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蒲公英と犬と魚たち “ 旅先で『日常』を走る 〜Spin-off③〜 ”




 『魚たち(フィッシュマンズ)』の聖地を巡礼する


今年でデビュー30周年を迎えたバンド『フィッシュマンズ』について描いた作品、『映画:フィッシュマンズ』が先月から全国の映画館で順次公開されている。

私もクラウドファンディングに3万円ほど投下した、思い入れの深い作品だ。

試写会を含めて、すでに私はこの映画を5回鑑賞した。

元々私が期待していたようなライブ映像たっぷりのノリノリな作品ではなく、メンバーや関係者のインタビューを中心にフィッシュマンズと早逝したボーカリスト佐藤伸治(以下「サトちゃん」)の足跡を追って行く作りになっている。

ドキュメンタリーというよりは、『ソラニン』や『桐島部活やめるってよ』のような青春映画テイストに仕上がっている。
感想を語り始めると一晩では足りないくらい、私のような古くからのリスナーではなくても様々な感情を去来させられるだろう、素晴らしい作品だ。

その映画の冒頭で、サトちゃんのお墓が映っていた。
「行ってみようかな?」 ふと思い立ち、聖地巡礼的な軽い気持ちで、墓参りに行くことにした。

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そもそも初めてフィッシュマンズの演奏を聴いたのは今から32年前、1989年(平成元年)のことだ。
貸したまま戻ってこないCDを回収しようと姉の部屋に侵入した。その部屋の散らかった床に転がっているCDの群れの中から、ふと手に取ったコンピレーションアルバムに、彼らの曲が2曲収録されていたのだ。

「清志郎を意識したボーカルで軽いレゲエを演奏するバンド」というのが、当時の専門誌によるフィッシュマンズの評価だった。
忌野清志郎率いるタイマーズや、ジャマイカンミュージックのレジェンドであるボブマーリーを崇拝していた当時の私には、彼らが奏でる演奏はドンピシャな音だった。

フィッシュマンズは、その後91年に『ひこうき』でメジャーデビューした。

彼らの新曲が発売されるたびに深夜ラジオのCM枠でよく宣伝されていたが、実際はあまり売れていなかったようだ。
音楽性がポップな反面、分かり易さに欠けるからだろうか?

 たしかに、サトちゃんが書く歌詞はシンプルだが抽象的である。さらに、デビュー作ではレゲエやロックステディのリズムを奏でていたが、その後はダブやヒップホップ・アシッドジャズといった当時の先端のジャンルを実験的に取り入れており、ジャンル分けが難しいバンドになっていた。

私は、そういったフィッシュマンズの変遷そのものを敬愛し、愛聴していた。そして何より、当時の私が大好きだったのはサトちゃんのキャラクターそのものだった。
インタビューでの人を食った受け答えや、いろんなかたちの帽子やアニエスのボーダーを着こなすファッションセンス。
「カッコいい!」 できる限りサトちゃんにキャラを寄せていこうと、当時大学デビューを模索していた私は日々努力に余念がなかった。

そして95年、レコード会社を移籍したフィッシュマンズは第一弾シングル『ナイトクルージング』を、

そして翌年2月には、アルバム『空中キャンプ』をリリースした。

ナイトクルージングをはじめて耳にした時の衝撃は、今でも忘れられない。「世界にこんな音があるのか?」 部屋を暗くしてヘッドフォンを装着して、何度も何度も繰返し聴いた。
空に浮かんで宇宙の果てまでフワフワと漂っていくような、不思議な体験だった。

メンバーの脱退が続きシンプルな3ピースの編成になった彼らだが、それを逆手に取ったように、音数を徹底的に削ってその一つひとつの音色を極限まで研ぎ澄ましたミニマムなサウンドを展開した。

専門誌は手のひらを返しフィッシュマンズを大絶賛した。
時を同じくして、私のバイト先の女子高生が「兄貴の部屋に置いてあったんだけど、このCD知ってますか? 5曲目が最高なんですよ!」と息継ぎなしに早口でまくしたて、このアルバムを私に貸してくれた。

“ 誰のせいでもなくて いかれちまった夜に
  あの娘は運び屋だった 夜道の足音遠くから聞こえる ”

「もちろん知ってるよ、君ぐらいの歳の頃から。ちなみに、5曲目は『ナイトクルージング』っていう曲だよ。」

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茂原駅前から路線バスに乗り40分弱で、最寄りのバス停に着いた。ググるとここから1kmほど緩やかな坂を登るようだ。駆け上がろう!
ランニングが趣味のおっさんである私は、いつでもどこでも走れるよう完璧な装備で墓参りに臨んでいるのだ。

街道に沿って200mほど進むと左手に墓地の入り口があった。右側が事務所で左側が駐車場になっている。来場者のほとんどは自家用車で乗りつけるのだろう。人影は周囲にまったく見当たらない。
駐車場の手前に売店というか小さな小屋がある。そこで供花を買うことにした。売店の婆ちゃんに、「あんた走ってたけど、バスで来たの?」と軽く驚かれた。

墓地は広大でわかりやすい目印もなくサトちゃんのお墓を探すのに難儀したが、ファンの方のブログに区画番号と写真が掲載されていたので、それを頼りになんとか見つけることができた。

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サトちゃんのお墓は丘の上の区画にあった。
とにかく空が広い。そして緑が豊かだ。好天にも恵まれて、まるでピクニックにでも来たような錯覚に思わず陥ってしまう。

お墓には一人先客がいた。私よりひとまわりくらい年下の女性だ。つばの広い帽子に黒のワンピース姿。墓石に水を掛けたり枯れた花を片付けたりと甲斐甲斐しく動いていた。

私は遠慮して後方に待機していたが声を掛けられ、二人分の花を一緒に手向けることにした。ここは母が生花の師範である私が代表して、墓石に備え付けられている花瓶に挿した。

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花を挿したところで彼女からリクエストがあり、私は彼女とサトちゃん(の墓)のツーショット写真を撮影した。

お墓の横には防水の収納ボックスが置いてあり、その中にはここに訪れたファン達からのメッセージや、ご遺族から提供された過去の写真が入っていた。

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思わず見入ってしまう。

しばらく滞在していたかったのだが、駅に戻るバスの時間が迫っている。なにしろバスの本数が少なすぎて、滞在40分のスケジュールを組まざるを得なかったのだ。
私は彼女に挨拶をして、来た道をさっきよりもペースを上げて走った。

先ほどよりも日差しは強くなり、空は変わらずに広く青い。「そういえば、サトちゃんはいつも空の事ばかり歌っていたな。」ふと、そう思った。
墓石の前に建ててあったモニュメントも『ひこうき』の歌詞だったし。

“ 2人の物語は いつでもあの日のまま いくつもの時がたっても
消えない飛行機雲も あの日のままだよ こんどもここでずっと会える ”





  『蒲公英』とサトちゃん亡きフィッシュマンズの邂逅


せっかく千葉県まで来たのだから、どこかに寄り道して走っていこう。どこにしよう? 銚子にするか。

銚子電鉄にも一度は乗ってみたかったし、前職では「銚子港直送」を売りにした寿司屋で働いたこともある。なにしろ、全国で水揚げ量が一二を争う規模の港町だ。まさに「フィッシュマンズの街」て感じではないだろうか?

銚子に行くには、どうやら茂原から一旦千葉に出て銚子に抜けるルートが最短のようだ。とはいえ、最短といっても3時間弱の行程になる。
言い忘れていたが、今日は青春18きっぷを使った旅をしているので、各駅停車での移動がマストとなる。

この移動中に、私とフィッシュマンズの思い出の続きを回想しよう。

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空中キャンプが発売されてからフィッシュマンズの評価はうなぎ登りだったが、相変わらず売上は悪かったようだ。

その後、私は就活を経て大手チェーンの飲食店に就職し、入社早々に九州に赴任することになった。そして、私は急激な環境の変化に付いていくだけで精一杯になり、フィッシュマンズの動向を積極的に追うことは徐々になくなっていった。

1999年3月、夜中にTVを付けているとフィッシュマンズの曲が流れてきた。ふと画面に目を落とす。画面の上部にはテロップが出ていた。「フィッシュマンズのボーカル佐藤伸治さんは、先日お亡くなりになりました。」と。

まったく思いもよらぬ事態にしばし凍りついた。初めてフィッシュマンズに触れた時から今までの様々な記憶が脳裏に溢れ、胸が一杯になった。

しかし目の前のことに忙殺される日々を過ごしているうちに、フィッシュマンズとサトちゃんのことは、徐々に私の記憶の隅に追いやられていった。

時は流れ2005年の大晦日のこと、私は転勤先の名古屋にいた。

その日は大雪のため、臨店先のショッピングセンターが夕方で閉館することになった。年末の挨拶もそこそこに施設から追い出された私は、このまま部屋に帰る気がせず近所のイオンモールに立ち寄った。

館内にあるタワーレコードをふらついていると、一枚のCDに目が止まった。
『ロングシーズン』だ。

35分16秒の表題曲1曲のみが収録されたこのアルバムは、96年の秋に発売された。

当時、就職が決まっていろいろとバタバタしていた私は、渋谷のHMVでこのCDを手に取っては元に戻す行為を何度も繰り返した挙句、結局購入はしなかった。もはや、フィッシュマンズの先鋭化する音楽性に付いていける精神状態ではなくなっていたのだ。

そんな経緯があって、私はこの曲を聴いたことがなかった。それでも興味を抱いたのは、フィッシュマンズがこの年に活動を再開させたとニュースで伝え聞いたからだ。

サトちゃんが亡くなりフィッシュマンズにただひとり残されてしまった欣ちゃんは、同時期にドラマーを亡くした東京スカパラダイスオーケストラに加入した。
それでも彼はフィッシュマンズ解散の道を選ばなかったのだ。

そして、私は9年ぶりにフィッシュマンズの作品に手を伸ばした。

“ 口ずさむ歌はなんだい? 思い出すことはなんだい? ”

家に帰ってから、そのなんとも形容しがたい快作を何度も繰り返し聴いた。そのまま、正月三ヶ日間ずっと部屋に籠って聴いていた。

当時の私は、日本中駆けずり回って休みなく働き続けて身に余るほどの大きな職責を任せられるようになっていたが、一方で長年の無理が祟って心身ともに悲鳴を上げはじめていたのだ。
凝り固まった心にフィッシュマンズの奏でる音とサトちゃんの歌が優しく染み入ってきた。

そんなきっかけでふたたびフィッシュマンズを聴くことになった。
しかし彼らの奏でる音楽は聴いてしまうとしばらく労働意欲がそぎ落とされてしまう、私にとって危険な存在だったので、数少ない休日の前の夜に聴くようにしていた。

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回想を進めている間に、銚子駅に到着した。

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ここから銚子電鉄に乗り換えて、犬吠まで行きたい。ひとまずJRの改札を出て、銚子電鉄の駅舎を探す。しかし、駅舎から出て駅前を一通り見渡しても、その存在は見つからない。

仕方なく、JRの駅舎に戻る。駅員さんに聞いてみると、なんと「銚子電鉄乗り場は2・3番ホームの先にあります」という返答があった。
どうやら改札を出る必要はなかったようだ。駅員さんに声をかけて再び改札内に入る。

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ひとつ向こう側のホームに移動すると、そのホームの先端部にひっそりと銚子電鉄の乗り場がくっ付いていた。

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銚子鉄道は鉄道の運行だけでは採算が取れずに濡れ煎餅の売上で経営を維持していることで有名だが、ネーミングライツを積極的に行ったりと、随所に収益化の工夫が見られる。

停車している車両のヘッドマークには『ピンクニュージンジャー号』と書かれており、岩下の新生姜とのコラボになっている。

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二両編成の後方車両から乗り込む。
若い女性の車掌さんが近づいてきて、行き先を聞いてくる。犬吠までの切符350円をその場で購入した。もちろん交通系ICなどは使えないので、現金決済だ。

前の車両に座ろうかと思ったのだが、

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なんか車内がピンクだらけですごいことになっているので、そっと踵を返して二両目の中ほどあたりの座席に腰を下ろした。

電車は発車し、銚子の市街地を縫って進む。次の停車駅はヤマサ醤油の工場の真っただ中だ。駅舎の上をパイプやらいろんなものが通っている。さらに進むと住宅街。その先は草ボーボーの中を抜ける。無人駅と観光案内所を兼ねたような駅が混在している。

車内では、乗客の女の子が車掌さんにずっとくっ付いて動いている。車掌さんが使っている物と同じ肩掛け鞄を持っている。車掌さんに憧れているのだろう。車掌さんも親切に対応している。ご両親も交えて楽しそうに談笑している。

そういえば、あの『銚子電鉄』とプリントされた肩掛け鞄、売店で売っているのだろうか?すごい商魂だ 笑。などと感じ入ってるうちに、電車は犬吠駅に到着した。

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駅構内の売店は品揃えも充実し、大繁盛だ。ひとまず濡れ煎餅の型崩れ1パック500円也を買い込んだ。
駅前広場のベンチに腰掛け二切れほど齧ってペットボトルのコーラで流し込んだ。その後駅のトイレでランニングウェアに着替えて広場に戻る。

入念に準備体操を済ませたら、さあ出発だ! BGMはもちろんフィッシュマンズを選んだ。一曲目からいきなり、ランニングならぬ『Walkin’』だが 笑。

“ 15時45分 ベンチにすわって 10円玉で買ったコークを飲み干して
街行く人に文句をつけて 指さしながら Walkin' ”





  『犬』吠を走る

広場の前を横切る道をまずは左に進む。すぐに突き当たりになる。今度は右に舵を取る。左手には旅館が建っている。
次の角を右に折れると、その先には一面の向日葵畑が広がっている。

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踏切を越えて道なりに緩い坂を上る。

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上りきったところでかなりの息があがってきたので、小休止して後ろを振り返る。

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海が見える。なかなかの見晴らしだ。

左に曲がり、さらに道なりに坂を上って行く。今度は左手に一面の向日葵だ。

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けっこう勾配が急になってきたが、スピードを緩めながらも止まらずに進んでいく。西日が身体の表面にジリジリと照り付けて、汗が吹き出す。上りきって通行量が多い道に突き当たった。

ここでまた小休止だ。

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振り返ると、かなりの高さまで登ってきたことがわかる。

左に曲がり少し進むと『地球の丸く見える丘展望館』の入り口があった。ここで観光がてら休憩を取ろう。受付で420円払って展望台に登る。

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触れ込みの一割くらいの感じではあるが、たしかに丸く見えるといえば見える。時間も限られているので、そろそろランを再開しよう。

ここからはイヤホンを外して進む。
この先はひたすら下りだ。さっき来た道をそのまま先まで道なりに進むと、程なくして下り坂に入る。左右に漁師の住処とおぼしき民家が立ち並ぶが、人気はない。
走りながら右に走る路地を覗くと、海に向かって一直線の開けた景色が視界に飛び込んで来た。

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突き当たりを右に曲がり下りの急坂を一気に駆け抜けると、外川漁場の外れに着いた。

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目的地は左側だ。海岸沿いはコロナの影響で立ち入り禁止になっている。内陸側に進路を変更する。右手に掘立て小屋があるが、かなりの人で賑わっている。看板を見るとかき氷屋のようだ。

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休憩と水分補給を兼ねて立ち寄ってみよう。

店内はベンチに地元民らしき先客たたちがぎっしりと腰掛けている。さらには自動車で乗り付けてきて一気に6個注文していく客まで現れた。大人気だ。なにしろ1杯150円なのだ。これは安い。
私は熟考の末に氷メロンをオーダーし、店外のベンチに腰掛けて一気に掻き込んだ。

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これがまた、冷た美味いのだ!

リフレッシュしたところで、ふたたび走りだす。堤防沿いを道なりに進んで行く。リゾートホテルの送迎用で使うようなカートとすれ違った。道は左に旋回しながら緩やかに勾配を上げて行く。

上りきったところで、視界に一面の大海原が飛び込んで来た。展望台で見た時よりも低くて近い位置から、その広大さを目に焼き付ける。休憩がてら海岸に降りてみる。

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打ちつける浜風が心地良い。サーファーが集まるだけあって、打ち寄せる波は勢いがよい。

ここからゴールまでは一気に進む。進んでいるうちに行きに通った旅館のある道に差し掛かった。そのまま直進し、犬吠埼に抜ける道を右折した。

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左手に廃墟になりかけている水族館を眺めながら、この道の突き当たりである犬吠埼灯台にたどり着いた。

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ここが今日のランのゴールなのだ。とはいえ、すでに入館時間は終了しているので、下から見上げるのみだ。

走り終えたら腹が減ってきた。そういえばランチは濡れ煎餅のみだった。どこか手近な店に入って国内最大級の海の幸を堪能しよう。探すまでもなく、目の前に土産物屋併設の食堂があった。空腹に耐えかねて、迷うことなくその食堂に入った。

『サザエ壺焼きと刺身御膳』を注文する。ついでに地ビールも。

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席に運ばれた刺身はどう見ても銚子港直送のものではなく解凍された形跡しかないが、それも想定内。文句を言わずにいただく。

そしてサザエが焼き上がった。

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醤油をたっぷりと掛けて熱々のうちにかぶりつく。
「熱い!」すかさず地ビールを口内に注ぐ。「冷たい!」すかさずサザエに(以下繰返し)。

では腹も満たされたところで、次は温泉で汗を流そう。なにしろこの猛暑で汗だくのベチャベチャだ。5分ほど歩いて犬吠埼ホテルに行き、立ち寄り湯を利用した。

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なぜか正面入り口のロータリーに、ペンギンが飼育されている。ここは南極なのか?

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意外に人懐っこかったペンギンたちとしばし戯れた後、立ち寄り湯に向かう。

太平洋が一望できる露天風呂が売りの立派な浴場だ。日差しがかなり低くなり、水面のさざ波をあおるように照らしている。砂浜にはテントがいくつも張られ、家族連れがバーベキューや水遊びを楽しんでいる。

お盆近くなると海に入り難くなるので、今くらいの時期が一年で最も賑わうのかもしれない。現にコロナ禍でも今日は満室のようだった。

やや塩っ辛い香りのする温泉に浸かりながら、私はまたもフィッシュマンズの記憶について思いを馳せる。

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時は流れて2019年2月。ZEPPTOKYOでフィッシュマンズのライブが開催された。じつは、学生時代は一緒に行ってくれる人がいなかったので彼らのライブに行ったことはなかったのだ。

しかし、アラフィフにもなれば活動はほぼお一人様が基本だ。チケットを取り、私は生まれて初めてフィッシュマンズのライブに参加した。
会場には驚くほど若者が多く驚いたが、「たしかに当時のファンだけではこの箱を埋めるのもきついか」と、苦笑いする。

その日、フィッシュマンズはライブでひとつの大きな封印を解いた。
活動再開後いちども披露していなかったラストシングル『ゆらめき IN THE AIR』を、20年ぶりに演奏したのだ。

しかもこの曲のメインボーカルは、なんと佐藤伸治だった。20年前のライブ音源から彼のボーカルだけを抜き取って、演奏に合わせて流す手法を取っていた。
私は、図らずも「サトちゃんがいるフィッシュマンズ」を体感してしまったのだ。

“ 僕らは二人で手を繋いで ずっとずっと歩いていった
  僕らは二人で手を繋いで 時には甘い夢を見た
  夜にはたくさん手を繋いで とってもたくさんサヨナラを言った ”

ライブの帰り道、会場の前でチラシが配られていた。手に取ったチラシに視線を落とす。そこには「フィッシュマンズの映画を作りたい!」と書かれてあった。


(ついでに告白すると、生で浴びたフィッシュマンズの演奏に私はすっかりやられてしまい、翌日会社を休んでしまった。)


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時刻は19時近く。そろそろ出ないと今日中に家に帰れなくなる。風呂から上がって、駅に向かおう。
帰りの車内ではの充電が続く限りフィッシュマンズを聞いて行こう。なにしろ、明日も休みなのだ。

いや、そんなことはもう気にしなくてもよかった。

あのライブの翌日に寝込んだのを境に、私はフィッシュマンズを聴いても労働意欲が薄れることはすっかりなくなったのだ。むしろ最近では、仕事中にもずっと聴いているくらいだ。

フィッシュマンズを聴いていると心が落ち着くのだ、鎮静剤のように。

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この歳になって、ようやく無理にテンションを上げなくても仕事に臨めるようになったのも、サトちゃんのおかげなのだろうか?

うん、きっとそうに違いないよね。


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追記

~ 旅先で『日常』を走る ~  本編の千葉県編は、こちら です。
よろしければ、ご一読ください!

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