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コーチ物語 クライアントファイル 10 迷える子羊 その1

 確かここだわ。
 私は大学の同級生である由衣から聞いた住所のメモを片手に、とある場所に立っていた。
 私の持っているメモには「花屋の二階」と書いてある。おそらく目の前にしている花屋、「フラワーショップ・フルール」のことで間違いないだろう。
 花屋の横にある階段を上がろうと思ったときに、ちょうど私と同じくらいの年齢の、活発そうな女性が自転車でやってきた。
「あら、羽賀さんのところにご用ですか?」
「え、えぇ」
 私はどうもこういったタイプは苦手。いかにも活発そうで私と正反対なんだもん。
 そう言う私は、メガネをかけ地味な服装。正直なところ人からは「暗い人ね」と言われることが多い。
「羽賀さんだったらたぶんいると思うから、一緒に行きましょ」
 その女性は私の手を引いて、階段を駆け上がっていく。私もそれに引っ張られるように彼女についていった。
「は〜がさんっ、お客様よ…って、なんで舞衣さんがいるのよ?」
「なんでってことはないでしょ。ミクは今日学校だから、羽賀さんに頼まれて事務所の掃除をしていたのよ」
「そんなことだったら私がやるから。ささっ、舞衣さんは自分のお仕事に戻ったもどった」
 ミクとよばれた、私を引っ張ってきた女性は、舞衣とよばれた女性をさっさと追い出していた。舞衣さんは押し出されるように一階に下りていったが、最後にこう一言告げた。
「今日羽賀さんにお客様が来るらしいから、お掃除の続きお願いね」
「はいはい、わかりましたよ」
 ミクさんはクルッと私の方を向いて、今度は私に一言。
「まったく、お客様ならもうこうやって来ているっていうのにね。
 羽賀さんったらどこに行っちゃったのかな?」
「あ、いえ。私は予約も何もしていないんですけど…」
「あれ、そうなの? じゃぁ別のお客さんがくるのかな。
 ま、いいや。そこに座って待っててよ」
「あ、はい」
 私は言われるがままに、ソファに座って羽賀さんを待つことにした。ふぅ、こんな性格だから、いつまでたってもダメなのよね、私って。
「ところで、えっと…お名前は?」
 ミクさんはパソコンデスクに陣取り、パソコンが立ち上がるまでの暇つぶしのように私に話しかけてきた。
「あ、はい。私青田誠子といいます」
「誠子さんか。私ミクって言うの。よろしくね」
 あ、やっぱりこういうタイプは苦手だわ。どうしても積極的な人とはなじめないのよね。そう思うと、このミクさんとは顔をなるべく合わさないで済むように、私はバッグから本を取り出して読み出した。
 が、ミクさんはそんなことおかまいなしに私に話しかけてきた。
「でさ、今日は羽賀さんにどんなご用なのかな? ひょっとしてコーチングの依頼かな?」
「え、コーチング? いえ、私はちょっと友達から薦められてこちらに相談に来たんですけど」
 ミクさんの目はパソコンに向いていた。が、それでもさらに私に話しかけてくる。
「へぇ、お友達か。それって誰かな?」
「あ、はい。大学の同級生の白石由衣さんから、こちらの羽賀さんだったら心の病気のことを相談できるんじゃないかって紹介してくれたもので」
「白石由衣…あ、啓輔の元彼女か!」
 啓輔さん、確か由衣さんから聞いたことがある。前につきあっていた彼氏で、バイク事故で亡くなったと。そのときに羽賀さんと知り合い、勇気づけられて由衣さんは今心理学の勉強をしているんだとか。
 私は文学部で、見たとおり根っからの根暗文学者。でも由衣さんとはなぜか気が合い、ときどきいろいろと相談している。
「でも、心の病気って言ってもねぇ…羽賀さんは医者じゃないよ」
「あ、はい。でも、私も医者から見放されてしまって…」
 再びうつむく私。ダメな自分がまた見えてしまった。そう思うと、また自分の病気が心の奥から湧いてきた。
 と、そんなときに突然外が騒がしくなった。
ドッドッドッドッドゥ、ドゥルゥゥン。
 どうやら大型のバイクの音らしい。
「何よ、うるさいわねぇ。今時こんなところに暴走族?」
 ミクさんが窓から乗り出して、その音の主を確認している。するとミクさんが突然私を手招きしながらこう誘ってきた。
「誠子さん、ねぇねぇ、ちょっとこっち来てよ。すごいバイクよ!」
 別にバイクには興味は無いのだが、ここでミクさんの誘いを断るのも変なので一緒に窓の外から顔を出すことにした。
「ね、すごいでしょ」
 確かに、ミクさんの言うとおりすごいバイクだ。確かハーレーとかいうんじゃなかったかな。アメリカの映画に出てきそうなハデな車体。そしてそのハデさに負けず劣らずハデな格好の男性がバイクにまたがっていた。
「ねぇ、どんな男が乗っているのかしら。
 きっとあんなごついバイクに乗っているんだから、ムキムキの渋い男性じゃないかな?」
 ミクさんは何かを期待しているような声で、私に話しかけてきた。
 しかし私が見たところ、バイクにまたがっている男性はちょっとお腹の出た中年男性といった感じ。
 その男性が、ヘルメットをつけたまま階段の方に消えていった。
「えっ、ひょっとしてあの人が羽賀さんのお客様かしら」
 ミクさんの声はちょっと上ずっていた。どうやら何かを期待しているらしい。すると、ほどなくしてドアからノックの音か。
「はいは〜い、今開けますよぉ〜」
 ミクさんは急いでドアへ向かい、バイクの男性を迎え入れた。
 が、ドアを開けた瞬間、ミクさんの顔は期待の笑顔から百八十度転換。そこに立っていたのは、額がとても広くなった白髪頭の、とてもムキムキの渋い男性とはほど遠い姿。その姿は中年を遙かに超えた、老人といった方が間違いない男性であった。
「よぉ、羽賀はいるかな?」
 その姿からはちょっと創造できなかった、少し愛嬌のある声。
「あ、え、えっと…は、羽賀さんならまだ帰ってきていないのですが…」
 先ほどまでとはうってかわって、とまどいながらもちょっと落胆した感じのミクさんの声。ミクさんって、気分がすぐに表に出るタイプなんだな。
「全く、今日来ることは伝えておったのに。まぁよい。ちと待たせてもらうが、よいかな?」
 ヘルメットを小脇に抱えた老人は、そう言うとソファの私の向かい側にどしっと腰をかけた。そして一言。
「おい、おねえちゃんよ。お茶でも入れてくれんかな。あ、お茶よりもコーヒーの方がいいか」
 ミクさんはしぶしぶコーヒーを入れる準備。棚からインスタントコーヒーのビンを取り出そうとしたときに、再び老人から注文が。
「あ、コーヒーはインスタントじゃなくてちゃんとしたヤツを頼むぞ。羽賀のことだからコーヒーにはちょっとうるさいはずだから、そのくらいは準備できとるだろう」
 ミクさんの顔つきはさらにいかつい表情へ。それでも言われたとおりコーヒーの準備を始めていた。
「よしよし、羽賀のいうとおりよくできた娘さんじゃ」
 老人は少し満足そうな顔でそうつぶやいた。
「はい、コーヒーです」
 ミクさんはお世辞にも丁寧とは言えない手つきで、この老人にコーヒーを差し出した。私にもコーヒーを差し出してくれたが、こちらの手つきはわりと丁寧であった。
「ところでこちらのお嬢さん。ひょっとして羽賀のお客さんかな?」
 老人は突然私に声をかけてきた。私はとまどいながらもその質問に答えた。
「えぇ。私の友達から羽賀さんに私の病気のことを相談することを薦められたので」
「病気、というと?」
「えぇ、それは…」
 すこしためらいながら言葉を出そうとしたそのとき
「いやぁ、遅れてごめんなさい。やっと帰り着いたよ」
 ドアがバタンと開いて、そのセリフと同時に額の汗をぬぐいながら長身の男性が入ってきた。
「あ、羽賀さん、お帰りなさい!」
 ミクさんはご主人が帰ってきたときの飼い犬のような表情で、その男性に声をかけた。そうか、この人が羽賀さんか。
 私の緊張は少し高まってきた。

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