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仕方がなくて生きている。仕方がなくて書いている。

なんていうか私は、本当に不器用な人間です。

きっと周りでみている人は、やきもきするか、笑っているか、どちらかだと思います。

本当にいつも仕方がなくて生きていて、その中で仕方なくぶつかってしまったことに振り回されながら生きている、そういう感想を自分自身の人生に対して持っています。


私が「しあわせ」という言葉を使ってしまうのは、止まってしまわないための方便です。

動けなくなってしまったらすぐに困ってしまうから。
ずーっとそういう状況の中で生きるしかありませんでした。

私にとって止まること、ストップするということは、何もかも終わってしまうということと同義語だからです。

今回貼らせていただいたミラクルさんの記事には、私の使う「しあわせ」という言葉と同じ意味のことが書かれていると感じました。

私は毎日ミラクルさんの記事を読ませていただいています。

時々読めなくなる時は、本当に全く余裕のない時です。


私は図らずも、どうにもできない状況に身を置くしかなくなってしまいました。

住む場所を移ってもそれは終わってくれませんでした。

それでもやっぱり、文章を書くことを諦めることができなくて続けてしまっています。

多分きっとこれからも、自分が苦しくなる程更に、文章を書いてしまうような気がしています。

それは前向きというより必要に迫られた行動です。

だからミラクルさんの記事の、「マイナス」と「プラス」という考え方とはちょっと違うのかも知れません。

ただ「止まってしまわない」ために文章を書くしかないと思ってしまう。

いいとか悪いとかは関係なく。

文章を書くことは私には必要なことみたいなんです。

そしてそれを読んで下さる人たちがいるということ。

そのことに感謝して書くことができるから「しあわせ」という言葉を使ってしまう気がします。


人の心は汚れてもいるけどきれいな心の人もいます。

それはきっとその人がつらいことを乗り越えてまっとうに生きたから。
ずるをすると汚れていって悲しいことになってしまう。

それを沢山見て来ました。


私はほんとに不器用で要領の悪い人間です。

そのことを恥じてもいます。

だけど人を陥れて自分の都合のいいように使うことはしていません。

だけど周りはそういう人がほとんどで絶望ばかりしてきました。

みんな自分のことしか考えていなかった。

両親も、兄弟も。

でも親は最後には私に謝って泣きました。

だけど遅かった。

そういう二人を恨まずに頑張ってきたから今、これから、何かできるようなところにいられるような気もしています。

二人はもう何の力もないけれど、見えないところで守ってくれているとずっと信じて生きています。

私自身にも守りたい子どもがいます。
だからそう思うのかもしれません。

子どもを持つまでこういう気持ちは実は分かりませんでした。

そして自分が苦しんでも母を守らないといけないと感じたのも、自分自身が母になり苦しいことを沢山通り抜けてきて、彼女の痛みが他人事のように考えられなかったことが大きな理由だったのではないかと思います。

子どもの頃から今までの母に対して怒りが全くない訳ではありません。
あの時こうしてくれていたらと思うことばかりです。

だけど母は、自分は一人で実家に残ると言った時、それでも連れて帰ると言う私に、「苦労するよ」とつぶやきました。

迷惑を掛けたくなくて我慢していたことがはっきりと分かりました。

本当に長い間、母は苦しみ続けてました。
一人で誰にも言えないで。

どうしようもない状況の中でも母はちゃんと働いて、父が亡くなった後店を一人で片づけて、お金もみんな父の実家の祖母に返して、その後自分の母親を7年間一人で介護して見送って、家も守ってきたんです。

弟はその間何も手伝ってくれなかったそうです。


だから、なんでもいいから、長い間苦しみ続けた母の最期が少しでも報われて欲しいと思ってしまったから、そうして周りの人達がこんなふうに変わってしまうなんて思いもしなかったから、母を連れてきてこんな状況になってしまいました。

私が世間知らずだったからこんなふうになったんだろうか?
そう考えて落ち込みました。
でもその時はどうすることもできませんでした。
本当に残念です。


「前向き」というよりも、ただ生きているためだけに私は何かを探したり行動したりしてきました。

そしていつも夢中になると自分を忘れてしまうのです。
母も子どもも守りたい。
だけど自分は後回し。

それがまちがいの元だったのだと思います。
どうしていつもそうなってしまうのか、私には分かりません。

何かが欠けているんだろうと思うけど、わからない。

そういうことが知りたくて本を読んだりしてきましたが、それでもわかりませんでした。



父が亡くなった後、母の負担が減るようにと考えて外に出て今があります。

本当に大変でした。
正直後悔もしました。
実家に残った弟が楽に思えて羨ましくもありました。

何回も家から離れようとしたのはいつも私で、失敗もありましたが、それで前に進めたということもあります。

子どもも持つことができました。
本当にいい子です。
子どもには感謝しかありません。

安心してもらいたいです。
だから私が苦しいままでは絶対にダメなんです。

少しでもいいように変わっていくしかありません。

行動するのは、「生きるため」。
生きてないと仕方がないです。

母のことも、たぶん子どもの困った時のことも、他の人は何もしてはくれないです。

私が守らなければいけないものがここにはあります。

子どもの大切な人生をおかしなことでゆがめたくはありません。
母が頑張り続けたことを他の誰かに奪われてしまうのも不本意です。
だから止まることができません。

…自信はないです。

だけどもう、仕方がないから。
できることをするしかないです。

ものすごく邪魔も入るし、困難な状況です。

でも。
生きないと。
仕方がないです。








ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。