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コーチ物語 クライアント19「女神の休日」その3

「はるみ、ちょっとちょっと」
 羽賀さんのコーチングがスタートしてまもなく、私がスタッフルームで次の打ち合わせをしようと思っていたときにしずちゃんこと、ミキサーの牧原しずえが私をこっそり手招きした。一体なんだろう?
「しずちゃん、どうしたの?」
「どうしたの、じゃないわよ。はるみ、結婚するってホント?」
「えっ!? どこからそんな話が出たのよ」
 びっくりしたのは私の方。結婚するだなんて、そんなうわさはどこから流れてきたんだか。私には結婚どころか恋人すらいないのに。
「だよねー。おかしいと思った。でも、影ではそんな話が出てるのよ」
「結婚って、それ誰から聞いたの?」
「誰からってわけじゃないけど……でも、私たちの間じゃその話でもちきりよ」
 知らぬは当人ばかりなり。でもまさか、ホントに私の知らないところでそんな話が出ていたとは。うわさの出所は一体どこなんだろう?
「じゃぁ、ディレクターの石井さんもパーソナリティの田坂さんも、営業の木下くんもそんな話をしてるの?」
 しずちゃんはこっくりと首を立てに振った。今名前をあげた三人としずちゃん、そして私はかつてこのFM局をコジローさんと一緒に復活させた仲間である。気がつくと自然とチームを組んでいろいろなことに取り組んでいた。それだけに気の合う連中ではあるのだが。
 だが、その連中からは私の結婚だなんて話、一言も出ていない。一体どういうことなのだろう?
「しずちゃん、ちょっとみんなを集めてくれる?」
「集めるって、今から次の打ち合わせでしょ?」
「いいから、急いで集めて!」
 ちょっと苛立つ私。私の知らないところでこんな話になっているだなんて。それってどういうことなの?
 私は腕組みをしてスタッフルームで待っていた。狭い会議室ではあるが、ここでかつてはいろいろ話し合いを行い、このFM局を回復させたものだ。そのときの仲間が私のことを影でコソコソとうわさしていただなんて。腹立たしいにもほどがある。
ギギィ〜
 ゆっくりとドアが開く。こっそりと覗き込む顔。かつての相棒パーソナリティの田坂さんだ。バツの悪い顔をしている。
「入って!」
 ぶっきらぼうにそう言う私。田坂さんに続いて木下くん、石井さん、そしてしずちゃんも入ってきた。
 四人が私の前にずらりと並ぶ。私はギロッと四人をにらんだ。
「一体どういうこと? 私がいつ、誰と結婚するっていうの?」
ドンッ!
 机を大きく叩く。それに合わせて四人がビクっと体を震えさせる。
「あ、あのさ、はるみ、やっぱ結婚話はデマなんだよな?」
 恐る恐る私にそう言ってくるディレクターの石井さん。この五人の中では仕切り役としてコジローさんばりのファシリテーションをやってのける人で、一番信頼を持てる人だと思っていたのに。
「当たり前でしょっ! そんなうわさ、一体どこから流れてきたの!?」
ドンッ!
 再び、握りこぶしを机に叩きつける私。さらに四人は体をビクっと震わせる。
「ほら、だってさ、最近はるみの様子がちょっと変じゃない。前は私たちによく付き合って飲みにも行ってたけど。このところ付き合い悪いし……で、男でもいるんじゃないかって話になって……」
ドンッ!
 私はさらに強くこぶしを机に叩きつけた。
「付き合い悪いって、私が体調崩したの知ってるでしょ! だからしばらくは無理はできないのっ!」
「まぁ、はるみ、そんなにカリカリするなよ。でもよ、お前が男と歩いてたっていう目撃情報もあったから……」
 そう言ったのは田坂さん。どうやらうわさの出処はここのようだわ。
「私がいつ、どこで男性と歩いてたのよ? 私は休みの日はラジオのネタになるんじゃないかと思って、いろんなところを走り回っているのに。男性とデートなんかする時間はないの!」
「でも、オレも見たんだぜ」
 そう言ったのは木下くん。彼は冷静な性格でものごとを判断する。その木下くんがそう言ったのは意外だった。
「どこかで見間違えたんじゃないの?」
「いや、あれはたしかにはるみだった。男性と腕を組んで楽しそうに話をしていたんだ」
「それって、いつ、どこでよ?」
「先々週の日曜だったかな。セントラルアクトのショッピング街で。洋服を楽しそうに選んでいたよ。あまりにも仲よさそうだったから、声かけづらくて」
 先々週の日曜。私は何をしていたのか頭の中を巡らせて思い出してみた。けれど、あまりはっきりとした記憶がない。
 あわてて手帳を開いてみる。が、そこには「休日」としか書かれていない。他の日曜日も休日と書いているのだが、取材のアポを取った先や時間はきっちりと記録されている。なのにこの日だけは不思議と空白になっていた。
「はるみ、おまえその日は何をしていたんだ?」
 田坂さんがそう質問してくるが、本当に思い出せない。どういうこと?
「やっぱ人に言えないこと、やってたんじゃないの?」
「そんなことないっ!」
ドンッ!
 田坂さんの言葉にまた大きく机を叩いて反論。けれど、それ以上言葉が出ないのは確か。本当にこの日一日の記憶が抜け落ちている。
「はるみ、どうしたの?」
 私の不安そうな顔を見て、しずちゃんは私にそう言う。
「ちょっと、ちょっと待ってね……」
「おい、はるみ、どうしたんだ?」
 今度はみんなが私を心配してくれる。が、私自身がだんだん不安になってきた。本当にこの日、私は何をしていたのかさっぱり覚えていない。ひょっとしたら無意識のうちに見知らぬ男性と本当にデートしていたんじゃないだろうか。そんな不安にさえかられてきた。
 そう思った瞬間、私の意識はスゥーッと遠のいていった。
 次に私が目を覚ましたのは、病院のベッド。目を開けるといつもの四人の顔がそこにあった。
「おい、はるみが目を覚ましたぞ」
 田坂さんの声がハッキリ聞こえる。
「わたし……わたし、どうしちゃったの?」
「はるみ、お前突然倒れたんだよ。救急車で病院まで運んでもらって。それよりホント、お前どうしたんだ?」
「わたし……わたし、わからないの。あの日、何をしていたのかまったく覚えていないの」
「あの日って?」
「木下くんが私を目撃したっていう日。この日、私は間違いなく休日でオフ日だったはず。なのに、この日の行動をまったく覚えていないの……」
 どういうことだ、と言いたげな四人。
「ともかく、今日はゆっくり休め。明日も生放送があるからな」
 石井さんはやはり番組に穴をあけてはいけないという責任感もあり、私にそう言ったのだろう。私もそれは感じている。
「うん、わかった。でも大丈夫、家には帰れそうだから」
「よし、じゃぁ牧原、つきそってやれ」
「はい」
 ディレクターの石井さんから命令されて、しずちゃんが私に付き添うことになった。私としてもそれはありがたい。けれど、本当に私、どうしたんだろう?
 病院を出てタクシーで家路につく。しずちゃんは何も言わずに私に寄り添ってくれる。
「私、何かの病気なのかな?」
 ポツリとそんな言葉が私の口から出てきた。
「大丈夫よ、そんなことないって」
 しずちゃんは私を心配してそう言ってくれる。けれど、私に何かが起こっていることは間違いない。
「ひょっとしたら夢遊病……」
 不安はさらに広がる。
「大丈夫だって。疲れているだけよ。本当のはるみを取り戻したら、ちゃんと元気になるって」
 この時、しずちゃんの言葉で私の頭にひらめくものがあった。
「本当の私……そうだ、羽賀さん、羽賀さんに相談してみよう」
「羽賀さんって?」
 私の声にびっくりして反応するしずちゃん。だが私の頭の中には、羽賀さんに相談することだけしか残っていなかった。

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