実力も運のうち 能力主義は正義か?

どんな本?
”これからの「正義」の話をしよう”で有名なマイケル・サンデルの著作。
原題は"The Tyranny of Merit - What's become of the Common Good?'で、これを意訳すると"能力(功績)による専制政治 - 共通善はどうなってしまったのか?"という感じでしょうか。
日本語のタイトルはどちらかというと幅広い人へのインパクト重視ですが、実際に本を読むと原題の方が内容に沿っていると感じます。

近年のアメリカでは日本以上とも思われる学歴主義が主流となっており、名門大学への不正入試が大きな問題になるケースもあります。裏を返せば、それだけ名門大学へのステータスに魅力があるということなのでしょう。
政治の面でも、ポジティブな意図で「人種や出身などに左右されず、才能と努力が評価される社会」「グローバル化を伴う持続的な経済成長」を目指す発言は多くみられます(本書ではオバマやヒラリークリントンがその代表)。それらは、多様性を大事にした良い社会のように聞こえます。
※日本でも、自分の「市場価値を上げる」ことが、人生のキーであるように取り上げられることが多いかと思います。
しかし、この流れが結果的には多くの反発を生み、結果的にはグローバルとは反対の出来事として「トランプのアメリカ大統領当選」や「イギリスのブレクジット」が発生しています。

なぜそのような出来事が起こっているのか?のポイントが、「能力主義(あるいは学歴主義)」にあるというのが、本書の主張です。

能力主義の功罪
「能力・学歴」が人間としての評価の多くを占めることになると、その勝者(例えば名門大学を卒業し、一流企業へ就職した人)には驕りが生まれ、敗者には自信の喪失が生まれます。そして、不平等もどんどん拡大していきます。世界経済全体は成長を続けていても、その実態は貧富の差の拡大にしかなっていないのです(物理用語でいうところの"縮退"に近い状態かと思います)。さらに、勝者は勝者で、完璧主義による精神的安定の欠如が課題となり、若者の薬物依存や自殺率増加につながっているそうです。
つまり、誰も得しない社会が構成されているように見えますね。。。

「スマート」であること
社会は「賢い(スマート)」であることが、「正しい(善)」よりも強い主張となっている流れに向かっています。日本で”論破"とか"頭の回転が速い"とかがもてはやされるのも、この流れの一環かもしれません。
能力主義は機械の不平等を解決しつつありますが、能力による不平等を生みます。大学は教育機関ではなく、(テストで点を取る)才能のある人の選別機関となってしまっています。
「私は自分の努力でこの地位を勝ち取ったのだ」が勝者によくある主張ですが、実際にはそれすらも「両親の教育・環境構築」等によるところが大きく、実力すらも自分の力だけで手に入れられるものではないということを筆者は主張しています。ここを勘違いすると、他人を見下したり侮辱したりすることになるわけですね。
※一方で、洞察力や道徳的人格を含む政治的能力と、テストで点を取る能力はほとんど関係がないと言われているそうです。

市場価値至上主義
「市場価値の高い人が偉い」という論理が正しければ、麻薬の売人やカジノのオーナーが、学校の先生や医療従事者よりも偉いということになってしまいますが、実際にそうだと感じる人は少ないはずです。それは市場価値よりも重要な共通善への貢献があるとわかっているからだと思います。

生産者と消費者
失業がつらいのは、お金の面だけでなく、労働による社会貢献の機会が失われることになる部分が大きいそうです。従って、いわゆる失業保険などのセーフティネットはそれだけで人を救うわけではないのです。人間は消費者であり生産者でもありますが、その両方が満たされないといけないのですが、経済成長のみが是とされると、消費者としての人間にスポットライトが当たりすぎてしまいます。

感想
誰もが充実した生活を送るためには、労働の承認が不可欠ですが、過剰な能力主義・学歴主義はそれを阻害し分断を生んでしまいます。自分自身も、その流れに飲み込まれないように、注意する必要があると感じました。
グローバリゼーションが進んでいる世の中にあっても、すべての労働者を守るのは、そして何より自分の精神を守るのは、能力や市場価値よりも、道徳的価値を評価し、鍛えようとする姿勢なのかもしれません。

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