見出し画像

慣れ?好き?嫌い?

ここ二か月ほどダイエットのために白米をやめて玄米を食べている。

普段食べ慣れない食事のダイエットは大して続かないのだけど、玄米だけは二か月も無理なく食べ続けられている。
(おかげで体重は2キロ減った)

玄米を食べ始める前の私は白米至上主義者で、「玄米なんて絶対に無理」「玄米を好んで食べられるようになるわけない」と思い込んでいたが、なんと今では「玄米ご飯が食べたいなあ」と思うまでになってきた。

玄米はそもそも食べるまでにすごく手間がかかる。
研いでから浸水を24時間、その後鍋で炊くのに35分。蒸らし20分。
自分にちょうどよい炊き加減をつかむまでに、一週間は要した。
炊飯器は家族の白米を炊くので使えないため、このようになった。
正直、めんどくさい。
スーパーで玄米を買うと、精米済みのものよりもすごく割高なのも腑に落ちない。
食べるとボソボソしている。白米のもっちりプリプリ感もない。

それでもなお玄米を食べ続けていると、二週間を過ぎた頃から白米を食べたいとほとんど思わなくなった。
あれだけ愛していた白米を、毎日一回は食べないと気が済まないほど好きだった白米を。

そして三週間が過ぎる頃には、「玄米が食べたい」などと思うようになってきたのだ。
これは好きだった白米のポジションがそっくりそのまま玄米にすり替わったことで、脳が騙されているような気がしてならない。

今まで好きだったものがそう好きではなくなり、代わりに好きじゃなかったものが好きにすり替わることが起こるなんて!
私の“好きの気持ち”が脳にコントロールされているようで、なんだか複雑な気にもなるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?