あたらしい一日
『こんがらがった呪い』
何回も繰り返し見た『ハウルの動く城』という映画の中に出てくる言葉です。
そういうものをどんな人も何かの形で抱えていると知りながら人は大人になっていくのかもしれないと思うようになりました。
私の父や母の時代はいろんな理由で苦しんだり困ったりしている人がたくさんいました。
それは今も同じなのかもしれませんが、昔の方がそういう立場の人たちに優しい人が多かったような気がするのは錯覚なのかもしれません。
今の時代でも優しい人は一定数必ずいます。
ただそういう人たちに出会えるか、出会えないかの違いだけなのだと思うのです。
予測できない状態で『呪い』と向き合うことになってしまった時、それを救ってくれようとして頑張ってくれる人に出会いました。
その人は優しさから『呪い』のことを他の人には言わないでそこから助けてくれようとして自分が苦しんでいるように見えています。
私も苦しくて、つらくて、どうしたらいいのかわからなくなっています。
本当にごめんなさい。
突き付けられていることを回避しない限り、母も子供も自分自身も守ることはできません。
どうしたらいいのか、わからなくて困っています。
映画の中でハウルは、ソフィーのためにいろんなことをしてあげます。
かたくなだったソフィーも心を開いて変わっていきます。
二人は困難な状況の中で、軽やかに、しなやかに、そして不器用に、ぶつかったり悩んだりしながら生きて行きます。
現実の生活の中は映画や物語のようには行きません。
それでもみんなその今をひたむきに生きています。
そのことの素晴しさ、美しさ。
『リンダリンダ』という歌の中で甲本ヒロトさんが歌っていた『美しさ』って、そのことなのかな…と、今ふっと思いました。
テレビでブルーハーツを見てすぐに夢中になってしまった。
その時の自分に必要な歌に思えたから。
まっ直ぐに感じたこと、思ったことを歌詞にして歌っている、そういうふうに感じたからです。
その頃も今までも、あいまいに自分の気持ちをごまかしながら生きてきてしまった部分が自分には沢山あったことを、noteを書くようになってから強く感じるようになりました。
そういうふうにしていなければここまで生きてくることができないと感じ続けていたからです。
子どもを守ること、そのためにその時その時の最良を考えてきました。
でもこれからは全然別の考えを組み入れていかないと前に進んで行くことはできません。
『こんがらがった呪い』の重さ。
その重さは私の力ではどうにもならない重さです。
みんな何も悪くないのにこんなふうになってしまった。
どうしたらいいのかわかりません。
もしもハウルに相談できたら、ソフィーが私のお姉さんで話を聴いてくれたら、最良の解決方法が見つかるのでしょうか?
わからないのだけれど、今日もまた一日が始まります。
沢山の人たちに沢山の「ありがとう」を心の底から言える私になっていきたいと、そして苦しめたくないと思っています。
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。