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山形で『日の入』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode33〜 山形編 ”

前回のあらすじ

青葉城で『坂道』を走る

“ 同じ土地でも季節や時間帯、また接続する私自身の侵入角度によって、切り取られる風景や感じる皮膚感覚はまったく違うものになる。同じ対象が持つ多面性に気付くこと、これが土地と自分の関係性を豊かにする重要なキーワードになるのではないだろうか? ”

山形で『日の入』を走る

2020年の大晦日、時刻は午前8:30。私は青葉城へのノルディックウォーキングを終えて、仙台駅に戻った。(ここまでの経緯は上記リンク先に記してあります。)

コインロッカーから荷物を取り出し、トイレで着替え、駅の改札前へと向かった。今日の天気予報では大雪になると報じられていたので、JR線が予定通りに運行されるのか? 確認するためにだ。改札口の中にある路線別の運行案内に目を向けようとしたまさにその時、構内アナウンスが流れた。

「仙山線山形行きは、次の9:04発が本日の最終電車となります。お乗り遅れのないように、ご注意ください。」

繰り返すが、現在の時刻は午前8:30過ぎである。断じて午後ではない。先ほどまで駅前の空は真っ暗だった。日が登ってからはまだ2時間も経っていない。
「朝の9時に発車する電車が今日の終電だと?」
普段では考えられない事態に、頭が混乱する。一旦気を落ち着かせて、アナウンスの内容にあらためて耳を傾ける。どうやら、こういう理由らしい。

“ 今日このすぐ後の時間から明日いっぱいにかけて、山形駅近辺でかなりの積雪が想定される。奥羽本線も山形から新庄まで区間、在来線は運休になった。なので山形行きは次の電車で止めて、その後の電車は途中駅で引き返すことにした。”

そういう事情なら仕方がない。幸いにも山形駅までたどり着ければ、新庄までは山形新幹線で移動可能だ。途中下車して銀山温泉でラン&温泉を目論んでいたが、これは諦めよう。なにしろ今日の宿は秋田県角館だ。山形県内の移動は早々に済ませておいた方が安心だ。その代わりに、乗り換え時間を活用して山形駅周辺を走れそうだ。そうしよう。
とりあえず、9:04発の山形行きに乗り込むことにした。

車内は閑散としている。私が乗った車両には10人弱しか乗り合わせていない。この天気予報なら、無理に出歩こうという人は少数派なのだろう。
電車は定刻を遅れること数分で、仙台駅を発車した。快速だが、乗車時間は1時間17分ある。山形についての思い出や印象を、記憶の奥から引っ張り出して、山形ランに備えよう。


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山形といえば。いえば。。正直あまりパッと思い浮かぶものはない 笑。子供の頃に観た朝ドラ『おしん』に出てきたな。大根めしとか流行った。あとはこけしとか将棋の駒。米沢牛なんて名産もある。食べたことないが。
あっ、そういえば芋煮があるではないか! 若かりし頃に、担当店舗のパートさんに「マネージャー、芋煮会やるんですけど来ませんか?」と誘われたことがある。彼女の出身は山形県だったのだろうか? それとも宮城県だったのだろうか?

あとは、姉貴が昔『山形物産館』で働いていたことがあったな。虎ノ門にあったんだ、たしか。おそらく、こけしと将棋の駒と米沢牛と里芋を、声を枯らせながら売っていたのだろう。あっ、山形といえば日本酒もあった。
私が大学生の頃だから今から25年くらい前だろうか? 今は無き新宿コマ劇場の建物に入っていた『ととや』なる地酒屋で、山形の日本酒『初孫』を飲んだ。安い日本酒にありがちなツンとくるアルコール臭は感じられず、淡麗で後味がフルーティな嫌味のない甘さだった。すっかり気に入って、しばらくは銘柄指定でそればかり飲んでいた。

大学時代の記憶を引っ張り出したついでに、当時の旅行の記憶が蘇った。1995年の秋、大学3年生だった私は東京からひとり旅に出た。目的地は山形県米沢市。
当時、東北地方を拠点としたプロレス団体『みちのくプロレス』が旗揚げされ、その地域に密着したビジネスモデルと、メキシコのルチャ・リブレをベースとした試合スタイルが、プロレスファンの枠を超えて注目を浴びていた。年に数回は東京での興行もあるのだが、せっかく観るのならやはり本拠地で観たいものだ。ということで、私は遠路はるばる山形県に足を踏み入れた。

そういえば、その旅では翌日に米沢→山形→仙台→福島と在来線で移動して、福島で食事をして新幹線に乗って帰った。ということは、この電車にも乗ったことがあるのだ。方向こそ逆ではあるが。

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そうか。仙山線に乗ったことがあったんだ。記憶が定かではないが、どんな気持ちで電車に揺られていたのだろう? ふと、車窓に視線を移す。

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仙台市内とは打って変わって、このあたりはかなり雪が積もっている。もう山形県に入ったのだろうか? 目にも麗しい一面の雪景色が広がっている。この景色を車窓から眺められるだけでも、この電車に乗って良かったなと、心から思った。
と、ここで車内放送が流れた。
「えー、奥羽本線は、山形から湯沢の区間で今日と明日の2日間、計画運休となっております。

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ということは、もしかして新庄まで新幹線を使ってたどり着いても、その先には行けないのか? しかも明日も運休が決まっているのなら、新庄で2泊することになる。年末年始でろくに空いている店もないであろう新庄で、2日間もなにをして過ごせばよいのか?
それならば山形で2泊するか? 少なくとも新庄よりは時間が潰せそうではある。

などと脳をフル回転させていると、まだ山形駅には到着していないが、電車が停止した。どうやら、停止信号のようだ。車窓からは雪化粧を施された山形城、通称霞城が目に入る。

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じつは、私は去年、霞城を走ったことがある。

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2019年、9月。東北地方を旅していた私は、終着地を山形にした。仙台から高速バスに乗って移動し、山形駅前に到着したのは17:30頃だった。

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日の入りまではあと1時間もない。せっかく見知らぬ土地に来たのに宵闇を走ったら、周囲の景観は楽しめないし、なにより足元が見えなくなって危険だ。すみやかに準備をして走り始めよう。日没がタイムリミットだ。
駅前のトイレでサッと着替え、駅舎の隅っこにひっそりと存在するコインロッカーに荷物を預け、さっそく出発した。

駅前から線路沿いを進む。山形駅は高架だが、構内を抜けると徐々に線路は高度を下げ、私のすぐ隣で並走するかたちになる。信号をひとつ越えたあたりで、周囲から企業や店舗の姿は消え、ごくありふれた住宅街に入る。県庁所在地の駅から直線距離で500mもない場所にここまで住宅地が広がっているのを見るのは、初めての経験だ。

誰ともすれ違うことなく、しばらく進む。すると、左手の線路越しにお濠が見えた。霞城だ。少し先に橋が掛かっている。

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橋を渡った先に門を構えている。ここをくぐれば霞城内だ。
お城という場所は17時頃には閉まってしまうところも多いのだが、ここはスンナリと入ることができた。門を潜って、道なりに進む。緑が多い。木々が生い茂っている。城内というよりは、緑地公園といった趣きだ。

霞城公園はかつて運動公園として整備されたため公園内には運動施設が幾つか残っている。現在、整備方針が変わり史跡公園とすることを目標にしているので残っている施設も将来的に移転される予定である。

ということらしい。部活帰りとおぼしき学生たちがたむろしていたり、会社帰りのサラリーマンが通勤路として普通に歩いている。かつてお城があったとは思えないくらいに、地形がフラットだ。

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天守閣などは残っていない。ここにかつてお城があったのだと主張しているのは、石垣くらいであろうか。
城内を3/4周ほどするのにかかったのは1kmほどだった。さっき入った場所とは違う門から、城を出た。

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すでに日は落ち、夜になっている。かつては三の丸だったという市街地を進み、駅に戻ろう。

走り終えた私は、この後なにをして時間を潰そうかと思案する。深夜バスに乗って東京に帰るのだが、バスの発車時刻が23:15なのだ。ただ今の時刻は18:20だ。「とりあえず風呂に入るか。」 Googleマップで近隣の銭湯を探す。1kmくらい先の運動公園内に、公営の銭湯を見つけた。値段も安い。ここにしよう。
コインロッカーから荷物を取り出して、さっそく向かった。

意気揚々と銭湯を訪れたが、なんと本日は定休日だった…

気を取り直して、別の銭湯を探す。ここから1.5kmほど先に、スーパー銭湯がある。その名も『芭蕉の湯』。どうですか、ちょっと良さげじゃないですか? まあまあ距離はあるが、ここに向かうことにした。なにしろ時間だけはたっぷりあるのだから。

大通りをほぼ真っ直ぐに1.5km進む。単調な道のりだ。ほとんど誰ともすれ違わない。こんなシチュエーションでノルディックポールがあれば、もっと楽しく移動できたのだが。
20分近く歩いて、ようやく芭蕉の湯に到着した。

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誰とも会わなかった先ほどまでとはうって変わって、この施設はかなり混雑していた。家族連れを中心に賑わっている。私もさっそく湯に浸かろう。汗をかいた後にかなり歩いたので、身体が冷え切っている。

それから、小一時間ほど風呂を堪能した。ランニングでかいた汗をしっくりと流し、広い浴槽に浸かってすっかりリフレッシュできた。
入浴後は、また1kmほど歩き、北山形駅に着いた。ここから、一駅だけ電車に乗って山形駅に戻るのだ。

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北山形駅は6番線ホームまであるかなり大きな駅だが、なんと17時以降は無人駅になるらしい。思わずすべてのホームを探検するが、乗客を含め人っ子ひとりいなかった。

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さすがに電車到着の時刻になると何人かの乗客が現れたが。
これは、まるで時間限定の廃墟だ。なかなかレアな経験をした。

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という感じで、前回は3kmくらいしか山形を走らなかったので、ぜひリベンジランをしたかったのだが、それを優先すると山形県内で2泊しなければならない。
県内を脱出する手段が見つからなければそれでも良いのだが…
しかし、今日明日明後日明明後日と4日間の宿は予約済みなのだ。さっき開いた記憶から仙台行きの高速バスの存在を思い出した。まだ運行しているか調べると、どうやらまだ運行しているようだ。無駄足になってしまうが、ここは一旦仙台に退避しよう。

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電車は40分ほど遅れて山形駅に到着した。改札を出て、階段を足ばやに駆け降りて、高速バス乗り場に向かう。時刻表と運行状況の確認をするためだ。しかし、バス乗り場に到着したところで、その必要はなくなった。

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なぜなら、ちょうど良いタイミングで、仙台行きのバスが到着したからだ。
私は山形滞在3分で、仙台にUターンした。

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バスは、12:30頃に無事に仙台駅に到着した。
確認したところ、北へ向かう電車は13:20発だ。ここでランチを摂ることにしよう。駅ビルの郷土料理屋に入り、『仙台膳』を食べた。もちろん、牛タン付きだ。美味。

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この店のメニューには、芋煮も存在していた。山形とは味付けが違うが、宮城県でも芋煮は名物なのだ。
と、ここでまた記憶の扉が開いた。

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北山形駅から一駅だけ電車に乗り、山形駅に到着した私は、駅前の郷土料理屋でディナーを採りながら、深夜バスまでの時間を潰すことにした。

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カウンター席に案内された私は、とりあえずの生ビールとともに、芋煮を注文した。風呂上がりで喉が渇いていたので、芋煮が来る前に生ビールを一気に飲み干した。さて、次はなにを飲もうか? 芋煮に合わせるなら、やはり日本酒か。メニューに目を通すと『旬香 初孫 生酛 純米大吟醸』なる季節ものがあった。大泉逸郎並みの初孫好きである、私のためにあるようなメニューだ。これは頼まねば!

「すいません、この『旬香 初孫(以下略)』をください。」 店員さんに告げる。すると、隣で飲んでいた一名客のアンちゃんも「私もそれを」と注文した。私は、おお、隣にも初孫仲間がいたか、と鷹揚に受け止めた。店員さんの次の言葉を聞くまでは。

「すいません。こちらはあと一人前しか残っておりません。」

こうなると、一転して心中穏やかではいられなくなる。展開次第では隣のアンちゃんと一戦交えなければならなくなるかもしれない。脳内で軽くウォーミングアップを始めた。なにしろ、『初孫』を他人に奪われるわけにはいかないのだ。なんでこんなに可愛いのかよ、(初)孫という名の宝物。

「あ、なら私はけっこうです。」

神。隣のアンちゃんは、神だった。慈悲の心に満ち溢れている。かくして、私は『旬香 初孫(以下略)』を堪能することができた。

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とはいえ、すべてを独り占めするのも気が引ける。隣のアンちゃんは初孫仲間にして、神でもあられるお方なのだ。

「よかったら一口飲まれますか?」

こんなきっかけから会話が始まった。隣のアンちゃんは東工大の助手かなにかで、山形で行われている学会に参加中だった。神ではなく先生だった。
東工大がある大岡山といえば我が家の近所だ。直線距離で3kmくらい。私がランニング中に転倒して病院送りになった時も、救急搬送された病院は大岡山だったくらいには地元なのだ。
さらには出身が福岡だと発覚した。福岡には私も住んでいたことがある。(こちらを参照) 地元ネタを中心に、すっかり打ち解けてしまった。結局、深夜バスの時間ギリギリまで、話は尽きることがなかった。

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今回はアクシデントでトンボ帰りの憂き目に会ったが、山形とは意外に相性が良いのかもしれないなと、思い直した。

あらためて、また山形県に出直そう。そして、もっといろんな場所で走って、いろんなものを飲み食し、思わぬ出会いなどもしてみたいものだ 笑。


次回予告

角館で『小京都』を走る 〜 

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