コーチ物語 クライアントファイル15「弟子入り志願」その2
「もしもし、もしもし?」
連呼するその声にハッと我に返った。
「あ、すいません。あの、私は佐藤と申します」
「あぁ、トシくんの紹介の人ですね。早速連絡をいただきありがとうございます。それにしても、まさかこんなに早く電話をいただけるなんて。とても行動的な方だなぁ」
その気さくな声に緊張が徐々に解けていった。羽賀さんって思ったよりも話しやすそうな人だな。
「それで佐藤さん、早速なんですけどコーチングを勉強したいということですよね。それで一つお聞きしてもよろしいですか?」
「あ、はい。なんでしょうか」
「佐藤さんはコーチングを勉強して、どのように活かしたいと思っているのでしょうか?」
どのように活かしたいのか。そんなことはあまり考えていなかった。今はとにかくコーチングを勉強したい。その思いだけだった。羽賀さんに言われて初めてそのことに気づいた。
「それが……」
最初は何も考えていないことを素直に言ってしまおうかと思った。だがなぜか口の方が先にこんな答を出していた。
「最初は本を読んで、このコーチングって今の世の中にとても大事なことだと思ったんです。前に勤めていた会社の上司がこの技術を知っていれば。私みたいに苦しんで会社を辞めるという人間が減らせると思ったんです」
「なるほど。社内の人間関係のトラブルで佐藤さんは会社を辞めてしまったんですね」
「はい。それでこの技術を学んで、より多くの人に知ってもらいたい。そういった活動ができればと思っています」
ボクはなんて大それた事を言ってしまったんだ。また口から出任せにそんなことを。けれど言った後に気づいた。それが自分の本心なんだって。そして言った後、徐々に心の奥から燃えるような気持ちが湧きだしてきた。
「なるほど。そうなるとボクと同じようなプロのコーチ。これを目指したいということなんだね。すごいなー」
プロのコーチ。なんていい響きなんだ。羽賀さんが言ったその言葉に酔いしれてしまった。けれど気持ちはすぐに現実に引き戻されてしまった。
「でも……でも、学びたい気持ちはいっぱいなんですけど……その……今無職になったばかりでお金がないんです。蓄えは多少はありますけど、多額の投資をしてまで学ぶことができないんです」
これは事実。失業手当はもらえるけれど、アパートの家賃と当座の生活費をまかなうのでいっぱいいっぱい。貯金は雀の涙ほどしかない。今更だけど、もう少し貯金をしておけばよかった。
「そうなんだ。まぁお金のことはちょっと後回しにしましょう。ところで佐藤さんってどちらにお住まいなんですか?」
ボクは住んでいる住所を伝えた。
「なんだ、隣の市じゃないですか。それにその町名だったらボクの事務所からそんなに離れていないですね。じゃぁ一つ提案があるんですけど」
「はい。なんでしょうか?」
「一度ボクの事務所に来ませんか? 電話よりも直接会って話をした方がいろんな情報を伝えられるし。どうですか?」
「はいっ、喜んで!」
まるでどこかの居酒屋のような返事をしてしまった。けれど本当にその気持ちでいっぱいだった。
「じゃぁ、早速今日はご都合はいかがですか? 午後三時以降だったらボクも空いてるし」
「はい。今は無職なのでやることがありませんから。ボクはいつでも大丈夫です」
話がトントン拍子に進んでいく。まさか思い立ってからこんなに早くいろんな事が起こるとは。もうびっくりだ。
電話を切った後もボクは興奮していた。ひょっとしてこうなる運命にあったのかな。だから課長ともタイミング良くケンカした。そして会社を辞めた。うん、そうに違いない。
と、自分に都合のいい解釈をしてボクは気持ちも軽くなった。それにしても不思議だな。羽賀さんとはわずかな時間しか話をしていないのに。こんなにも気持ちが変化するなんて。
そして迎えた午後三時。ボクはシュークリームを手みやげに、インターネットのホームページに掲載していた地図を頼りに羽賀さんの事務所を訪れた。
「確か一階が花屋さんのビルだったな……あ、あった」
だがここで驚いたことが。なんとパトカーが店の前に停まっているじゃないか。何かあったのかな?
すると階段から人影が。その顔を見てまたまたびっくり。とても堅気の人とは思えない怖い顔。ブルドッグそっくりだ。
「だからよぉ、今度はおめぇがだなぁ……」
そのブルドッグは上を向いてだみ声で話をしている。すると遅れて長身でメガネをかけた男性が姿を現した。
「はいはい、竹井警部のいうこともごもっともです。今日はボクはこれからお客さんがあるから。今度はちゃんと連絡をしてから来て下さいね」
そのブルドッグを諭すようにやんわりとした口調で話す男性。その声は午前中電話で聞いた声だった。そうか、あれが羽賀さんなんだ。
ブルドッグの男はパトカーに乗り込んで、最後の最後まで羽賀さんに何かを訴えていた。が、羽賀さんはそれをうまくかわしてパトカーを見送った。その後のやれやれという態度がまたおもしろく感じた。
「あの……羽賀さんですよね。佐藤と申します」
「あーっ、電話の方ですね。いやぁ、ちょっとごたごたしてしまってすいません。ちょっと待っててくださいね」
羽賀さんはそう言うと花屋さんに一度入って、すぐに出てきた。
「じゃぁ二階に上がりましょう」
羽賀さんの先導でボクは二階の事務所へと案内された。それにしても羽賀さん、さっきのパトカーに乗ったブルドッグとはどういう関係なのだろうか?
事務所にはいると、ボクは早速おみやげのシュークリームを手渡した。
「わぁ、気を遣って頂いてありがとうございます。しかも六個も入ってる。ミクも舞衣さんも喜ぶぞ」
そのとき、ノックの音と共に一人の女性が登場。
「こんにちはー。お茶を入れに来たよ」
「あ、舞衣さんありがとう。こちらがさっき話した佐藤さん。コーチングを勉強したいんだって。佐藤さんからおみやげももらったから。吉田さんの分と一緒に持って帰ってね」
「あ、ありがとうございます。じゃぁおいしいお茶を入れるね」
舞衣さんと呼ばれた女性は慣れた手つきでてきぱきとお茶の準備を始めた。
「あの……あの方は?」
「あ、舞衣さんっていうんです。このビルのオーナーの娘さんで、一階のお花屋さんをやっているんです。お客さんが来たときにはおいしいお茶を入れてもらうことが多いんですよ。あと一時間もすればアルバイトのミクも来るんですけど」
なるほど。でも見た感じビルのオーナーの娘と住居人という関係だけじゃなさそうだな。じゃないと、お互いにあんな笑顔は出せないはずだ。
「ま、座って。早速シュークリームをいただきながら話をしましょう。で、佐藤さんはやはりプロのコーチになりたいということなんだね」
「はい。今はそう思っています。けれどコーチングは本で読んだ知識しかなくて。どうやって学ぶのが一番いいんですか?」
「う〜ん、いろいろな学び方や学ぶところはあるけど……」
そういって羽賀さんはすでに準備していたパンフレットや印刷物をボクに見せた。それは大手のコーチ養成会社の案内だったり、いろんなコーチングスクールのホームページだったり。
「まぁ一般的にはこんなところで学んだりするんだよ。でもこれらには問題があってね……」
「問題、というと?」
羽賀さんはボクの問いに、手のひらを上にして親指と人差し指で輪を作り答えた。なるほど、お金の問題か。
「ですよね。今ざっと拝見しただけでも、結構な額がかかるのはわかりました。やはりどこかに勤めないとだめかな。それかアルバイトをするか……」
「佐藤さん、コーチングを学んでプロになって、そしてその技術を広げていきたい。そうおっしゃいましたよね」
「はい。その意欲はあります」
「でも、それを行うにはお金が問題。そうですね?」
「えぇ。今すぐに始めるというわけにはいかないですね。せめて月一万円程度ならなんとかなるんですけど……」
正直、今のボクにはそれでもかなり苦しい。が、いろんなものを節約すればそのくらいはなんとかなる。
「じゃぁ、その一万円で効果的にコーチングを勉強する方法がわかればいいんだね」
「えぇ、その通りです。何かいい方法、ないでしょうか?」
「ないでしょうか、と問われるとありませんって答えたくなるなぁ。今の言い方、少し変えてみましょうか?」
言い方を変える? どういうことだ。羽賀さんは続けてこう言った。
「ない、というのは否定語ですよね。その意識があるうちは、良いアイデアなんか出ませんよ。じゃぁ、ないの反対は?」
「ないの反対は……ある、ですよね」
「じゃぁその言葉を使って言い換えてみましょうか」
「言い換える?」
ボクはそこで悩んでしまった。何をどう言い換えればいいんだ?
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