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線のあっち側を思う 〜「あっち側の彼女 こっち側の私」 結生 小坂綾子〜


 こんにちは。ざまたかです。閲覧ありがとうございます。雪が降る降ると言われた今日ですが、雨でしたね。よかったような、寂しいような。

 「あっち側の彼女、こっち側の私」は、サブタイトルに「性的虐待、非行、薬物、そして少年院をへて」とあるように、家族からの虐待を受けて児童養護施設施設で育った結生と、新聞記者である小坂綾子がインタビューという形で出会ってから、長年やりとりを続けて生まれた本である。本人だけではなく結生を見守り、支援してきた人たちのインタビューも含まれている。人が成長していくのには多くの人の関わりと時間が必要なことを考えさせられる1冊だった。

 当事者の言葉というのはどんな分野でも学びに満ちているけど、一つのケースにしか過ぎないと思って読まなければならないと思う。それを踏まえてもこの本の言葉の一つ一つが、今まで私が出会った子ども達とのやりとりを紐解いてくれるかのようだった。前半、被虐待から怒りの感情が生まれ、行動化していくあたりは渦に巻き込まれるように読んだ。子ども達はよく「わからない」と言うけど、大人は「わかってるくせに」と苛立つ。でも、結生の言葉や行動を追っていると「わからない」ということの意味や、わかろうとして体当たりで(無謀とも言える)行動をしていく意味が、ヒリヒリと伝わってくるのだ。それを聞き取り、文章として編み上げ、さらに自分を見つめる小坂の姿勢にも共感する。 

 「あっち側とこっち側」の線を引く感じは私にもあることにも気が付かされた。線を引くことで安心したり、何かを諦めたりしてきたのだけど、線のあっち側を知ろうとすることで開けてくる世界が、私にもあるのかもしれない。

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