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金沢で『横恋慕』を走る ” 旅先で『日常』を走る ~episode22~ 石川編 ”

前回のあらすじ

奈良で修学旅行』を走る

” 人々の日常のアクセントとして歴史が溶け込んでいるというか、歴史が街に寄り添っているというか。そもそもここに住んでいる人たちが、ここを観光とだとはあまり思っていなくて、「来たければ来れば?」くらいのスタンスなのだろう。”

はじめに

2020年10月10日土曜日。関東地方に台風が近づいていた。
私は出張で京都に来ていた。金曜日まで仕事をして、土日は休みというスケジュール。おとなしく東京に帰れば良いのだが、せっかくの休日を自室で台風が去るのを待つことだけで終えてしまうのはもったいない。

かといって、京都に留まれば良いかといえば、そうでもない。京都の空模様も怪しく、今にも雨が降りそうな雲行きだ。「そうだ、京都を出よう」、私はそう考えた。
東京には戻らず京都にも留まらない。さて、どこに行こうか? 天気予報とにらめっこしつつ、京都から動きやすい距離で休日を過ごす(=走る)のに最適な場所を探す作業にしばし没頭する。

「日本海側がよさげだな。」私に内蔵されているスーパーコンピューターがはじき出した結論だ。京都からの便が良いのは北陸地方だ。福井にはついこないだ行った。選択肢は富山と石川の二択になった。土日で石川県と富山県を巡ることにした。

両県で走るのに良さげなスポットはないか? ネットで片っ端から調べる。富山では黒部ダムの周りを走ってみようかと検討したが、おそらく混みあってるであろうと思い、迷惑行為になるので断念することになった。石川では奥能登に以前から興味があったが、距離的な問題であきらめた。

結局どこを走ることになったか? その答えは、今回と次回のnoteで明らかになる。


金沢で『小京都』を走る

石川県では、結局金沢を走ることにした。

京都からサンダーバード号に2時間20分ほど揺られ、金沢に着いたのは16時半だった。

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駅前に出ると、いきなり要塞のようなオブジェに遭遇した。何を表しているのだろうか? ともあれ、衰退しつつある状態が多くを占める地方都市にしては、だいぶ景気が良さげではある。ここから小一時間とぼとぼと歩いて、片町の宿に向かうことにした。

道すがら、去年はじめて金沢を走った記憶の扉が開く。

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2019年10月、私は諸事情により有給休暇を消化しており、その最中に北陸地方を旅する機会があった。もちろん旅先で走ることが主目的だ。金沢へは富山で走った後に足を運んだ。15時頃に到着し、晩飯込みで18時半には次の目的地に向かわなけらければならない、いつもながらの強行スケジュールだった。一息つく間もなく、走る準備に取り掛かる。これくらいの規模の地方都市にしては珍しくSUICA対応のコインロッカーが設置されており、好感度が上がった。

駅を出てすぐに左へ曲がる。その先をしばらくまっすぐ進むと、目の前を浅野川が横断している。ここで右に曲がり、しばらく川沿いを走る。ここまでの道のりは特に変わったものもない、ごくありふれた地方都市の風景だった。頃合いのよいところで橋を渡る。ほどなく『ひがし茶屋街』に到達した。

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ちょっと京都の祇園にも似た感じの雰囲気で、1階が店舗になった町屋が通りの両側に立ち並んでいる。町屋を改装した和カフェや、おしゃれ雑貨屋が立ち並ぶ。和装のコスプレをした男女の姿が目立つ。街のサイズはかなり小さく、あっという間に通り抜けれらる。その名の通り『小京都』といった趣きだ。
ありふれた街並みを走っていて突如現れるタイムスリップ感は心躍るものがあったが、どこかの店に立ち寄る気にはならず、そのまま進む。

浅野川に架かる橋を渡り、金沢城に着いた。堀端は遊歩道として整備されている。走るには最適な環境だ。門をくぐり中に入る。

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意外にコンパクトにまとまっている。天守閣をはじめとする多くの建築物は、明治時代の火災によって焼失してしまったとの事。天守はただの野原だが、これはこれで走りやすいし、良いのではないかと思いつつ、立ち止まることもなく走り抜ける。

金沢城を抜けると眼前にはあの有名な観光地『兼六園』があらわれた。いつものランなら「せっかくだから、ちょっと寄り道していこうか」となるとことだが、今回は華麗にスルーすることにした。なぜなら兼六園には、若い頃に経験したほろ苦い思い出があるからだ。

心の奥底に眠っていた記憶をたどると、時は1995年4月、私は深夜急行に乗り金沢まで旅に来たことがあったのだ。その旅が今回と違う点は、当時の旅には同行者がいたという一点のみである。

22歳の私は恋をしていた。相手はアルバイト先の同僚。同じ学年で、バイト先に入ったのもほぼ同時期だった。彼女は薬剤師を目指して東京理科大に通う才媛で、冴えないアンちゃんであった当時の私には到底釣り合わない、高根の花だった。

人見知りが激しい私が彼女に積極的にアプローチを掛けるなんて到底無理な話であった。しかし同年代のアルバイト仲間たちでしょっちゅう遊んでいるうちに、少しずつ、ほんの少しずつだけれど二人の距離は縮まっていった。しかし彼女には、付き合っている人がいた。東工大に通い、バレーボール部で活躍している長身のイケメンだ。人も羨む二人だった。

それでも夏を越え冬を過ごし、彼女と私の距離は少しずつ、ほんの少しずつだけれど縮まり続け、いよいよ止んごとないレベルまで近づいてしまったのだ。彼女と二人で金沢の街を散策し、もちろん兼六園にも立ち寄った。
庭園の美しさは全く覚えていない。おそらく当時の私が見ていたのは庭園の風景ではなく、隣で楽しそうに微笑んでいる彼女の姿だけだったのだろう。

これ以上のことはあえて伏せておくが、私にとってはこうして今思い出しても胸が痛む思い出となった。兼六園の園内にこのまま入ろうものなら、物理的に胸が破裂しかねない。申し訳ないが私はまだ死ぬわけにはいかない。この連載を最後まで書き上げなければならないのだ 笑。

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兼六園の手前を平松政次のカミソリシュートのごとく切れ味よく急角度で右折し、金沢最大の繁華街である香林坊に向かって進む。まるで、自分自身の内部にある暗闇から逃れようと足掻くかの様に。
香林坊を横切り、大野庄用水沿いに舵を切る。この一帯は観光客を意識してか遊歩道として整備されている。京都に例えると高瀬川沿いといった趣きか。この通り沿いが今日のランのゴールになる。しばし走り続ける。あった。

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銭湯、ここがゴールだ。
銭湯が現存するということは、この界隈に人々の暮らしが成り立っていることを表している。観光地であることと住宅地であることを両立させている、肩の力が抜けた感じが心地よい。私はランナーという地元民でも観光客でもない特殊な距離感で銭湯に入り、交互浴を堪能した。水風呂がとても狭かった。

その後駅まで戻った私は、駅前の回転寿司店で、北陸の海の幸を十分に堪能した。

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一年経った今思い返すと、金沢を若干雑に走ってしまったかな? と後悔と未練が脳裏をよぎる。今回改めて金沢の街を改めて走ろうと思ったのは、この感情が心の片隅にくすぶっていたからなのかもしれない。

駅前の目抜き通りを2kmほど歩き近江町市場を右折すると、その先には香林坊が見える。

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土曜日の夕方、若者を中心に街は賑わっている。百貨店やファッションビル、美術館まである。ガラガラバッグを引きずり、どこから見ても観光客な風態の私はなんだか居心地が悪い気分で、心なしか早足になる。片町の交差点を左折し、本日の宿にチェックインした。小一時間休息したら、着替えて今度は夜の金沢を走ろう。

宿でダラダラしていたら19時を回ってしまった。急いで身支度を整えて走り出すことにした。ルートはあまり細かく決めていないけれど、金沢の繁華街や観光地をぐるっと一周するイメージだ。ホテルの前で準備体操を入念に行ったら、出発だ。

まずは金沢城に向かう。堀端が走りやすいので、夜の視界不良なランにはうってつけだろう。などと考えながら進んでいく。足運びは思いのほか快調だ。

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交差点の先にライトアップされた金沢城が浮かび上がっている。天守閣は現存していないが、それでも十分に美しい。メインストリートから外れたこの場所が、金沢城を眺めるには最高のロケーションだとは知らなかった。観光客とおぼしき若い女性グループも、嬌声を上げながら見上げている。その騒がしさにやや気後れして、交差点を右折することにする。

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緩やかな坂道。歩道脇には水路が走り。右手に神社の鳥居が連なっている。草いきれの香りと水のせせらぎ、鈴虫のさえずり。街路灯にうっすらと照らされた登り坂。すっかり気分が良くなって、登り続ける。

去年走った時とはガラっと街の印象が変わった。日中のいかにも観光地然とした『小京都』なイメージが上書きされていく。上り坂が続いて走りにくいはずなのに、それも全く気にならないほどだ。
観光客がほとんどいない時間帯、街灯の薄明かりを頼りに視覚を半分キャンセルして、坂道や水路や木々や鈴虫と一体化しながら進んでいく。

ここが兼六園の外周の道だと気づいたのは、坂道を登り始めてしばらく経ってからだった。
前回走った時は、あえて避けて通った場所だが、時間帯を変えて、内部ではなく周縁を走ってみると、まったく想定していなかった魅力に出会うことができた。

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そのまま坂道を登り続ける。右手には美術館が見える。あちらの方に進むのも面白そうだ。だが今日はやめておこう。そう思えるほど、この登り坂を駆け上がることが心地よかったのだ。

いつのまにか坂の頂点に辿り着いていた。ここからは下り坂となる。逆側からつながっている広い道路と合流する。車の通行量がなかなか激しい。ガードレールで区切られた歩道に上がって走る。すると右手に金沢市街地の夜景が唐突に現れた。

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いつの間にかこんな高台にまで登っていたようだ。

一旦ここで小休止して、息を整える。
正直、今まで金沢はありふれた観光地の一つだとしか思っていなかった。しかしこの街に対する距離感と侵入角度を変えるだけで、こんなにも街の感じ方が変わるのか。今まで全国各地を走ってきたが、心地よさでは屈指だ。いつまででも走っていたい。

下り坂が続くこともあって、ここからしばらくはペースアップして進むことにする。
左手に兼六園を眺めながら走る。兼六園側は街灯も少なく、木々がうっそうと繁っているため、中の様子を伺い知ることはできない。気になる。四半世紀に入った時は隣にいた彼女にしか興味がなかったくせに、今になって突然兼六園に興味が生じてきたのだ。その周囲を走ることによって。

こんなことを考えながら走っているうちに、坂を下りきって交差点に出た。この交差点を左に曲がると金沢城に戻る。だがあえてここは真っ直ぐに進むことにする。保存されている武家屋敷を横目に眺めながら私が向かったのは、主計町茶屋街だ。

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浅野川沿いに昔ながらの町屋が並び、その多くが料理屋を営んでいる。ちょっと立ち寄りたくはなるが、私はまだランを続けなければならない。しかも先ほど京都から持参した551蓬莱の豚まんを食したばかりだ。後ろ髪を引かれながら先を急ぐ。

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川沿いには明治大正時代を彷彿とさせる街灯が規則正しく並び、通路を柔らかく照らしている。きりの良いところで曲がろうかと思いながらも、あまりの雰囲気に良さに思わず進みすぎてしまった。次の目的地は真逆の方向だというのに。

橋を渡り対岸に出る。そのまま少し直進して住宅街を右折する。1kmほど走って、ひがし茶屋街に到着した。

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昼間来た時とは打って変わって人通りはまばらで、営業している飲食店の明かりがポツポツと灯っている。ここは昼間走る方が楽しい場所のようだ。

浅野川まで戻り、橋を渡る。ライティングの効果もあってか、まるで天の川をの上を走っているような気分になる。

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左に曲がり土手を降りる。川沿いにしばらく道ができている。街灯の明かりは届かず足元もおぼつかないが、しばらく走り抜ける。道がなくなったところで土手をよじ登り、道路に戻る。さてそろそろ、さっき曲がらなかった金沢城へ向かう道へ進もう。

金沢城に向かう道を進んでいると、右手に金沢城公園の入り口が見えた。ここに入ってみることにした。
公園の遊歩道の両脇に設置されている謎のオブジェ(なぜか裸体率高し)を横目に駆け抜ける。公園を抜けたところで堀端の整備された遊歩道をしばらく走る。

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やはりとても走りやすい。左手にお堀と城壁を眺めつつ、きりの良いところで右折する。すでに閉店して、もぬけの殻である近江町市場を右手に眺め、そのまま香林坊まで進む。スクランブル交差点から堅町通りを、ラストスパートで端から端まで一気に走り抜ける。

走り抜けた先がスタート地点、私が宿泊する宿である。ここをゴールとしよう。ほぼ10kmのラン。想定していたよりも随分走ってしまった。


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金沢の街を二度走った所感をまとめてみる。
よく金沢は小京都と称されるが、京都とは違った個性を持っている。京都よりも明治大正時代の趣きがあり、よりモダンな印象である。

また、昼と夜では全く雰囲気が異なる。どちらか一方を選ぶとすれば、間違いなく夜の金沢を取る。昼間の観光地として活動している金沢よりも、夜間の微睡んでいる金沢の色気を感じながら走る方が、よりこの街の魅力を堪能できるからだ。

ただ、今度金沢に来るときには、夜走るにしてももう少し早めの時間に来ることにしようと思う。なぜなら、今度こそは兼六園の中に足を踏み入れても良いかな? と、このランを通じて心境に少しだけ、ほんの少しだけ変化があったからだ。


次回予告


五箇山で『世界遺産』を走る 〜 

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