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聞かなくてもすむ時代に、聞く力をどう育てるか?

こんにちは。ざまたかです。
このところの世を偲ぶ仮の本業で感じたことを。

先日、宿泊行事の引率に行ってきました。
宿泊あるあるで以前から、ちょっとしたことをすぐに訊ねてくる子はいるんです。
「あと何分?」
「今食べていいの?飲んでいいの?」
「何時に着くの」
みたいな。

その場合、私たちの返しは大概
「しおりを見て確認してね」
なのです。事前に話もしているし、大概のことはしおりに書いてあるので、繰り返しているとだんだん自分で確認する習慣がついていくんですね。

ところが、今回あれ?と思ったのが、あれこれ訊ねてくる割に聞いてないというか、そもそも本当にそれが知りたいと思ってなくない?という感じが見られたのです。知りたいことがあるというより、質問することで大人の反応を引き出すことが面白いみたいな。で、大人の言うことは聞いていない。それは全日程を通してそんな感じで、でもとりあえずは行程が流れて行くのです。

考えたら、子どもたちは聞き逃しても確認ができる世界に暮らしているわけですよね。指示は簡潔に一つずつ、視覚にもうったえるように、資料やスライドはネットで何度でも確認できる、日常的にそんな授業を受けているのです。テレビだって見逃し配信があるし、映画も待っていれば家でも見られる。リアルに起こっていることの意味や価値が、随分と変わってきているのかも知れません。

でもね、きちんと聞けていないから。
あちこちで「?」が起こるんです。やっぱり。以前の行事で話を聞く、理解する、行動するというプロセスがあったとしたら
聞いてない、適当に解釈する、(決定的ではないが)失敗する、自分の正当性を主張する(そしてこちらの提案は聞かない)という新プロセスになっている気がしました。そこに論破とか、仲間内だけで盛り上がる感じも入ってきてややこしくなっている気がしました。

学校では、コミニュケーションに関する教育がなぜか空気を読むことと主張することに集約されてしまっている気がするのですが、本当はまず相手の話を聞くこと、それから互いの合意形成が大切なのではないのでしょうか。大人自身が身に付けられていないので難しいところではありますが。聞かなくてもいい時代に、どうやったら子どもの聞く力が育つのか?難しいような気がしました。

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