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コーチ物語 クライアント21「夢を語る男」その1

 私は悩んでいた。
 悩み、といっても仕事のことでもなければ家庭のことでもない。どちらもそれなりに順調に運んでいる。特に仕事は、経営者としてそれなりのことをやってきた。そのおかげで私が留守にしていても、会社はきちんと回るような体制づくりができたと自負している。
 現に、私は今まで多くの社外活動に参加してきた。経営者の勉強会では気がつけば中心人物となり、この地域の経営者と関わってきた。そのおかげで、社会的な信頼も得ることができた。おかげでそちらの方で忙しい毎日を送ることもある。
「島原さん、いつ会社の仕事しているんですか?」
 そう言われることもしばしば。一見すると周りからは会社の仕事をしていないようにも見えるらしい。けれど、そこはちゃんと経営者としてやるべきことはやっている。その仕掛けをしっかりとしているからこそ、こうやって社外の活動に勤しんでいても、社員は文句をいう事はない。
 その他、いろいろなボランティア活動にも参加してきた。地域のもの、県内のもの、そして地域外まで足を伸ばしたこともある。これもそのおかげで、全国に知り合いができた。
「島原さん、顔が広いねぇ」
 これもよく言われる言葉だ。おかげさまで、全国の知り合いに一声かければ、いろいろなところに情報が伝わるネットワークまでできている。このおかげで、新しい事業を展開することもできた。
 家庭もそれなりにうまくいっている。仕事や社外活動、ボランティアで家を空けることは多いけれど。妻も子どもたちも私の活動に理解を示してくれる。むしろ手伝いをしてくれることだってある。子どもは父親の背中を見て育つというが。ぜひそうあって欲しいという願いも込めて、私は今を一生懸命生きていくことにした。
 先代の父親からこの会社を譲り受けて十三年。最初の頃は若い社長として、社内の年配の人達から疎まれたものだ。反発だってあった。けれど、経営者として一生懸命勉強し、新しい制度や仕組みを取り入れ、業績も徐々に向上し、今では社員六十人がみんな私を慕ってくれる。ありがたいことだ。
 仕事も家庭も順調。一見すると何も問題がないようにも見える私の身にふりかかったこと。それが今目の前に展開している。
 ドリームプラン・プレゼンテーション。通称ドリプラ。その世界大会を見て私の心が大きく揺さぶられている。
 これを地元でやりたい。そして多くの人に夢を語ることの素晴らしさを体験してもらいたい。今、その気持でいっぱいになっている私がいる。
 そして悩んでいる私がいる。どうやったらこれを開催できるのだろうか。どうすればいいのだろうか。いや、それ以前にこのドリプラが私の地元で受け入れられるのだろうか?
 いけない。私の昔の悪い癖が出てきそうだ。考え始めたら不安がどんどん募ってくる。いけない、せっかくこの癖が治っているというのに。
 東京から帰ってきて、私の頭の中はドリプラ一色に染まっている。
 考えるよりまずは行動。それをせっかくコーチングで身に付けたというのに。まずは何を行動すればいいのか、そこを考えないと。不安要素を考えたって何も始まらないのだから。
 そう自分に言い聞かせ、携帯電話はとあるところをダイヤルしていた。
「はい、羽賀です」
「羽賀さん、ご無沙汰しています。島原です」
「あ、島原さん。今日はどうされたのですか?」
「コーチの羽賀さんに折り入ってご相談があるのですが」
 言ってしまった。これでもう後戻りはできない。自分の心の中は決まった。
「明日の夜、時間は空いていませんか?」
 すでに私の頭の中は明日の夜へとシフトしていた。そこでコーチの羽賀さんに何を話すのか、何をお願いするのか。今度はそのことで頭をいっぱいにさせていた。
 これは羽賀さんから教えてもらったことなのだが。不安を解消するための方法らしい。不安で頭がいっぱいになると、他のことが考えられなくなる。しかしこれは逆も同じ。他のことで頭をいっぱいにしてしまえば、不安を感じることもなくなる。つまり、何で頭をいっぱいにすればいいのか。そこをうまく選択することで、後ろ向きなことを考える余裕をなくすというものだ。これを教わってから、私は常に未来の行動で頭をいっぱいにすることにした。
 思えば羽賀さんとの出会いも、不安の中でのことだったな。
 とある会合で出会った羽賀さん。その頃の私は経営者としてとても不安な位置にいた。いろいろなところで勉強したさまざまな施策や制度を社内に展開しようとしていたのだが。古くからの社員の反対にあったり、私のやろうとしていることをみんながなかなか理解してくれなかったり。どうすればいいのかと思い悩みながらも、誘われた会合に足を向けていた。
 講演会があり、そのあとの立食パーティーの席で。私は羽賀さんと出会った。このとき、名刺交換をしたときの羽賀さんの一言が私にとっては衝撃的だった。
「島原さん、今不安を抱えているように見えますが」
 どこでそれがわかったのだろう? 社内で起きていることの悩みなんて誰にも話したことがないのに。
 私はその羽賀さんの一言で心をひらいてしまった。そして、立食パーティーの席にもかかわらず、今の不安をたくさん喋った記憶がある。
 実はあとから羽賀さんから聞いたのだが。まず私の名刺交換をしたときの表情が笑っていなかったこと。さらに、背中が丸まっていたことに目をつけたそうだ。さらに、不安を抱えているように見えますが、というセリフ。実はこれも仕掛けがあったとか。そもそも、人間は生きている以上一つや二つ不安があって当たり前。それをまるで占い師のように言い当てられたらびっくりする。
 こういうのをコールドリーディングというらしいが。そのテクニックのお陰で、私も初対面の人といろいろな話ができるようになった。
 その後、私は羽賀さんのコーチングを受けることになった。当時の一番の悩みであり不安であった、社内に新しい制度を展開させること。これを中心に行動計画を立て、そして今の私ができあがった。
「ありがとうございます。羽賀さんがコーチングをしてくれたおかげで、今では何の不安もなく自分が思ったことをやれるようになりました」
「いえいえ、これは島原さんの思いが強いからですよ。その思いをしっかりと持っているからこそ、これだけ行動ができたんです。その熱い思いを今度はいろいろな方面に役立ててみませんか?」
 羽賀さんのこの提案で、私はさまざまな社外活動、ボランティア活動に勤しむようになった。一番成功したのは、とある有名な講演家を呼んでの大規模な講演会を主催した時。私は以前からこの講演家の話を社員に聞かせたいと思っていた。一企業がお金を出してこの人を呼ぶのはそんなに難しいことではない。しかしどうせなら地域の人にも聞いてもらいたい。そう思って、実行委員を立ちあげて多くの人を呼ぶことに成功した。なにしろ千五百人入るホールが満員、さらには立ち見まで出てしまったというのだから。
 この成功以来、私はイベンターとしてもいろいろなことを企画するようになってきた。そして、その仲間も増えていった。
 そういうバックボーンがあるからこそ、今回のドリプラもやってみたいと思ったのだ。そして今度こそ、羽賀コーチにお願いしたいことがあった。

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