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コーチ物語 クライアントファイル15「弟子入り志願」その4

 そして翌日から、ボクは羽賀さんの事務所通いが始まった。まずは朝、羽賀さんからやってもらいたい仕事を言い渡される。ボクはSEの技術もあるけれど、それに関連したITがらみの知識も持っている。そのため、インターネットに絡んだ仕事を中心にやることになった。
「詳しいことはミクと打合せをしてやって欲しいんだけど。まずは佐藤さんのアイデアを練ってみてよ。ホワイトボードは自由に使っていいから」
 羽賀さん曰く、今はとにかく多くのアイデアが欲しいそうだ。羽賀さんの仕事はそれなりに順調。しかしどうやったらもっと効率よく羽賀さんの思いや考えを多くの人に伝えられるのか。そこがポイント。
 そして羽賀さんは個人クライアントの面談コーチングへと出かけていった。本来なら同行させてコーチングを見せたいところだけれど、守秘義務もあるしクライアントに許可もとらないといけないので、様子を見ながら同行させてくれると言うことだ。
 午後は企業の研修打合せが事務所であるから、それに同席して欲しいと言われた。表舞台だけではなくこういった裏側も知ってもらうことも大事だということだ。
 ボクとしては願ったり叶ったりで、逆に申し訳ないくらい。とりあえず言われた仕事をこなすことに。だが一人になるとどこからどう手をつければいいのか、さっぱりわからないのも現実。どうすりゃいいんだ。
 で、結局午前中はコーチング関連のホームページをいろいろ見るだけで終わってしまった。
 そして午後、打合せの来客。
「よっ、唐沢。紹介するよ。今うちでコーチングの勉強をしに来ている佐藤さん。将来コーチとして仕事をしていきたいそうだ」
「おめぇか、羽賀を師匠にするなんて奇特なやつは。わはは」
 今回の仕事はコンサルタントの唐沢さんからの依頼だそうで。企業でのコーチング研修を請け負うそうだ。打合せは羽賀さんと唐沢さんがお互いに話したことをそれぞれホワイトボードに書き落としていきながら進められていく。このスピードが尋常じゃなく速い。
 まるで餅つきを見ているように、羽賀さんが言えば唐沢さんが返す、唐沢さんが言えば羽賀さんが返す、この繰り返し。あっという間にホワイトボードは文字で埋め尽くされてしまった。ボクはただ唖然として見ているしかなかった。
 一時間ほどで打合せは終了。あとは軽く世間話。
「へぇ、佐藤くんは元SEか。でもどうしてコーチングなんか始めようと思ったんだい?」
 唐沢さんは気さくな人で、まるで昔から友達だったかのようにボクに話しかけてくれる。だからこちらも答えやすい。
「前の会社で上司との人間関係トラブルで辞めちゃったんです。で、そのあとコーチングって本に出会って、そこでこれだって思ったんですよ」
「なるほど、よくある話だ。で、どうして羽賀んとこに?」
「まぁこれが奇妙な縁で。たまたま見たブログに羽賀さんのことが書いてあって。その人にメールしたんです。そしたらすぐに羽賀さんを紹介してもらって。ホント運がよかったです」
「なるほどねぇ」
 ここでちょっと羽賀さんが手招き。そして小声でボクの耳元でこんなことをささやいた。
「ちょうどいい機会だから、唐沢にコーチングを試してみて」
 えっ、ここでコーチング!? それを意識したとき、ボクの心臓は急にバクバクなり始めた。
 羽賀さんは目で「いけっ!」と合図。ボクは大きく深呼吸をして唐沢さんにこの一言を投げてみた。
「あ、あの、唐沢さん。今、ちょっとお困りのこととかありますか?」
「なんだよ、急にかしこまって。まぁちょっとどころじゃなくたくさん困りごとは抱えてるけどよ。なにしろオレ様は優秀なコンサルタントだから。人様の困りごとを解決するのが商売よ」
 唐沢さんは大見得をきってそう言った。この人、悩みなんか抱えてそうにないなぁ。さぁて、どうしよう? こっちが困ってしまった。
「まぁ、強いて言えば人が足りねぇってことかな。オレんとこも羽賀んとこと同じように、事務のパートさんが一人いるだけでよ。ホントなら有能な美人秘書でもほしいところだわ」
 さいさい唐沢さんが言葉を続けてくれたので、ボクはその言葉に乗ることにした。
「じゃぁ、今はスタッフが欲しいということなんですよね?」
「あぁ、その通りだ」
「そしてできれば美人の秘書が欲しい、ということですか?」
「そうなりゃいいなぁ」
「ということは、スケジュール管理なんかに困っているってことですね?」
「確かに、それは困るんだよなぁ」
 よしよし、唐沢さんの困っている現状が見えてきたぞ。確かコーチングではGROWモデルといって、現状と目標を聞いた後、解決案を出してそこから選択をさせ、最後は「いつから始めますか?」みたいなことを聞けばよかったんだ。よし、この流れで行ってみるか。
「では美人秘書が来たら、仕事の流れは良くなりますか?」
「そりゃなぁ、良くなるだろうけど」
「売上げもあがりそうですか?」
「うまく管理してくれりゃそうなるだろうな」
「じゃあ、そういったいい人がいれば、採用をしたいと思いますか?」
「おいおい、ちょっとストップ。羽賀ぁ、おまえ佐藤くんに何をけしかけたんだよ。おおかたオレを相手にコーチングをやってみろって言ったんだろ?」
「ははは、唐沢、悪い。その通りだ」
「んとに、急に変な会話になるからどうせそんなことだろうと思ったよ」
「今の会話、変でしたか?」
 ボクは自分がやったコーチングがどうだったのかを聞きたかった。
「羽賀、佐藤くんにズバリ言っても傷つかないか?」
「ボクなら大丈夫です。おかしかったところを遠慮なく言って下さい」
「佐藤さんもそう言ってるから、遠慮なく」
「じゃぁ言うぞ。佐藤くん、今オレにコーチングをしていたつもりだろうけど、オレに向かっての質問、あれはどう考えても誘導質問だぞ」
 誘導質問。そんなつもりはなかった。ただ唐沢さんの状況が良い方向に向けば。そう思って行った質問だった。
「その顔はどうして誘導質問になったのか、理解していないな。よく考えてみろ。オレは佐藤くんの質問に対してなんて答えていた?」
「なんてって……」
 そういわれてもよく思い出せない。
「オレは佐藤くんの質問に基本的にはイエスとしか答えてねぇ。つまり佐藤くんはクローズドクエスチョンしかやってねぇんだよ。しかも、佐藤くんが頭の中で考えた状況へとオレを導こうとする方向の質問ばかりだ」
 言われて始めてわかった。確かにボクは唐沢さんの期待するであろう状況を勝手に想像して、それを確認するような質問しかしていない。
「さらにもう一つ言えば、今の会話はオレよりも佐藤くんのしゃべる時間の方が長かったぞ。佐藤くん、もっとオレにしゃべらせなきゃダメだよ」
 あ、そうだ。肝心なことを忘れていた。質問することにばかり意識が向いて、肝心の聴くということをやっていなかった。
「そして決定的なこと。オレは別に本気で美人秘書が欲しいなんて思ってねぇ。だいたいそんな人を雇ったら人件費がかかってしょうがないからな。オレの本心を聞き出すコーチングをやってくれねぇとなぁ」
 ここまで言われて思いっきりショックだった。返す言葉がない。
「ボクも唐沢と同じ事を感じてたよ。唐沢、ありあがとう。でも大丈夫。ボクも最初はそんなもんだったさ。本で読んでコーチングができると思って、ボクの師匠と会話したとき、似たようなことを言われたよ」
 羽賀さんもそうだったんだ。そう思ったら少し肩の荷が下りた。
「大事なのは知識じゃない。それを使いこなすこと。何度も繰り返し練習をしていけば、いつの間にかそれができるようになる。そのために佐藤さんはここにいるんだからね」
「はいっ、ありがとうございます」
「ま、ミクのヤツよりはマシだったかな。あいつの場合は言葉遣いがなってなかったからなぁ。佐藤くんは言葉が丁寧だからまだよかったよ」
 ミクも同じだったんだ。それが昨日やってもらったときのようになるまで成長しているなんて。やはり羽賀さんのところに来て正解だったな。
「ちーっす! あら、唐沢さん来てたんだ」
「おっ、うわさをすればなんとやら。お前、あいかわらず元気だなぁ」
「まぁ、かわいいミクちゃんのうわさをしてたのね。唐沢さん、今日は一段と男前に見えるわよ」
 学校帰りのミクの登場で事務所はいきなり賑やかになった。今日はミクの入れたお茶を飲んだ後、早速コーチングのレクチャーと実践を受けることに。さっきの失敗を繰り返さないよう、ボクはノートに今日気づいたことを早速記録した。
 こうして羽賀さんの弟子入り初日が過ぎていく。たった一日でもこんなに大きな事を得ることができたなんて幸せだ。この先、どんな事が起きるのか。そしてボクはどんなコーチへと成長出来るのか。とてもワクワクするな!

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