企業じゃなかった?」
 はっきりとは覚えていないけれど、四星商事の名前が出たのは覚えている。
「なるほど……やはりそうか……」
 私がそのことを伝えると、羽賀さんは少し考え始めた。何かわかったのかしら?
「吉田さん、一つお尋ねしてもいいですか?」
「はい、何ですか?」
「吉田さんが今の仕事で何か失敗したとするよね。そんなとき、旦那さんにどんな顔で出迎えて欲しいかな?」
「え、私が失敗したとき……そうねぇ、一緒にくらい顔されると落ち込むよね。どうせなら笑顔ではつらつと、何事もないかのように出迎えて欲しいな」
 私はそう言いながら、弘樹さんの笑顔を頭に思い浮かべていた。
「笑顔か……そうやって迎えてくれたら、吉田さんはどんな気持ちになるかな?」
「そうね、失敗したことは取り返しがつかないけれど、それを挽回しようという気持ちになれるかな」
と、ここまで言って気がついた。昨日の夜は二人で暗い顔で頭を抱えてしまっていた。それじゃ弘樹さんもつらいに決まっている。私が明るく弘樹さんを出迎えて、明るい気持ちにさせてあげなきゃ。
「羽賀さん、ありがとう。そうよね、ダンナの仕事上の悩みって私が解決できるものじゃないのよ。だったら、私ができることはいつものように明るく振る舞って弘樹さんを元気づけてあげることだけだわ」
「だったら、今日はどうするかな?」
「そうね、昨日は弘樹さん好物の肉じゃがに手を付けなかったから。もう一度それを出してあげて、私が笑顔で話を聴いてあげるの。もちろんビールもつけてね。一日置いた肉じゃがって、結構味が染みこんでおいしいのよ」
 弘樹さんの笑顔を想像して、私は気が軽くなっていたことに気づいた。
「わぁ、それ一度食べてみたいな」
「私も。ねぇ吉田さん、今度肉じゃがの作り方教えて」
「いいわよ」
 羽賀さんと舞衣さん、この二人と話していると気持がすごく軽く感じてくる。うん、ここで働いてよかったな。
 その日の夜、私は早速弘樹さんを笑顔で出迎えることにした。が、その準備も虚しく弘樹さんからは今夜は帰りが夜中になるとの連絡が。それほど会社は切羽詰まっているんだ。なにしろ会社が倒産するかって瀬戸際なんだから。
 リビングで羽賀さんから借りたコーチングの本を読みながら、私はいつしかウトウトしていた。気がついたら私の肩には毛布がかけられていた。バスルームからはシャワーの音が。弘樹さん、いつの間にか帰ってたんだ。
「恵子、こんなところで寝てたら風邪引くぞ」
 濡れた頭を拭きながら弘樹さんがバスルームから出てきた。
「あ、弘樹さんおかえりなさい」
 ちょっと寝ぼけ顔。いけないいけない、笑顔笑顔。私は慌ててにこやかな顔をして弘樹さんの方を向いた。
「おっ、好物の肉じゃが用意してくれてたんだ。どうせならいただくかな」
 弘樹さんの優しさが伝わってくる言葉。弘樹さんを癒そうと思っていたのに、癒されているのはどうやら私の方みたい。
「ビールあるけど、飲む?」
 私は冷蔵庫からビールを取り出して弘樹さんを誘ってみた。これも精一杯の笑顔で。
「あぁ、どうせだからいただくとするか」
 こうやって夜中の晩酌が始まった。うん、これでいいんですよね、羽賀さん。心の中でそうつぶやいて、私なりに納得していた。これが私の役割なんだから。ここで私はあることを思い出した。
「そういえば、今度の新商品って売り込み先は四星商事系の会社とか言ってなかったっけ?」
「あぁ、四星オプティカルといって、光学精密機械を扱うところだけど。それがどうした?」
「ほら、フルールの二階にいるコーチングをやっている羽賀さん。その羽賀さんが『売り込み先は四星商事系じゃないか?』って言っていたから。そういえば、羽賀さんって昔四星商事のトップセールスだったらしいよ」

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