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長野との 二拠点生活 久しぶり 東京のコース 走る晩秋 “ 東京そぞろ走り #6 ”

先月から、長野に住んでいる。

信州大学が中心になって、長野県内の自治体やらNPOやら財団法人やら地銀やらその他もろもろが関わっている「大学で学び直しながら、地域の企業の課題解決を図る」半年間のプログラムに参加することになったのだ。
今回で5期目を迎えるこのプログラムは、96人の応募者と13社の応募企業から4組がマッチングした。マッチング率はなんと4%強という狭き門だ。一浪の末に都内無名大学を卒業した後、四半世紀にわたり飲食業しか経験したことがない私がなぜマッチングできたのか? 今でも理解できない。ともあれ50代を目前にして掴み取った大チャンスだ。東京の現業を時短勤務に変更してもらい、慌ただしく転居の手配を済ませて、長野での新生活をスタートさせた。

長野に転居して6週間。
趣味のランニングを、ここではまだ1回しかしていない。復業をはじめたので週休1日、他の6日間も本業副業学業に家事全般でかなりキツキツのスケジュールだ。忙しいというよりも慌ただしい。ちょっとした隙間時間にも走ろうという気にはなかなかならないのだ。
それともう一つ。一度部屋の近くを走った時の印象があまり良くなかったこともある。
長野市街の道は入り組んでいて、道幅は狭いのに一方通行ではなく、頻繁に合流があり、歩道は独立していない。ひとことでまとめると、歩行者やランナーにとって劣悪な環境なのである。大学のキャンパスは松本市、私が最初にマッチングを試みた企業は諏訪市。少なくとも、長野市よりは格段に走る環境は整っている。「ああ、よりによってなんで長野市で暮らさなければならないのか」。ランナーとしての私の口からは、ついつい愚痴がこぼれてしまうのであった。

ところでこの文章を書いている今、私は東京の自宅にいる。長野に引っ越したとはいえ東京の仕事絡みで、隔週で上京しているのだ。おまけに東京の実家を私が建て替えて二世帯住宅にし、住宅ローンを払っている身の上。よって、二拠点生活となっているのだ。
昨日は久しぶりに人に会う予定のない休日だった。なまっている身体を起こすには、いい機会だ。7週間ぶりに東京で走ることにした。

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自宅を出てすぐ、裏路地を100mほど直進する。この直線でその時のコンディションを測るのがいつものルーティンだ。「身体は重くないか?」「足の運びは順調か?」「呼吸器の調子は?」この調子によって、これからのランニングのペースを決めるのだ。
久しぶりにしては、体調はなかなか良さそうだ。少しペースを上げて進んでいこう。

路地を抜けると丁字路になっている。ここを左に折れ、しばらく直進する。慣れた道のりだ。緩やかな下り坂に差し掛かる。目の前に夕焼けが現れた。子どもの頃から見慣れた光景だが、見飽きることはない。美しく、鮮やかな光景だ。坂を下りきったところで左に舵を切る。ふたたび緩やかな上りだ。上りきると、また下り坂を進んでいく。我が地元は坂の街なのだ。

1kmほどの坂を下りきりJRのガードをくぐった先、横断歩道を渡るとまたまた上り坂だ。呑川に架かる橋を渡った先、勾配がきつくなる。夏場はここでバテて一旦休憩をするのだが、今日は11月。気温も20℃をきるくらいの過ごしやすさ。足取りは快調に進んでいく。
丘の上をしばらく道なりに進む。道幅が広く、自動車の存在を気にせずに進んでいける。最高だ。その先をまたまた下り、線路を越え環八を越えキヤノン本社の前を一気に駆け抜けると、多摩川土手に突き当たった。

時刻は17:30。すっかりあたりは暗くなっている。対岸の川崎市にそびえ建つビル群が放つ光が美しい。この先は川沿いの遊歩道をまっすぐ進んでいく。
遊歩道には一灯の街灯もなく、土手の下に建ち並んでいる住宅から漏れる灯りを頼りに進んでいく。スピードを出しすぎて足元への注意が逸れないように、慎重に進んで行く。とはいえ、走り慣れた道だ。周囲に人がいなければ目を閉じたままでも進んでいけるくらい、道筋を覚えてしまっているのだ。

2.5kmほど進んで、土手から出て中原街道に合流する。ここからは復路だ。9kmくらい走っているのだが息切れはなく、快調だ。右膝だけが若干痛みを発しているので、軽くストレッチする。ここ最近は左右のバランスを修正しているので、膝に違和感を感じることもあるが、身体に覚え込ませていくしかない。
中原街道をひたすら3kmほど進んでいく。坂を上って下ってまた上ったところで右に逸れる。そして長原の商店街を抜ける。環七を越え1kmほど進めば、今日のゴールである我が家に到着するのだ。

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久しぶりに走ったホームコースは、特に刺激はないが季節の移ろいなどを感じられて気持ちがよかった。明日の朝イチで長野に戻り、別の日常を過ごすことになる。「二拠点生活とは二つの日常を行き来することなのだな」と、行ってみてはじめて実感した。
東京での日常を整えるために、走ることはとても有効に機能している。自分の身体や心との対話。そして街に溶け込み、土地の成り立ちや季節を体感する。残念ながら長野では、これが足りていないのだ。走りやすいかどうかは別にして、こちらから街に溶け込んでいかないと、長野での日常を整えながら暮らすことは難しいのだろうな。東京の地から長野の生活を省みて、そう感じたのであった。

来週から、また長野で走ろう。自分のペースで。


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