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学校の「楽しさ」はどこを目指すのか

こんにちは。ざまたかです。
春休みに娘がヒッポのホームステイ交流に参加するので、にわかに忙しくなっています。小学生の頃と違って、イヤイヤ仕草が抜けない本人をなんとか支えつつの送り出し。楽しんできてくれるといいのですが。

さて、先日こんな記事を読みました。

ちょうど学校の「楽しさ」はどこへ向かうんだろうと思っていたところなので、書いてみることにします。

「楽しい学校」と聞いて、思い浮かべるのは何でしょう?

運動会や文化祭
修学旅行や校外学習
職場体験
部活動 
いわゆる行事や体験学習でしょうか? 
「楽しい授業」ならどうでしょう?
学び合いや
探求学習
タブレットを使った学習
などでしょうか?

子どもの遊びに関わる人たちの話の中で、
「子どもたちが楽しませてもらうのを待っているかのようだ」「もてなされることに慣れている」という言葉を聞いたのはもう何年前のことになるでしょうか。公園の禁止事項が増え、子供達はゲームをするしかなくなり、誰かの作った楽しむための商品を消費することが「遊び」になりつつあった頃。遊びに関わる人たちは「それは遊びの本質と違うよね」と話していました。

学校行事が延期や中止になったコロナ禍では、行事ができなかったり簡略化されたことをを批判する方もありましたが、学校の内側から見ると、確かに退屈だったかもしれないけど、落ち着いた日時生活が送れていた感もあるのです。授業が受けられて、友達に会えて、給食が食べられる。そんな日常の中にも楽しさはきっとあったはずだと思います。でも、社会から望まれるのは落ち着いた授業よりも行事や部活、時期によっては身の安全よりもそちらなのかも?と不安になることもありました。

「修学旅行がつまらない」というクレームからは、子どもが自分から楽しもうとすることなく、楽しませてもらって当然というような、いわばお客様気質を感じます。授業を楽しくする工夫は必要だとは思うのですが、それは子どもや保護者におもねることとは別のはずです。教育がサービスになってしまったことで、子どもを不快にしない、が至上命令のようになってしまっているのかもしれません。タブレットを使った学習も、楽しいのかもしれないけれど、どこか地に足のついていない、フワフワした、そのアプリを作った企業にお金を流すための取り組みにも見えてしまうのです。

学校の楽しさは、安心であること、安全であることに基づいていてほしいです。あとは日常的な、小さな楽しさや発見があるといいなと思います。授業で習ったこと、友達や先生と話したこと、そんなので本当はいいのじゃないかな。毎日が刺激的であり続ける必要なんて本当はないんじゃないかな?

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