プロフェッショナル田中みな実と自己肯定感

「相手が望む以上のものを安定的に供給できる人」

NHKの人気長寿ドキュメンタリー番組、プロフェッショナル仕事の流儀 田中みな実の回をみた。45分がものすごくみていてきつかった。そして、大変な勇気をもらった。

冒頭の「相手が望む以上のものを安定的に供給できる人」というのは、番組で恒例の「あなたにとって、プロフェッショナルとは?」と言う質問に対する彼女の回答。スガシカオのprogressを聞きながら、私は、彼女ほど才能や美貌に恵まれた、不幸な人間を知らないように思った。

番組中、田中みな実が「飽きられる」「求められなくなる」ことに対して、闘争を繰り広げる様子がずっと展開される。ドラマへの挑戦、バラエティ番組を放送後すぐに指摘だしをする様子、雑誌ライティングへの執拗な赤入れ。

仕事に打ち込むということに対して、私のような大企業の底辺にいるような人間には頭が上がらないほどの努力に映った。
しかし「求められて、私は輝く」という番組のサブタイトルとは裏腹に、「求められる」ことを貪欲に求めている彼女は、全く楽しそうではなかった。


誰が見てもわかるくらい、「求められない」ことを、極端に怖がっていた。
「飽きられたら」、そこで終わりだと。「使い捨て」られると。
「ありのままの私」でい続けることに価値はないのだと。


「ひとところに留まっていたければ全力で駆けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」

ルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』の赤の女王の有名なセリフを地でいく人間をみた。美しく、抜群の努力家で、ただひたすらに自己肯定感が低い、田中みな実という女性だった。

ドラマ『M 愛すべき人がいて』を、ちろっとみていた私は、田中みな実の演技が苦手だった。ずっと、何か変だと思っていた。ドキュメンタリーをみて、やっと理由がわかった。田中みな実は特殊だったのだ。

もともと、演技がうまいという種類の天性の才能がある。後天的に身につけるのがかなり難しい才能だ。ドラマをみていると、この天性の才能をさらに輝かせているとんでもない化け物がいる。それと同時に、天性の才能を生かしきれていない役者や逆に演技が下手という才能を受け取ってしまった人間が出演している。この3パターンだと思っていた。田中みな実は、このどれでもないように思えて、だから変だと思っていた。

ドキュメンタリをみて、彼女は演者として、一番後者の演技が下手という才能を受け取ってしまった人間なのだと気づいた。彼女に才能がないと気づいた、ということなのだけれど、これは単純な気づきではない。

これほどの、反骨精神と明晰な頭脳、自分の存在意義に対する根元的な恐怖にさらされて、それに負けることなくファイティングポーズを取り続けている彼女は、生き残りをかけて、死に物狂いの努力をしているはずだと。
その彼女の努力を持ってこの演技であるならば、彼女は演技の才能がないのだということだ。そして、誰よりも彼女自身がそのことに気づいているのだと。

田中みな実は、役者として大成しないと思う。
満島ひかりや染谷将太ら、本当の化け物とは次元が違う。

田中みな実は、バラエティタレントとして永続して活躍できないと思う。
バラエティとは、そもそもそういうものだから。

彼女はずっとずっとこれからも苦しみ続けるのだと思う。全然楽しくはないのだと思う。ずっと不安で、涙がこぼれてしまうのだと思う。

おそらく何かに到達できずにずっと苦しみ続けるであろう彼女をみて、自己肯定感を養わないといけないな、などとは思わなかった。なぜなら、誰よりも賢い彼女はそんなこととっくにわかっていると思うから。自己肯定感を養えば、幸せのようになれることくらいわかっている。でも、しない。

「ありのままのあなたでいいのだ」という言葉を、「あなた」を使い捨てにし続ける芸能界で戦う彼女は笑うだろう。

でも、終わりがない苦しみと向き合い続ける「ありのままの田中みな実」こそが、「いいのだ」と思った。大変な勇気をもらった。人間が、ひたむきに努力している、というのは、何を成し遂げるかとは関係がなく、人の心を打つのだと思った。何より美しいものなのだと思った。

彼女は不幸だと書いたし、まちがいないように思うけれど、それと同じくらいまちがいなく彼女は美しいと思う。応援したい。











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