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【俳句】【短歌】の記事

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俳句・短歌関係の記事をまとめました。
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#季語

【俳句】夏の句をよむ

 まだ朝晩は寒いですが、日中は汗ばむときも増え、花鳥のあかぬ別れに春暮れて今朝よりむかふ夏山の色(玉葉和歌集・夏・293)と詠まれたように、山々は蒼翠を帯び、風薫る夏の到来を感じます。  本稿では、夏の句をいくつか紹介し、私なりの感想を述べたいと思います。解釈が本筋から外れていることもあるかもしれません。ご参考程度にお読みくだされば幸いです。  穂高とは穂高連峰、穂高岳でしょうか。その険しい山々は今まさに雲を吹きおとしています。その瞬間、作者は立夏、夏の到来を実感したよう

【俳句】続・春の句をよむ

 今年は、五月二日が八十八夜、五月六日が立夏になります。早くも惜春の候を迎えて、日によっては夏を先取りしたような汗ばむ陽気です。  前回に引き続き、春の句をいくつか紹介したいと思います。私の解釈が本筋から外れていることもあるかもしれません。ご参考程度にお読みくだされば幸いです。  「隙のなき」の言葉で、どこまでも広がる空の青を実感できます。夏をむかえようとしている朝は果てしなく爽やかです。  山の斜面につくられた田のまわりには、つつじが咲いています。日をうけて光輝いてい

【俳句】春の句をよむ

 だんだんと暖かくなり、春を実感できる日が増えてきました。花は咲き、草々は芽吹き、虫を目にすることも多々あります。雨が降れば山々は潤い、盆地では田畑の準備が着々と進んでいます。  万葉集の”石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも”と詠まれたように、山滴る時へむかう躍動感ある季節です。  本稿では、春の句をいくつか紹介し、私なりの感想を述べたいと思います。解釈が本筋から外れていることもあるかもしれません。ご参考程度にお読みくだされば幸いです。  周囲を見渡

【俳句】取り合わせの妙味

 ※本稿は先日読了した月刊誌、角川俳句令和四年五月号の特集『取り合わせの距離感』を、私なりに上書き、紹介する記事である。  俳句の大半は、「季語」と「何か」で構成される。たとえば、飯田蛇笏氏の句”苔咲いて雨ふる山井澄みにけり”であれば、「苔咲いて」と「雨ふる山井」だ。雨の日、山の井戸周辺に苔の花が咲いている景色である。作者は可憐な苔の花と澄んだ井戸水(もしくは湧き水)の様子に感動したのだろう。苔が咲いたことでいつもの景色が変わった驚きである。  このように、季語と何かの組み

【俳句】角川『季寄せを兼ねた俳句手帖』をよむ

 月刊誌「俳句」角川出版の十一月号の付録に、「季寄せを兼ねた俳句手帖」冬・新年がある。季寄せ(きよせ)とは、歳時記(さいじき)を簡略化したようなものだ。歳時記とは、季語の辞書である。俳句は、句のなかに季語をいれることが一般的であるため、俳句をつくる際は、歳時記で調べながらおこなう。歳時記にもいろいろな種類があり、広辞苑のような重く分厚いものもあれば、一方で、文庫本のような小さなものもある。  季寄せは概して携行性に優れるものであるため、季語の用例(つまり例句)が少ない等、歳時

【短歌・俳句】梅見月によむ

 山梨県は葡萄や桃の産地だ。春を実感する日の多くなる最近では、桃や桜に先んじて、梅の花が満開である。桃や桜はまだ蕾、葡萄はまだ冬眠といわんばかりに、沈黙している。  探梅は冬の季語であり、梅見は春の季語であり、そして梅見月とは陰暦二月の異称である。  泣き叫ぶ赤子を乳母車にのせて散歩へ出かけると、梅の花の咲く辺りで泣き止む。寝たのかと思って母衣(ほろ)を覗き込むと、どうやら梅の花を見ているようである。まだ生後九ヶ月だから、確かな意思をもって眺めているわけではないかもしれな

芥川龍之介俳句をよむ

「余技は発句の外には何もない」(『芥川竜之介俳句集』加藤郁乎編より) 芸術の鑑賞は芸術家と鑑賞家との協力である。いわば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。この故に如何なる時代にも名声を失わない作品は必ず種々の鑑賞を可能にする特色を具えている。しかし、種々の鑑賞を可能にするという意味はアナトオル・フランスのいうように、どこか曖昧に出来ているため、どういう解釈を加えるもたやすい意味ではあるまい。むしろ廬山の峰々のように、種々の立場から鑑賞され得る多面性を