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ラグビーと AEDと レモネード 絶望を超える 勇敢さとは “東京そぞろ走り #5“

2022年7月8日、金曜日。朝8時半。浜松町駅に私は降り立った。

芝消防署で、上級救命講習を受講するのだ。
私はかつて近くの飲食店で店長をしていたことがあり、防火防災管理者の登録をするために一度ここまで足を運んだことがある。そんなことはすっかり記憶の彼方に消え去っていたが、面白いもので実際に現地に足を運ぶと記憶の欠片がチラホラと脳裏をよぎり、ジグソーパズルのピースのように連結して記憶が鮮明によみがえってくるのだった。

思い出話はさておき、1階で受付を済ませて4階の会場に上がる。小さめの体育館のようなスペースに練習用の人型模型やAEDが整然と並べられている。見渡したところ、参加者はざっと40人くらいだろうか? 若い女性と(私も含めて)年配の男性が多く見受けられる。業務上の要請で講習を受けに来たのだろうか?

午前中の講習は救命蘇生法、主に胸骨圧迫と人工呼吸・AEDの使用方法についての講義と実技だった。

「Twitterで定期的に『AEDを使用するために倒れている人の衣服を剥ぐと、後で訴訟を起こされる』などという議論が盛り上がっているが、救護者は法で保護される。しかし、そのリスクを回避するためか若い女性に対してのAED使用件数が飛びぬけて少ない。」という説明が講師からあった。

民間人である我々に急病人を救護する義務はないので好きにすればよいと思うが、私は目の前に倒れている人がいたら躊躇せずに助けたいと思っているのでこの講習を受講しに来た。非常時に後先のことを考えて何も行動を起こさない人にはそれぞれの事情があるのだろうから責めはしないが、行動する人の邪魔だけはしないで欲しい。

救命蘇生法についてのカリキュラムが終了したところで休憩に入った。時刻はちょうど正午だ。私は消防署を出て、ランチを摂るために立ち食い蕎麦屋に入った。店内のTVから物々しい雰囲気とともに緊急ニュースが流れていた。

” 安倍晋三元首相は7月8日午前11時半ごろ、参院選の街頭応援演説中だった奈良市の近鉄大和西大寺駅前で男に銃撃された。ドクターヘリで県立医科大学付属病院(橿原市)に搬送されたが、夕方に死亡が発表された。67歳だった。”

https://www.yomiuri.co.jp/feature/titlelist/abe0708/

テロリストの凶弾に倒れた元総理は現地で胸骨圧迫の措置を受け、AEDを装着した状態でドクターヘリによって病院に搬送されたという。
もし私がこの現場に立ち会っていたとして、すぐに救命処置を取ろうと身体を動かすことはできただろうか?

午後の講習は三角巾を用いた止血法の講義と実技が中心となったが、その導入で講師はテロの件に触れ「私のキャリアの中でも、銃創の処置はやったことがない」と話していた。

よりによってこんな日に救命講習を受けることになるとは思ってもいなかったが、なんとかひと通りのカリキュラムをこなし、夕方には上級救命技能認定証を手に入れることができた。

浜松町駅近くの焼き鳥屋で軽く飲みながら、先ほどの事件について思いを馳せる。

私は、真に世界に絶望した者が取る行動はふたつだと思っている。ひとつは自らを傷つけること(自傷や自殺)で、もう一つは世界を壊すこと。この世界を壊そうとする行為が、テロだと考えている。

” テロは、大勢の無実の人々を巻き添えに恐怖を拡散し、敵対勢力(敵対国)に心理的打撃と企業活動の停滞などの経済的打撃を与えることによって、闘争を有利に導き、組織の主張を認めさせたり、理想の社会を実現したりする目的で実行される ”

https://www.hitachi-systems.com/ind/travelerswan/column/11/1115.html

ところで、子どもの頃から一本気で曲がったことが大嫌いだった私は「将来テロリストになってしまうのではないか?」という恐れを何度か抱いたことがある。自分を傷つけることも世界を傷つけることも、できれば避けて生きていきたい。世界に対して絶望することがないように、注意を払うよう心がけている。

逮捕された容疑者は何によって世界に絶望してしまったのだろうか? などと思いを巡らせつつ、私は会計を済ませ帰途に就いた。

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一夜明け、7月9日土曜日。
テロの目的のひとつとして「日常の破壊」がある。我々が心理的動揺を抱えたままでいつもと違う行動を取ってしまっては、テロリストの思うつぼだ。投票日が翌日に迫った参議院選挙の候補者たちからも「いつも通りの選挙活動をする」との表明があった。心強い。

一方で、あえて日常を逸脱した行動によって意思表示をする候補者も存在した。

「自分は身体障碍者という身体的弱者であり、暴力による支配にさらされるリスクが高い。なので、テロを含むすべての暴力に反対する。私の障碍を持った身体全体を使った抗議行動によって意思表示をする。」とのことで、乙武洋匡氏は渋谷から国会議事堂前までの5㎞強の距離を自分の足で走破する抗議行動を始めたのだ。

「これはこれで自爆テロっぽくもあるが、別に誰かが身体的に傷つくわけでもないし、いいんじゃないですか?」と感想を持ちつつ、なぜか「自分も走ろうかな?」とふと思い立った。
すぐに着替えて準備運動を済ませ、自宅の前をスタート地点として走りだした。

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路地裏のどん詰まりにある我が家から100数十m進み、通りに出る。走りなれた商店街を抜け、最寄り駅の踏切を越えてひたすら直進する。2㎞ほどで中原街道に出る。このまま進み、五反田を越え上り坂を上って行く。我が家がある大田区から都心の目的地まで最短距離で進もうとすると、必ずどこかの丘を越えていかなければならないのだ。

坂の途中のコンビニに寄りドリンクを買って少し休憩する。陽は陰っているとはいえ、気温は30℃を超えている。無理は禁物だ。
ふたたび走り出し坂の頂点、高輪台に至る。八叉路を抜けると長い下りに入る。しばらく進むと、久々に見る建物が眼前に現れた。

明治学院大学だ。かつて私は高校・大学とこの学校を受験し、ことごとく不合格にされるという屈辱を味わったのだった。京浜工業地帯で工員の倅として生を授かった私にとって、身近にあってギリギリ手が届きそうなブランドが明治学院だったのだ。

閑話休題。坂を下りきると麻布十番だ。

昔ながらの商店街風を装い、その実はイマドキの小洒落た店舗が林立する地域である。私はここから徒歩5分くらいのところにある銭湯に行くときに通るくらいで、あまりこの界隈とは縁がない。

そのまま直進する。ここからはまた上り坂に入る。

視界の先には真新しいビル群がそびえ、一気に都心に入ってきた実感がある。スタートから10㎞近く走って来たのでさすがにバテてきたが、気合を入れて坂を上りきった。

六本木一丁目を左に折れ、六本木まで進む。そこから右に舵を切り青山1丁目方面に向かう。乙武氏の足取りをネットでたぐると、そのあたりで合流できそうだ。
青山一丁目、青山通りに突き当たり左に進んで行くと選挙カーを見つけた。

乙武氏はきっとこの近くを走っている。そう確信して周囲を見回すと、乙武氏は対面の歩道を走っていた。

横断歩道を渡り、私はひと言だけ激励の言葉を掛け、その場を通り過ぎた。

自己満足かもしれないが、同じ時間帯にともに走り一瞬だけ交わることで連帯感が生じたような気がした。もし私が声を掛けたことが、彼が力を振り絞る動機に少しでもなれたとしたら光栄だ。

乙武氏を見送り、私は青山通りを渋谷方面にラストスパートをかける。ほどなくして、右手に神宮外苑の銀杏並木が目に入った。

じつは、私の目的地はこの先にある。新国立競技場に用事があるのだ。

所属するランニング部の部長に教えてもらって以来なんどか来たことがあるカフェを、ランのゴールにした。

シューズも履くことができない足で朝から進み続ける乙武さんと比べれば私の疲労度などたいしたことないが、ちょっとだけ頑張った自分へのご褒美だ。

レモネードで乾いた身体を潤した。


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さて、今日の目的地はこちら。新国立競技場で行われるラグビーのテストマッチ『日本vsフランス』を観戦に来たのだ。レプリカユニフォーム付きチケットが販売されてたこともあってか、会場には日本代表のユニフォームを着た観客たちであふれかえっている。

入口でチケットを提示し、はじめて場内に足を踏み入れた。

メインスタンドの上段、最後方から10列目くらいのシートに腰かける。

急勾配のすり鉢状に作られたスタジアムは臨場感に溢れている。入場者数は57,000人あまりと、大盛況だ。ワールドカップ開催を経て、国内にもラグビー人気が定着した感がある。高校時代ラグビー部に入っていたこともある私としては、嬉しい限りだ。

私がラグビーを好きなのは、あらゆる局面で勇敢さが問われるからだ。気弱で根性のない私も勇敢でありたいと願い、高校入学と同時にラグビー部に入部した。しかし、苦手なタックルを克服しようとサンドバックに向かって突進を繰り返しているうちに頸椎を痛めてしまい、続けることを断念した苦い思い出がある。

試合は前半を終えた。なんと日本は世界ランク2位のフランスに1トライ差をつけてリードしている。

ラグビーは体格差が大きく影響するスポーツだが、イギリスの植民地政策の名残で国籍ではなく居住歴や先代先々代のルーツによって所属する国を選べるので、体格が劣る日本でも不利が少なくて済んでいる。実際、今ピッチに立っている選手のほぼ半数は外国籍の選手たちなのだ。国籍とは別の選択肢で所属するナショナルチームを選べる自由さも、ラグビーの持つ面白さである。

結局、後半はフランスの猛攻に遭い、日本は惜しくも敗れてしまった。

それでも、リスクを顧みずに狭いスペースをすり抜けて阿吽の呼吸でショートパスを回し敵陣を突破する日本のスタイルは存分に発揮されていた。満足。
そして、日本にゆかりのある多国籍のメンバーたちが集まってものすごく日本的な戦術で戦うという、ちょっと転倒した面白さを感じた。

帰りがけに近所の出張所に寄り、参議院選挙の期日前投票を行った。投票日の明日は自宅から渋谷まで走って、そこで献血をする予定なのだ。

誰に投票したかは内緒だ。

私が帰宅してからもまだ乙武氏は進み続け、スタートから12時間近くかけてゴールの国会議事堂前に到着した。

https://twitter.com/h_ototake/status/1545724118896898048?t=qY3mV4BsBKelUSgmmtFOdg&s=19


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余談。
ラグビーを好きな理由が、もうひとつあった。それは、自分の後方にいる仲間にしかパスを出してはいけないルールがあることだ。

自分の持っているものは後ろの人たちに託し、彼らがボールを失わないよう勇敢にサポートする。社会的地位も財産もたいして持っていない初老の私でも、できることを精一杯やって少しは社会に貢献したいものだ。

けっして世界に絶望することなく。


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