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バツイチのアラサーが兼業会社員から独立するまで

こんにちは。
ご無沙汰しています。

(そういえばアカウント名の〈先天性ポジティブ〉について「いいね」と言われることがあってちょっぴり嬉しい今日この頃です。ポジティブという言葉にちょっとした拒否反応がある方もいらっしゃるかもしれませんが、他人に強要することなく、ただ自分の性質の一つとしてはずせないなぁと思うので自分を表す言葉として形容詞的につけてみました)

さてさて、"まさの" って誰と思った方・思わなかった方いらっしゃると思うのですが、もろもろアカウント名を本名に変更してみましたので簡単に自己紹介させてください。

改めまして、まさのと申します。
ファーストネームです。
(元々は苗字と名前を略して "松乃" というアカウント名を使っていました)

これまで、平日週3日で会社員をしながら残りの2日で個人事業主として複業をしていました。

複業を始めたタイミングの記事がこちらですね。

いつの間にかこのnoteを投稿してから1年以上が経過してしまいました。
(noteを書くのは久しぶりですがやっぱりいいですね)

プロフィールにも書いている通り、私は31にしてすでに離婚をしてバツイチなわけですが、わざわざタイトルに入れたのも、やっぱり離婚もきっかけとなって個人事業主として複業を始めたところもあったのでここは避けて通れない事案なのです。

そして、2021年1月より正社員を辞め、完全なるフリーランスとして独立しました。

時たま複業について相談を受けたり話を聞きたいと言われることがあり、今回は正社員として働きながら複業時代〜独立するまでの話をしたいと思います。

ちょっと長くなります。

■ 複業を始めたきっかけ〜兼業開始まで

複業が気になっている方やいつかフリーランスとして独立したいと思っている方に、参考と言えるかわかりませんが「こんな奴もいるのか」程度に見ていただければと思います。

そして複業の表記については従来の "副業" にあるイメージとは異なるスタイルで取り組んでいたので "複業" の表記を好んで使っています。

メインとサブという考え方よりも、シンプルに業務が複数あるというフラットな印象になるので気に入っています。

初めに私のこれまでのキャリアについて簡単にご紹介させてください。

▍新卒時代

新卒でWEBマーケティングのコンサルティング職に就き、同社に約4年間従事しました。
ここでは法人向けのSEOコンサルティングとその実務、コンテンツマーケティングや商品開発(コンサルティング商品)を担当。

新卒1年目から退職するまでのほぼ毎月、九州地方へ日帰りで出張に行っていたのが印象的な思い出です。
毎月飛行機に乗るたびに「同期よりも飛行機事故で死ぬ確率が高い」とわけの分からない心配をしていました。

プライベートではこの頃、外国人と住めるシェアハウスに住んでいて、こっそり当時付き合っていた人を家に呼んだり(当然禁止)していたのが懐かしいです。そしてすみませんでした、、

入社2年目の頃、その彼と結婚しています。
満23歳になった日に籍を入れたのでそこそこ早めの結婚だったのかなと思います。

余談ですが新卒時代のポリシーは〈一寸先は闇〉でした。
※詳しくは割愛しますが、クライアントとの商談中に寝たことがあります(本当にすみませんでした、、)

私の場合は、同期の中でも成長が遅く、なんでこんなに何もできないのだろうと思うたびに「その分努力で巻き返そう」と貪欲にチャレンジさせてもらっていました。チャレンジできる機会をたくさんいただけ、会社の先輩や同期、もちろん取引先の担当者の方々にお世話になりまくりの4年間でした。

▍初めての転職

その後、子育て支援サービスのベンチャー企業に転職をしました。
アプリやWEBサイトを通じて子育てをするママさん向けにサービスを展開しており、マーケターとして事業企画部に所属。

事業企画といえども当時は社長直下の私だけの部署で、社長案件を引き継ぎながら取引先との商談をしたり、イベントをしたりと幅広く事業に携わっていました。

入社直後から1人で全国出張に行っていたので、新卒時代に出張の経験があったことは心強かったです。
余談ですが、出張中の珍エピソードがたくさんあり、今でも元同僚と話すと笑えるのはとてもいい思い出です。仕事で初めて行く場所もあり、良い経験となりました。

そしてこのあたりで離婚しています。
ちょうど30歳の年だったかと思います。6年弱の結婚生活でした。

離婚のちょっと前に、蒸発していた(!)実の父が病気で亡くなったこともあり、自然と自分の歴史を振り返ったり、今後の人生をどう生きたいか考えたりと自分と向き合う時間が多い時期でした。

脱線しますが、父についての記事もちょっと前に書いてたりします。
蒸発が気になる方はこちらから。笑

仕事をしていく中で、事業部のリーダーとして自分のチームを持つことで、与えられた役割を全うしようと必死になった時間を過ごすことができました。悔し涙は、多分5回くらい。多いのか少ないのかはわかりませんが、ここでもまた貴重な機会をいただくことができました。

社長が「まーちゃんなりのリーダーシップでいいよ」と言ってくれたことは、当時ものすごく勇気となっていました。
採用面接やカジュアル面談もたくさんしていたので、自分で面接した人に入社してもらい同じチームメンバーとして支えあうという最高な経験もできました。

これらの経験により責任感が増して視野が広くなり、少しはビジネスマンとして成長できたのではないかなと思っています(本当に少しです)。

▍複業を始める

今後どんな人生を歩みたいか、どんな経験を積みたいか考え直した時に、仕事面では、新たなビジネスモデルで収益を生み出す新規事業や生まれたてのサービスをグロースさせる事業開発の領域で経験を積みたいと思うようになりました。

様々な業界やサービスでの経験を積みたくても都度転職していたら時間がかかりすぎてしまうという事、コンサルティングファームに転職できるほどの実力もないという事から、複業をしてみようという結論に至りました。

まずはミニマムスタートさせることで、やりたいことができている実感を得ながら少しずつ経験を積む方法として複業を選んだのでした。

そしていきなり複業と言っても私は結構慎重派なので、まずは会社以外の場所でビジネスパーソンな皆様と意見交換をしたいと思い今までやったことのない行動を始めました。

・Twitterをやってみる
・noteを書いてみる
・ビジネス系ディスカッションイベントに参加してみる(サンカクなど)
・関わりたいサービスを見つける

振り返っても列挙するほど大したことはできていなかったと思いますが、重要だったのは自分の言葉で意見を伝える訓練を始めたことかなと思っています。

このように書くと当たり前すぎるのですが、用意や準備なしの "その場" で自分の意見をいかに相手に響くように伝えられるかということに挑戦していました。自分からどんな意見が出てくるのか楽しみでもありました。(あ、私ってこう思ってたんだ、と意外な自分を知ることもできました)

ちなみにこの記事を読んでいただいている方はお察しかもしれませんが、「要約」があまり好きではないんです(厳密には苦手です)。どうしても長くなってしまう。なのでTwitterで呟くよりも頻度はかなり落ちますがnoteやFacebookなどでしっかり文章で伝える方が好みということもわかりました。
(そしてTwitterは結局ほぼ使わなくなってしまいました、、。この記事も5,000文字オーバー。笑)

やりたいこと(Will)に関してはこのようなスモールステップを意識して行動していました。小さなことですが、意識した行動の積み重ねが意外なところで結びついたりすることもあり、積み重ねの大切さを実感しました。

並行して今までのキャリアを通じてすでにできること(Can)に関しては、クラウドソーシングのマッチングサービスに登録して業務委託に挑戦し始めました。

当然すぐに仕事が来るわけでもないのですが、顔写真を載せる、プロフィールで誠意を伝えるなどの基本的な事をしていると不思議とご相談が来るもので、ご縁を大切に一つひとつ丁寧に、かつ熱量を持ってお受けしていました。

マッチングサービスで一番意識していることは、要件定義できていない案件こそ一緒にベストな方法を考えることです。

マッチングサービスを始めて意外だったことは「いくらでこれやって」という作業の切り出しといったイメージがあったのですが、実際には困っているが何を依頼したらいいのかわからないという方が多かったことです。
あくまで私宛にいただくメッセージの割合として後者が多いという印象です。

なので1通目のメッセージでいただくのは、内容についての記載はほぼなく、シンプルに「相談したいことがあるのですが」というメッセージだったりします。

ぜひそこから一緒に考えさせて欲しいので、一番嬉しいメッセージなんですよね。
脱線終了です。

▍短時間正社員という着地


複業を始めて、やっぱり「自分の名前でお金をいただく」ということがこれほど喜ばしくて達成感のあるものだと思っていなく、想像以上でした。

正社員として勤務していた会社に対しては、雇用形態を正社員から業務委託にできないかという相談をしていました。

もちろんいきなり業務委託にしたいんです!という伝え方ではなく、直近の様々なライフイベントを通して自分と向き合った結果、今後やりたいことについて見えてきたといった話を何度かさせてもらいました。

そして個人事業主としての稼働時間を増やす策としていきなり業務委託ではなくまずは短時間正社員という形に着地しました。

私の場合は、週3日会社員として勤務し、週2日は個人事業主として働くスタイルにさせてもらいました。

会社でもこのような働き方をしている人はいなかったので、しっかりと自分の働きを認めてもらう必要がありました。
(17時退勤などの時短勤務の方はいましたが、ある特定の曜日において不在というケースは初でした)

必要がありましたと書きましたが、厳密には、私自身の気持ちとして、いくら契約で短時間勤務が認められているといえども誰からも文句を言われないくらい自信を持って気持ちよく働きたかったのという気持ちが強かったです。
そのためにメリハリをつけながらも自分の目標達成はもちろんのこと、社歴の浅いメンバーのフォローアップをしたりしていました(ちゃんとフォローできてたかなぁ)。

どんな組織でも同じかもしれませんが、初めてのことをするのはとてもエネルギーと強い意志がいるもので、でもそれもなんだかんだで楽しんでいました。

■ 兼業会社員〜独立するまで

元々複業という形で働く上でも自分の生活基盤を脅かすような働きはしないと決めていたので、フルタイム勤務に加えての複業ではなく、平日にお休みをもらうこのスタイルにさせてもらっていました。

当時すでに部門長ではなかったものの、取引先へ訪問することもあったのでクライアントへは不在になる曜日を直接お伝えした上で理解を得るようにしていました。
取引先の方からは「新たな挑戦いいですね!」とポジティブな反応をいただけたことも、背中を押してもらえたようでとても嬉しく勇気をいただきました。

全社イベントについては事前に日程を把握し、基本的には複業案件の方で調整していました。
元々コロナ前から在宅勤務が可能な会社だったこともあり、本来お休みの日に全社会などがある場合はリモートで会議に参加し、終了後にすぐ複業案件の稼働時間として確保するといった形で調整させてもらっていました。

取引先の協力、会社の協力、一緒に働くメンバーの協力があってこそ成り立っていたのだと思います。
本当にありがたいことです。

そして複業を始め兼業社員になって半年ほど経過したタイミングで退職する決意をしました。

▍正社員を辞める決意

会社員を辞めてフリーランス(自由)になりたいというモチベーションではなく、やりたいことをやるために複業を始めていたので、完全にフリーランスとして独立する時期については全く決めていませんでした。

会社を辞めるタイミングは計っていませんでしたが、少しずつ事業開発に近い領域でアプローチをし始めて、スタートアップの2社とのお取引が決まったその日に退職する旨を会社に伝えました。

もちろんリスクはある中での決意だったので不安な気持ちがないわけではありませんでしたが、ギリギリ家賃は払える状態だったので、できるだけリスクを小さくできたタイミングでの退職を決めました
(リスクをゼロにすることはできないということと、辞めるリスクもさることながら、案外気付きにくい「辞めないリスク」も考えて退職タイミングを決めました)

余談ですが、知り合いからは「行動力があるよね」とか「大胆だよね」と言われることもたまにあるのですが、実態としては「ここだ」と思うまで飛び込まない慎重派です。その代わり高い波が来たら迷わず飛び込みます(多分)。

▍現在の私

現在は、完全にフリーランスとして事業開発・新規事業をメインとしつつ、RPAや自動化・業務効率化やWEB制作などのハンズオン支援をしています。
※会社員時代の先輩エンジニアとそれぞれフリーランス同士のチームとしても活動しています

何でも手広くやりたいと思ってしまう性分と、小さい頃から何かを自分の手でつくることが好きな事もあり、イラストやグラレコを描いたりマクロやプログラミングもかじったりと、日々様々な挑戦をしています。

お仕事内容については今回書けませんでしたが、以上までがざっと会社員時代〜副業開始〜独立までの流れです。あまり参考になるとは思えないのですが、「こんな奴もいるのか」程度に思っていただけたら幸いです。

ちょっとした私のプロフィールはこちら
(最近になってlit.link知りましたが、ページつくるの楽しいですね。litlinkやっている人こっそり教えてください笑)

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