カウンセリング記録1

どうも、ねこだぬきです。

今日は1回目のカウンセリングについて書こうと思います。

気づいたことや感じたことを書いていきます。

こんなご時世なので電話でのカウンセリングを行いました。

電話は私からかけなければいけないのですが、かなり緊張しました。

もともと電話をかけるのが苦手なこともあり、不安な気持ちを抱えて発信。

優しそうな声色が聞こえて、それだけでホッとしました。

はじめは私が事前に記載した書類をもとに質問されて、私がそれに答えるといった流れでした。

話していく途中、「話せそうだったらでいいんですよ」など私に寄り添ってくれたのがとても嬉しかったです。

私は父が無関心、母が過干渉という家庭で育ちました。

愛着障害の本を読んで、愛着が形成されていく過程、つまりは幼い時の影響で自分が愛着障害を持っているんだと考えました。

好かれたいでも人を信用できず苦しい関わって傷つきたくないでも親しくなりたいそんなごちゃまぜな思いを持っています。

先生には自分の家庭の話と小中学時代にいじめられていた話をしました。

「どちらの方が人を信用できないことに関係があると思いますか?」

そう聞かれて悩まずいじめられていた経験に関係があると思いました。

私はいじめられていたという過去を見ないようにしてきました。

蓋をしていたのかもしれません。

人と親しくなろうと思えば思うほど過去のことがフラッシュバックし、自分で壁を作ってしまっていた。

今ならそう思います。

先生と話している内にお母さんには話せなかった?と聞かれ、忘れていた記憶を思い出しました。

私は1度、下駄箱の上履きを隠されて仕返しをしたことがあります。

その日、その話を母にしました。

しかし母は呆れた顔で、声で、「そんなことをしてもやり返されるだけじゃん」と言いました。

私はこんな記憶、本当に忘れていました。

忘れていたわけではなく、忘れたかったのかもしれません。

「もしその時、お母さんが寄り添ってくれれば、話を聞いてくれれば、話せたかもしれないよね」と先生は言いました。

私は仲が良かった友人に裏切られ、親しい友人もできず、助けてくれるはずの大人が何もしてくれない。

そんな敵だらけの日々を小学3年から中学3年までの7年間をも過ごしてしまった私に「人が信用できなくて当たり前だ」と先生は言いました。

愛着障害以前に、私の過去のいじめという経験が、私を人間不信にしたことにその時気が付きました。

私は、忘れたかった記憶に向き合い、自分を変える行動に一歩踏み出せた。

そんな気がします。

次のカウンセリングまで時間があるので、次回は私が読んだ愛着障害の本について紹介したいと思います。

私は専門家ではないので本で得た知識をかり、読んでいただいた方に愛着障害はこういうものとお伝えできたらと思います。

今回も読んでいただきありがとうございました。

それではまた

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