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コーチ物語 クライアント19「女神の休日」その1

「お疲れさまでしたー」
 私は仕事を終え、足早にとある所へ向かう。ある人に会うために。
 ある人、といっても恋人ではない。私の尊敬する人であり、あこがれの人でもある。そして、そこに行くことが今では私の楽しみになっている。
「こんにちはー」
「おぉ、はるみか」
 着いたのは喫茶店エターナル。出迎えてくれたのは気のいいマスター。ちょっととぼけた感じがする人で、私を楽しませてくれる。しかし、目的としているのはこのマスターではない。
「今日はコジローさんは?」
「さぁな、あいつは風来坊だから。まぁそのうち顔を出すだろう。いつものコーヒーでいいか?」
「うん、おねがい」
「はるみさん、おつかれさま」
「真希ちゃん、ありがとう」
 今度は若い女の子がお冷を持ってくる。この子の笑顔もまた私の心を癒してくれる。真希ちゃんはまだ女子大生。ここのマスターの親戚にあたるそうだ。
「はるみさん、今日の放送もよかったですよ」
「あは、ありがとう」
 私は笑顔でお礼を言って、今日一日を振り返ってみた。
 私の名前は長野はるみ。この街のコミュニティFMでパーソナリティをやっている。地方の小さな放送局ではあるけれど、今は毎日が充実している。私のメインはお昼のリクエスト番組。午後一時から五時まで、四時間という長い時間ではあるけれど、ここでリスナーとやりとりをしながら楽しい話題をみなさんにお届けするのが私の役目。
 少し前までは我社のもう一人の看板パーソナリティの田坂さんと一緒にコンビを組んでこの番組をやっていた。しかし田坂さんは今では私の後の時間、五時から七時までの番組を担当している。最初はちょっと寂しい気もしていたが、逆に私と田坂さん、それぞれの特色を活かした系統のまったく違う番組を作ることができ、これが評判になっている。
 私の仕事はそれだけではない。小さなFM局だから、その他の雑用的な仕事もこなさなければならない。ディレクターの石井さんもついてくれてはいるのだが、この人がまた掛け持ちでいろいろな仕事を持っていて。だからそこをカバーするために私自身でいろいろな企画を立て、取材をし、自らスタッフを動かしている。
 おかげで私の放送がない日曜日でもなにかしら動いていなければならないという状況。けれどこの仕事が好き。だからストレスはそんなに感じていない。
 強いてストレスを感じているとすれば、この喫茶店エターナルに来ることかしら。でもそのストレスは、普通に言われている嫌なものとは異なる。何がストレスなのか、それはお目当てのコジローさんになかなかすんなり会えない、というストレスだ。
「今日はコジローさん、遅いね」
 真希ちゃんが時計を見ながらそういう。
「コジローさんは別に私を待ってくれているわけじゃないから。それに私が会いたくて勝手に来ているんだし。気にしなくてもいいわよ」
 そう言ったものの本音は違う。やはりコジローさんに会いたい。
 コジローさんはちょっと変わった仕事をしている。裏ファシリテーター。政治や経済会の表に出せない問題を、話し合いで解決していくという仕事。私たちのFM局は以前コジローさんに救われた。それからというもの、コジローさんへの仕事の依頼を中継する役目を私たちが行っている。
 この世界を知っている人は、まず私やスタッフに裏ファシリテーターの仕事の依頼を行う。そして主に私の番組を通じて、暗号でその指示をコジローさんやマスター、真希ちゃんに伝える。この暗号を知っているのはこの三人だけ。コジローさんは裏ファシリテーターの仕事に対してはかなり慎重にことを運んでいる。
 私がコジローさんを憧れている理由、それはその生き方にある。自分の信念を貫き、人のために行動する。私もそんな人間でありたい。けれど、今はちょっとその自分の考えに疑問が湧いてきている。それがなんなのか、自分でも今ひとつつかめないのがもどかしい。
 このエターナルには不定期に訪れている。放送局で私の仕事が終わっても、日によっては取材に行ったりすることもあるし。また仲間内でミーティングを行うこともある。私に自由な時間ができたときだけ、ここに足を運んでいる。そしてここでコーヒーを飲んでコジローさんやマスター、真希ちゃんたちと語り合う。これが私の心からの休息の時間に感じている。
「ところで、はるみは最近ちゃんと休んでるのか?」
 マスターが私のことを心配してくれる。実はそれには理由がある。
 一ヶ月ほど前の話だけれど、私は大きく体調を崩したことがあった。原因は疲労。けれど番組に穴をあけるわけにはいかないので、半ば無理をしていたことがあった。
「うん、極力休むようにはしているけど。その時間がなかなか取れないのも確かなのよね」
「はるみさんって、日曜日はお休みなんでしょ。いつもなにしているの?」
 真希ちゃんからそう言われて、私は言葉に詰まった。
 よく考えてみたら、休日ということを今までまったく考えていなかった。休みの日も仕事のことで頭がいっぱい。どこかに出かけても、これはラジオのネタになるんじゃないか、という視点で様々なものを見聞きしていた。おかげで友達からも
「はるみは仕事の鬼よね」
と言われるほどであった。自分ではそれが自覚出来ていなかったのだが。
 体調を崩したときにも、せめてコジローさんには会いたいと思ってエターナルには足を運んだのだけれど。運悪くコジローさんは忙しい時期でなかなか会えずにスレ違いだったのもあって。その精神的なダメージが大きく、いまだに疲労があとを引きずっている。
「おまえ、顔色イマイチ冴えないぞ。ラジオだからまだいいけど、これがテレビだったらちょっとなぁ」
 そんな顔色しているのかしら? やばいなぁ、まだ私若いのに。
「そうよそうよ、はるみさんってきれいな人なんだから。今みたいな顔してたら、コジローさんに嫌われちゃうわよ」
 真希ちゃんも同じようなことを言う。それだけ私、ひどい顔をしているんだわ。ちょっと真剣に考えないと。
「そうは言ってもねぇ……仕事のことを考えるとなかなか気持ちが休めなくて。どうしたら良いと思う、マスター」
「どうしたらって言われてもなぁ……あ、ひょっとしたら」
「ひょっとしたら?」
 マスター、何かいい案を持っているのかしら?
「はるみ、コーチングって知ってるか?」
「コーチングって、確か上司が部下のやる気を引き出すって、あれでしょ」
「そうそう、それもあるんだけどよ。確かはるみみたいな問題も解決してくれるって聞いてるぞ」
「私みたいな問題って、仕事に追われている状況をどうにかしてくれるの?」
「まぁオレも詳しいことはわからねぇんだけどよ。知り合いにコーチングをしてくれるイイヤツがいるんだよ。一度会ってみないか?」
 マスターの言葉にちょっと興味を惹かれた。あの情報通のマスターが言うのだから間違いはない。
「あ、それって羽賀さんのことでしょ。コジローさんも羽賀さんはすごいって言ってたもんね」
 真希ちゃんの言葉に私はさらに興味を持った。あのコジローさんがすごいって言うくらいだから。これは相当の人だとみた。
「それなら一度会ってみようかな。どうしたら会えるの?」
「オレから連絡をつけてやるよ。はるみはこの時間だったら大丈夫か?」
「そうね、毎週水曜日は定例会議があるけど。その他だったらよほど急ぎの取材が無い限りは大丈夫と思うわ」
「よし、善は急げだ。早速……」
 マスターは携帯で電話を始めた。私はその間、あらためて疲れた体を癒しながらコーヒーを味わうことに。よく考えたら、家にいてもこうやって落ち着いて時間を過ごすなんてことないなぁ。すぐにパソコンにかじりついて、原稿を打ったりインターネットで情報を探したり。何もしない時間って、ホントこのエターナルにいるときくらいじゃないかな。
 いつからそうなったんだろう。でもこれが悪いとは思っていないし。むしろそうしないと落ち着かない自分もいる。どれが正しい自分なんだろう。どれも間違いじゃないし、逆にどれも正解じゃない。ただひとつ言えるのは、どんな状況であっても心を落ち着かせてゆったりと過ごせるのはこの場所以外に無いということだ。
「はるみ、連絡がついたぞ。明後日だったら大丈夫だそうだ。お前の予定はどうだ?」
 マスターの声で現実に引き戻された。
「あ、ちょっと待って」
 あわてて手帳を開く。明後日か、ここだったら大丈夫かな。
「とりあえずOKよ」
「よし、先方にそう伝えておくぞ」
 この羽賀さんが私にどう関わってくれるのか。これからの私がどう変化していくのか。楽しみでもあり不安でもある。
 そうして今日もコジローさんを待ちぼうけの私がいた。

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