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箸置きの一枚


あこはるかさんのこちらの企画に参加させていただきます。
はるかさん、よろしくお願いいたします_(._.)_


子どもがまだ小学生だった頃、この箸置きを買いました。
その頃住んでいた団地の部屋はとても殺風景でした。

必要なものしか置かれていない。
何にもない。

そうして何か新しいものを買うことをためらわなければならない位周りから言われることは辛辣でした。
ですからその頃どんな気持ちで自分がそこにいたのかということを今では思い出せなくなっています。

だけど子どもは可愛くて一生懸命生きていて、あの頃のことは半分は大切な想い出で、半分はなかったと思いたい、そういうようなものでした。


夕方、子どもと子どもの友達がオレンジ色の光りを浴びて風に吹かれながら一緒に遊んでいるのを遠くから見ていた記憶は、美しいものとしてずっと大切にしておきたい思い出です。

あの頃のまん丸な輪郭の少年はもうどこにも存在しないけど、私の心の中にはずっとオレンジ色の夕日を浴びて薄い色の髪の毛が風に吹かれて揺れていたことまでも、全部きれいな映像になって残っています。

撮った!

本人はその姿を見ることもなかったし、記憶にもないでしょう。

子どもの姿というものは親にとって残像としていつまでも心の中に刻まれて残っていくものなのかもしれません。


箸置きを最初に食卓に置いて使ってあげた時、子どもの顔がちょっとだけ明るくなった気がします。

ぱぁっと内側から光のようなものが零れだして、私の気持ちも内側から温かくなったような気がします。

私の子どもの大きな心の支えというかモチベーションの元になっていたものは、夕飯のおかずでした。

唐揚げか、カレーライスか、そのどちらかを出してあげるとテンションが上がります。

ハンバーグとか餃子でも顔は明るくなったけど、唐揚げとカレーライスには到底及びませんでした。

そうして唐揚げが美味しく出来上がった時はそのことをずっと覚えていて、うまく揚がった日には「これ、あの時と同じだね」なんて言って嬉しそうに食べていました。

山盛りのキャベツの千切りとたまにレモンの櫛切りと、大ぶりの鶏のから揚げ。

上げるのに時間はたくさん掛かるけど、大きい方が美味しいし、なんとなく見栄えもいいから大きくしたくて。

時間をかけて揚げるから、衣がカリカリになってじゅわりと中から肉汁が出て、まん丸な輪郭の子どもがカプリとそれを食べる。

毎日の生活は苦しくてつらいことが多かったけれど、そういう嬉しい瞬間もありました。

そうやって乗り越えてきたんだと思います。

しあわせって、瞬間。
一瞬だけなんだけど、その一瞬のためだけに家族みんなが頑張っていて、そのことがその時の大切な生活でした。

それってわたしたちだけではなくて大多数の人がそうなんだとも思います。


子どもが幼い頃のことは、今振り返ってみるとぼんやりとした夢の中のことのようです。



子どもがいたからできなかったことは数限りなくありますが、輝いていた時の小さな子どもとの思い出はかけがえのない大切なものです。

だから精一杯頑張ってきました。
そのことに後悔の気持ちはないです。

でも、そういう風に思うことができるのはいろんな人のおかげです。今の自分がこうしていられるのは親や家族やまわりの人のおかげです。
自分だけの力ではありません。

反対に、まわりの人が原因で苦しむこともあります。

そういう時はどうしたらいいのかわかりません。



どちらの面もあるのならしあわせの方を見て心を守っていたいから、自分を苦しめなくてもいいように工夫していきたいです。


どうしたらいいのかわからなくて苦しんでいる時は何にもできなくなってしまうから、そうならないで済むように工夫をしては来ましたが、限界があります。

どう受け止めたらいいのかわからない時もです。


箸置きのことからかなり逸脱してしまいましたが、食卓が華やぐと子どもはとっても喜びました。

とっても嬉しそうでした。

だからできるだけ工夫していろんなものを出すようにしてきました。そういうことも楽しかったような気がしています。

ほんの少しの間のことでしたけど。


という感じの思い出です。

美味しいものが食べたくなってしまいました。
揚げ物はダメだけど、何か美味しいもの、作って食べて見ましょうか(*^-^*)







ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。