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“Rad am Ring2022“Nürburgring24時間耐久 後編

みなさんこんにちは。
いつもKEIMASA CYCLEをご覧いただきありがとうございます。
いつも一緒に走る際には後ろに張り付かせてもらい盛大に楽をさせてもらっているKです。

前回はニュルブルクリンクにて24時間耐久前夜の話を書きました。
今回はその後編です。
3部作にする予定が間違えて前後編の2部作にしてしまったので後半の今回は字数がやばいです。
お時間あれば最後までご覧ください。


イベント当日の朝

前日の日付が変わる前に寝たからかこの日は7時前に起きることができました。

前日の騒がしさが嘘のような静けさ。

レース開始時刻は12時からなのでまだ時間があります。
普段なら2度寝しますが早起きしてサーキット場を散策しました。
多くの人がその場所にいるはずなのに静かと言うのはなんだか不思議な気分ですね。

朝ごはんは豚汁でした。
レース当日に豚汁が食べられるなんて…前日からイベント終了時まで食事の準備をしてくださった宮野さんとEttyさんの2人のおかげでイベントが楽しめたと言っても過言ではありません。
本当にありがとうございました。
朝ご飯を食べた後は同じTeam639『S』のメンバーである村山さんと長野さんの3人でモーニングコーヒーを飲むためにイベント会場へ行きました。
『こんな早朝からやってんのか?』って思いましたがバリバリ営業していました(7時半)

サイクリストにコーヒーは鉄板

今回のイベントで唯一のコーヒーブースであるCYCLE CAFEでコーヒータイム。
コーヒーに詳しくない私でも思わず「あっ、これ美味しい」と言ってしまうほど美味しかったです。
ゆっくり飲もうとしたら給水所で飲んでいるかの如くすごい勢いで飲み干した長野さんが「飲み終わったので行きましょう」と言ってきました。

あまりの飲む速さに気が動転して返さなければならないコーヒーのカップをそのまま拠点へ持って帰ってしまいました(カップ料金が1€かかるが返さなくても良い)

それとレース会場にはシャワー可能なコンテナがあります。
試しに浴びにいきましたが眠気が1発で覚めるほど水が冷たすぎてシャワールームから飛び跳ねてしまいました。
後ろのドイツ人は水の冷たさに唸りながら浴びていました。

レース直前

レース開始まで時間があったのでテントの中で転がっていたところ何やら聞いたことのある声が聞こえました。
先日ケルンでのレースにて知り合ったデュッセルドルフ在住の海崎さんが拠点を訪ねに来てくれたそうです。
海崎さんは後述する75km部門に出場する予定でしたが「1人で3周するよりチームで3周した方が楽しい」と言いう浅野さんの提案により『T』に入り一緒に走ってくれる事になりました。

レース開始

11時過ぎになりいよいよ第1走者のTeam『S』のKEIMASAと『A』の志賀さん、『T』の金子さんもスタート地点へ出発します。

志賀さん、金子さん、KEIMASA
60代、40代、20代

12時頃にレースがスタートしますがその前にJEDERMANNRENNENという25km、75km、150kmの部門の選手達が出走し始めます。
(日本で言う草レース部門)

150km部門は6周するのでそこまで飛ばしませんが25kmと75km部門は1周と3周なので序盤から凄いスピードで走行していました。

解き放たれたようにローディー達が一斉にスタートする光景は迫力満点だ


しばらくすると24時間組が一気にやってきます。

スタート直後の金子さんとKEIMASA

1周25kmですが1周目組だけは少しだけ短縮されたルートを走るので少しだけ早く帰ってきます。
KEIMASAは45分、金子さんは50分、志賀さんは52分で帰ってきました。
『S』の第2走者は長野さんです。
チームの襷はダウンチューブに収まる大きさのボトルをバトンがわりに繋いでいきます(中に記録用チップが入っている)
KEIMASAの予想では長野さんは50分ほどで帰って来るとの事でしたので3番走者の私は30分過ぎからストレッチやらの準備運動を始めました。
実はこの時、かなり緊張していて腕の力が入っていませんでした。
と言うのもKEIMASAが前日にサラッとぶっ込んできたそりゃ死人が出る場合もあるから言葉が頭から抜けていなかったのです。
KEIMASAと長野さんにはこのコースを走った経験がありますが私にはまだありません。
やはり走った経験のないレースに出るのは緊張します。

実はかなり緊張していた

そしてようやく私の1周目です。
長野さんからボトルを受け取って早速スタートします。
周回数の横には何時から何時まで走ったのかも表記します。


コース紹介

まずは私の主観でコース紹介をします。
(文章を読む過程で何度もこのコースを確認する事になりますが気合と根性でご覧ください)

拠点は左下
水色□と青②地点に給水エリアがある

スタートしてすぐにピットエリアの目の前を走りそこから北コースエリア★1に入ります。
★1から★2までの約9kmはKEIMASAが前日に言っていた『ほぼブレーキを使わない』坂道エリアです。
★1からいきなり時速80km以上出せる坂が始まります。
飛ばす人は100km以上出すそうです。

さすがアウトバーンの国だけあって皆すごい勢いで坂を攻める

そして★1から★2まで10分程で一気に300mほど下ります。
9km地点の青①から青②の18km地点までは上り坂が始まります。
序盤は3~5%程の緩やかな上りで黄①から一気に斜度が上がります。
青②はこのコースでの最高到達地点で最大斜度17%、高度560mです。
★2から一気に300m上る事になるので坂道が苦手なローディーはここで一気に振るい落とされます。

黄①のニュルで有名なカルッセル
ここを越えると斜度が一気に上がる

青②から黄②までの約5kmはアップダウンが続きます。

一気に下ってその勢いを利用して一気に上るをひたすら繰り返す
下りが終わる直前のペダルを回すタイミングを間違えると体力をかなり削られる

黄②を終えると橙↙︎①から斜度1~3%の直線に入ります(通称アウディストレート
レース序盤はここで隊列を組んで一気に速度を上げる事ができますが周を重ねた後半は疲労によりローディーが激減するので隊列を組むのが困難になります。
それと同時に同時刻に開催されているマウンテンバイク部門のマウンテンバイカー達がここでエリア外から合流してきます。

写真中央からマウンテンバイク勢が合流してくる

その後の青③の斜度が5~8%です。
斜度自体は大したことはありませんが前半の坂で体力を削られているので地味にきついです。
更に坂が終わる直前のカーブは皆同じ位置取りで走るので走るタイミングを間違えると渋滞が起こり豪快に足の体力を削り取られます。

平坦直前のカーブでは皆同じコースで走るため運が悪いとそこで詰まる
回避する為にどんどん前に行く必要性がある

坂が終わると橙↙︎②のこのコース唯一の平坦直線コースです。
一気に隊列を組んで走りたいところですが皆疲れ果てているため隊列を組んでも誰も前を走りたがりません。
直線後はいくつかのカーブと多くのローディー達の拠点地の目の前を通りようやく自分達の拠点地へ到着します。
1周約26km、カーブの数は100個以上に及ぶそうです(そんなにあった気がしませんが)

皆が応援してくれるからとても気分が良くなるし頑張れる

1周目(14:32-15:24)

拠点を出発していきなり軽い下り坂
ここで簡単に時速50km以上出る

緊張で手が震えつつも全く情報のないまま★1の北コースへ入ります。
最初の下り坂で早速度肝を抜かれました。
と言うのも、ペダルを回さずにいきなり時速70km以上出たのです。
もはや手を震わしている暇はありませんでした。
見晴らしが良かったのでそのまま突っ込みましたが最初の黒①のカーブで驚いてしまった私はいきなり減速してしまいました。
更にスピードが上がった黒②はコースの先が見えず一切減速する事なくインから突っ込んでしまいました危うく落車しかけました(カーブ直後にはYOKOHAMAと書かれたゲートがある)
そしてその地点ででこの日最高速度の80kmを計測しました。
一瞬だけ上り坂を挟みスピードが上がった状態で一気に降る黒③で左折方面の急カーブがあります。
他のローディーは一気に曲がっていきますが私は左カーブは過去何度か転倒した経験があるためかなり苦手です。
そのためここでも減速を余儀なくされました(最後まで攻略できなかった)
しかしそれが終わった後はひたすら上り坂です。
坂道は好きではありませんが前に出るならこのエリアしかないのでひたすらペダルを回してチンタラ走る人を抜かしていきます。
1周目なのでとても元気です。
しかしいつまで経っても坂の頂上が見えません。
フランクフルトのレースのように途中で力尽きる可能性があったためのんびり走る事にしました。
その坂道で知り合ったドイツ人のお兄さんから「初めて走るならのんびり行こう。無事に走るのが大事だからタイムなんでどうでも良いさ」とアドバイスをいただきました。
このお兄さんとは後々何度か遭遇します。
円形カーブの『カルッセル(元々は排水溝)』を超えた後に一気に斜度が上がります。
Team『T』の金子さんから「中盤の終わりに一瞬だけきつい坂があるからそこを抜ければ後は楽だよ」と言われていたのを思い出しました。
横を見ると自転車を押して歩いている人が何人もいたので『おそらくここがその坂なんだろう』と言うことで一気に駆け上がりました。
ダンシングが苦手な私は4周目まではシッティングで登りました。
そこからは徐々に下り坂へ移行しますがその直後に黒④の緩い左カーブからの大きな右カーブがあります(5周目まで攻略ができずかなり手こずった)
更にそのカーブの直後に上り坂が来るので少し厄介です。
その後は下って上ってを2回繰り返した後に前半の途中にも通ったような円形カーブを通ります。
このカーブは少し特徴的で下の段と上の段で道が少し分かれています。
単純に下のルートの方が距離が短いので皆そちらへ行きますが遅い人もそのコースを走るのでタイミングを間違えると渋滞します。
抜かしたい人はむしろ上から抜かします。
アウディストレートで偶然できたトレインに乗り速度を上げますが斜度が少し上がったタイミングでマウンテンバイク部門のバイカー達が突然割り込んできました。
驚きつつもまとめてトレインに乗せて一気に坂を駆け上がります。
ピット前のストレートエリアでは40km以上で走るマウンテンバイカーに引き連れられてあっという間にストレートコースを突破。
その直後の急カーブ黒⑤には最後まで苦戦させられました。
その後のカーブも苦戦しましたが周を重ねるたびに攻略できたので最後の方は『見せ場だ!』と思いながらカーブを攻めていました。
上々な立ち上がりで1周目を52分で走り4番手の村山さんへバトンを渡しました。

下り坂で抜かされまくる分、上り坂では片っ端から抜きづつけた

2周目までの間の出来事

走り終えた後は休んだ方が良いとの事だったのですぐにテントで寝る事にしました。
しかし寝袋に入ると暑すぎるのでテント内の中間にある芝生の上で寝る事にしました。
芝生の上で寝るのは意外と気持ち良いです。
ダラダラしているうちに2周目がやってきました。
私が出走する10分ほど前に『T』の海崎さんがスタートしたので『あの人に追いつけばさっきと同じタイムで走れるな』と勝手にペースメーカー認定をさせてもらいました。

2周目(18:04-18:57)

突っ込みすぎると危ないと言う事を知ってしまった2周目は1周目とは打って変わって下り坂の速度が落ちます。
しかし曲がる位置やブレーキを使用するタイミングがわかったので1周目とは比べ物にならないほど精神的に楽に走ることができました。
それと同時に黒②はここで攻略しました。
スタートしてから青①の坂道が始まってすぐにある青□の給水エリアまでは約20分で到着します。
この後の周はここと青②の第2給水エリアのタイムを基準に私自身の状態を確認して走りました(1周目は33分、2周目は34分)
後半に入っても先に出走した海崎さんが見当たりません。
もはやゴールを忘れてこの周は『海崎さんどこだ!?』と心の中で叫びながら走っていました。
橙↙︎①に差し掛かるところでようやく海崎さんをとらえた…と思ったら体型がそっくりな別の人でした。
この人と話し合って隊列を組みます。しかし2人では負担が大きいので「隊列組むから集まれー!」と周りを巻き込んで無理やり隊列を組みました。
意外な事にこれでかなりの人数が集まりました。
残念ながら青③で殆どの人を置いてきてしまいましたがその後の橙↙︎②では速度をあげて一気に走り切る事に成功しました。
2周目のタイムは53分でした。

海崎さんと勘違いした緑ヘルメットのローディーと後半は一緒に走った

残念ながらゴールまで海崎さんを捕まえることができませんでしたが本人曰く「必ず来るだろうと思って必死に走った」との事。
そうです、捕まえる気満々でした。
ちなみに海崎さんはゴール直前で足を攣って絶叫していたそうです。

3周目(21:39-22:35)

21時を過ぎると少しずつ日が沈んでいきます。
ルール上リアライトを忘れると運営側から出走を止められる可能性があるのでこの時間帯から前後共に装着して走る事にしました。
使用したフロントライトはKEIMASAから頂いたOlight ALLTY 2000、リアライトはSTRIP DRIVE ALERT STVZOです。
出走当時はまだ明るいからなんとかなるだろうと思っていましたが北コースが思った以上に道が暗くて下りでは2周目以上に速度を落として走行する事になりました。
更に疲れが出てきたのか青①からの上りも身体が重く思いのほか上る事ができません。
その結果、下りでは50秒、上りでは2分の遅れが出てきました。
後半は調子が上がって来ましたが夜になった事で走行する人が減り橙↙︎①と②で隊列が組めずに速度を上げることができません。
なんとか56分で走り切る事ができました。

4周目までの出来事

3周目が終わり疲れがあったのですぐに寝る事にしましたが身体が興奮状態にあるため全く眠くなりません。
なんとか疲れを取りたいと思い今回助っ人としてチームに参加してくださっている川口さんにマッサージをお願いしました。
紹介が遅れましたが川口さんは日本の鍼灸マッサージ師の資格を持ち現在はドイツ(デュッセルドルフ)にてマッサージ院を経営しています。
KEIMASAがプロチームの撮影として参加した際にわずかではありますが動画にも写っていますのでよければご覧ください。

初めてプロの方にマッサージをしてもらいましたが…凄いですね。
痛かった箇所や疲れていた箇所があっという間に改善されていきました。
と言うか、痛い箇所多すぎます。
私はこの後2回、KEIMASAに関しては毎周ペースでお願いしていました。
はっきり言ってこれがなかったら最後まで走り切るのは無理でした。
川口さんには本当に感謝しています。
ちなみに川口さんには拠点のお留守番もしてもらっています。
帰った時に川口さんがいると『帰ってきた』とホッとします。

マッサージを受けるKEIMASA

4周目(01:28-02:27)

この周は完全に暗黒世界での走行でした。
前半の下りはライトの光量を最大で、上りは光量を下げて(バッテリーを節約)」と言うKEIMASAのアドバイスに従って最大光量で北コースへ入ります。
真っ暗です
冗談無しに本当に真っ暗です。
『えっ、この中走るの?』ってくらい前が見えません。
例年通りであれば他の参加者のライトで比較的明るいらしいのですが今年はこの時間の参加者が極端に少ないのか本当に真っ暗の中を走る羽目になりました。
とてもじゃないですがカーブは怖過ぎて全くスピードが出せません。
更に時折現れる無灯火でスーパータック走行をしてくる頭のおかしいローディーに怯えながら慎重に走る羽目になりました。
青①まで来ると夜道をたらたら走るローディー達と合流して少しだけ明るい中走る事ができます。
しかし結局は青②で全員置いていくので後半もほぼ1人で暗黒世界を走ることになりました。
そして結構寒いです。
この周からTeam639の長袖ジャージを着用して走りましたがこれが思った以上に熱をこもってしまい蒸れて汗冷えの悪循環に陥ってしまいました。
前半の減速が響きこの周は59分です。

写真は若干明るいが真っ暗だった

5周目までの出来事

拠点に帰ったらおいしい牛丼が待っていました。
しかし『T』と『A』のメンバーは夜間走行を行なっておらず既に寝ていたので拠点では私1人です。
静かな中、他の参加者のホイールの音を聴きながら食べる牛丼は最高に美味しかったです。

「村山さんがそろそろキツそうだね」と川口さんのマッサージを受けるために外に出てきたKEIMASAが全体の記録表を見ながら呟きました。
20代のKEIMASAは55分前後、30代の長野さんは50分前後、同じく30代の私は58分前後です。
50代の村山さんに同じタイムを要求し続けるのはさすがに無理があります。
更に暗闇の中を走っているので体力の消耗はかなり大きいと予想していました。
これはもしかしたらどこかで連続で走ることになるかもしれないな
そんな事を考えながら5周目へ向かいました。
それと出走前に順位を確認した所、私達のチームは4人1組での参加チームの部門ではまぁ良い順位にいるそうです。
4人1組参加の4000番代はおそらくここから一気に勢いを上げてくるだろうと言うことだったので4000番代を見かけたらできる限りついていく事にしました。

5周目(05:28-06:24)

前半は暗黒世界、後半は朝日を横目に走りました。
4周目で長袖ジャージが濡れてしまったのでこの周は普段着ているモンベルジャージで走りました。
コースにかなり慣れた事もあり最後まで攻略できなかった黒③以外の下り坂でのコーナーはほぼ迷いなく突っ込んでいける様になりました。
青①からは太腿前部(大腿四頭筋)に疲れが見え始めたので疲れの分散をする為にダンシングを取り入れることにしました。
普段ダンシングをしないので速度は出ませんが確実に坂道を上っていきます。
しかし黄①から青②に差し掛かる坂で身体が重くて上手く上れません。
シッティングに切り替えようと思いましたがここで座ったら上りきれないと判断して全てダンシングで上りきりました。
人の事を言えませんが周りの人達が止まって見えます。
それくらい皆ノロノロと走っていました。
後半に入り朝日を横目に見ながら橙↙︎①のアウディストレートに差し掛かった時、突然後ろから凄い勢いで迫って来る集団が現れました。
休憩中に話に聞いていた上位を狙う4000番代の人達です。
『この時間帯でそのスピードで走るんか!?』と驚愕しました。
なんとかその集団に乗りたいと試みましたが尋常じゃない程早過ぎて全く追いつけません。
残念でしたが早々に諦めました。
しかし思った以上に順調に走れていたらしく5周目は56分で走りました。

『この周もなんとか終わってくれたか』と安堵して拠点へ戻ります。

そして思っていた事が現実になります。

6週目直前

拠点へ戻り村山さんが待っているであろう場所に目をやったところ村山さんがいません。
その場にいた浅野さんに「村山さんはいませんか?」と確認をしたところ「あれ?そう言えばいねぇな。どこいった?」と慌てた様子で返事が返ってきました。
5周目前に『もしかしたら』と思っていた事が現実になり『やるしかない』と覚悟を決めました。
状況をすぐに察してくれた浅野さんは前回のイベント時に2周連続で走った長野さんを呼ぼうとしていましたが『自分がこのまま走ればKEIMASAと長野さんのペースを乱さずチームにとってもマイナスにならない』と判断して連続して走る事にしました。

6週目(06:24-07:24)

「ここがうちの見せ場だな」

スタートした直後のカーブで独り言を呟きます。
先に書くとタイムは59:34とけして速くはありません。
自分で書くのもなんですが、疲労で考えるのを放棄した走りというのは本当に無駄がありませんね。
今までブレーキを多用していた下り坂では1度しかブレーキを使わず青①まで辿り着きます。
周を重ね皆疲労している中、ひたすら黙々と上り続けます。
その際に私の後ろになんとか張りつこうとする人がいました。
速度が15km程しか出ていないのに後ろに張り付くなんて余程疲れているのでしょうね(20km未満で後ろに張り付いても大した空気抵抗にならない)
気にする余裕はありませんでしたが何かいると思うと精神的に疲れます。
そこで咄嗟に引き離すのではなく意図的に距離をとって相手に『これは深追いしたら(体力的に)危ない』と思わせる走りを身につけました。
それでも黄①から青②にかけての坂を上りきる体力が殆ど残っていなかった私は辛すぎて泣きながら上っていました。
今までは17%なんて少しきつい坂程度の感覚だったのですが…きつすぎて声も出ないし頭が全く上がりません。
辛うじて前に人がいるかいないかの判断だけはついたのでぶつかることはありませんでしたがそれも『前に何かいるな』くらいの判断しかつかなかったのでかなり危ない状況だったと思います。
青②に辿り着いた時点で予定タイムより5分近く遅れをとっていた事に気づいた私は橙↙︎①のアウディストレートまでほぼ全力で走っていました。
黒⑤を超えたら後は拠点まで一気に走りきります。
拠点で待機している村山さんの顔が見えた時は本当に安心しました。
襷を渡したもののブレーキを握る力が残っていなかった私はそのまま50m程減速しながら他の拠点の前まで進みました。
ペダルから足を外した後は立つ事ができず膝から崩れ落ちてしまいました。他のグループの方々に助けられてなんとか拠点へ戻ろうとしましたがその際に「何か飲みたいものはないか?」と聞かれたので迷わず「ビールが欲しいけど後1周走るのでコーラをください」と答え、もらったコーラを片手に拠点へ戻りました。
何人かが「そのコーラどっから持ってきたの?」と驚いていました。

左手にはしっかりコーラを握って帰還した

7周目までの間

連続して走った事もあり順番が『村山さん→KEIMASA→長野さん→村山さん』の次になりました。
村山さんが帰ってくるまではのんびりご飯を食べ、帰って来たのを見届けてから浅野さんが自宅から持ってきた『人をダメにするクッション』をお借りしてぐっすり寝る事にしました。
村山さんが帰ってきた際に私の顔を見て「かける言葉が見つかりません」と言っていました。
私はなぜかそれを聞いて笑ってしまいました。
人間何も考えられないほど疲れると笑うんですね。
1時間程眠った後にKEIMASA達が最終走についての話し合いをしていたので寝ながら聞く事にしました。
どうやらレースが始まってから24時間後にあたる昼の12時付近で足切りが行われる可能性があるとのこと。
更に足切りされる前に出走できた人は13時までに橙↙︎②のゴールゲートを通っていないとその周の記録がされないと言う事で当初の予定していた出走者の順番を元に戻して長野さんの次に走る事になしました。
その際に『誰が何分以内に走ってその次の走者が何分で走れば良い』かと言う話し合いをしていたので『あっ、作戦会議っぽい』と寝ながら思っていました。
しかしその時間の計算をしていたKEIMASAも相当疲れていたのか計算が全くできていません。
最終的に村山さんが計算をしてくれて私は57分以内に次の走者のKEIMASAに襷を渡すと言う事になりました。
KEIMASAが「Kさん、57分以内に走ってこれる?」と聞いてきました。
まぁ、任せなされ
この会話、チームプレーをしている感じがするでしょう(個人の感想です)

7周目(10:18-11:12)

最後の周と言う事もあり気がとても楽でした。
下り坂も全く臆する事なく走ることができます。
そんな中突然横からミサイルの如く凄まじい勢いで坂道を下る女性ローディーが現れました。
今回のレースの中であそこまで坂を攻めていたローディーを見たのは彼女が初めてです。
『疲れて頭おかしくなったんかな』
あまりに凄い下り坂の攻め方だったので私は感心してしまいました。
その後の上りは驚く程の遅さに別人に変わったのかと疑ってしまいました。

本当に皆ギリギリの状態で走っていたのでしょう。
青①を過ぎたあたりで私が追い抜いた何人かの参加者が体力の限界により突然落車し始めます。
助けたいところですがこちらも体力的にはかなりキツかったので後ろを振り向く事ができずにそのまま走り続ける事になってしまいました。

『このレースもこれで終わりか』
そんな事を考えながら最後の橙↙︎②にあるゴールゲートをくぐりました。
最終周のタイムは56分、予定していた57分より早く帰って来ることができました。
襷をKEIMASAに渡し走っていくのを見届けた際に「レース終わったー!」と叫んでいました。


7周走って約182km、獲得標高約3920m、消費cal約7385calでした。

レースの終わり

KEIMASAも予定していた足切り時間より少し前に帰って来たことで長野さんが予定通り出走することができました。
本来のゴールは拠点ですが最後の周だけは橙↙︎②のゴールゲートで終わるので拠点の留守番を川口さんに任せて皆で長野さんをゴール前でお迎えする事にしました。

長野さんが来るまでかなり時間があったので皆で記念撮影
(決して長野さんをハブっているわけではない)

あいつ(長野さん)KEIMASAくんの事を意識して走っているから俺達がここで待っていても気づかないでゴールゲートまで全力スプリントするんじゃねぇの?」と浅野さんが言っていました。
「そんなわけないでしょー」と笑いながら誰かが返事をしていましたがさすが長野さん、予想を裏切らず私達に気付く事なくゴールゲートまで鬼のような顔をしながら全力スプリントしていました(後に本人は私達のことは気づいていたが記録を意識してそのまま走り抜けたのこと)

長野さんに置いて行かれた私達はせっかくだからゴールゲートまで並んで走ろうと言う事になりました。
チームで並走しながらゴールゲートを通るって普段は中々できる事ではないので本当に感慨深かったです。

ゴールゲートを潜った時のやり切った感は最高だった

長野さんが合流して記念メダルをもらった後にみんなで記念撮影をしました。

メダルをもらって皆で並んだ時、感無量だった

事情により1日目で帰ってしまった金子さんや海崎さんがこの場にいないのは本当に残念でしたがみんなで走り切った事には変わりありません。
それを思い出したからか、本当に感無量でした。

左から村山さん、私、KEIMASA、長野さん
どのチームも本当に頑張った

最後に

イベントの全行程が終わり私達を含むイベント参加者達は拠点の片付けを始めていました。
その際に今回の走行表を見ましたが前日の白紙からびっしりタイムが埋まっていて「いやぁ、頑張ったな」と1人呟いていました。

『S』はタイムがびっちり書かれている
『T』と『A』も仮眠を挟んだが17周と16周を走りきった
長野さんの記録が書かれていないが26周走った

その後も拠点の片付けを済ませ各々帰路へつきました。
本当にこの3日間は素晴らしい経験をすることができました。
同時にここまで大変なレースがあるのかと驚愕もしました。
しかし苦しさよりも得た喜びの方が圧倒的に多かったです。
来年参加することができるのであればまた参加したいと思っています。
私を家まで送ってくれたKEIMASAは疲れ果てて気絶しているかのように爆睡したのち家に帰っていきました。

ちなみに、後日談ですが私達のチームは82チーム中18位だったそうです。
順位の事は全く気にせず走っていましたがこの記録をみると『本当に頑張った』と思いました。

4人1チーム部門82チーム中18位

冒頭にも書きましたが3部作予定を間違えて前後編にしてしまったので今回の字数は1万文字以上になってしまいました。

最後まで読んでいただいた方には本当に感謝しています。

同時に今回お世話になったTeam639のメンバーの方にも本当に感謝しています。
次回は何を書こうかは決めていませんが書きたいことはいっぱいあるのでまたすぐに書き始めます。

また次回、お時間あればぜひブログをご覧ください。

それでは、ありがとうございました。

最高の3日間だった

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