ようこそ 🌏母なる大地へ
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🌸〜帝王切開を経て〜🌸
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1987年 🌳第一子🌳(息子)の時は、何にもわからずに固まってしまっていたのだろうと思います。
病院にされるがまま…慎重すぎる医師の言葉を鵜のみにして術後は激痛との戦いでした。
産後の回復も遅かったです。
帝王切開だから真っ白いきれいな赤ちゃんで、
✨きゅっ✨
✨きゅっ✨
✨きゅっ✨
と、小さな初声でした。
生まれた直後、ほんの一瞬赤ちゃんを見せてくれただけで、触れることもできなかったです。
ほんとに1分間もなかったように思います。
奇麗な赤ちゃんですよ、と看護師さんの声・・・
直ぐに別室へ連れ去られる前の僅かな合間、術中のベッドに寝たままの私は、顔の斜め上辺りに見せてくれた小さな我が子を一生懸命見つめました💞
外は雪が降っていました。
透きとおるように澄んだ魂の真っ白い綺麗な赤ちゃんがやってきたこの日…
❄️❄️❄️❄️❄️❄️❄️❄️❄️
雪のように白い日でした❄️❄️❄️❄️❄️❄️❄️❄️❄️
長男はおとなしい性格もあって、何となく弱々しい感じで泣いていました。
優しい泣き声でしたが、どこか寂しそうな、不安げな感じもしました。
評判の良い新しい総合病院でピッカピカでしたが、母と子にとって悲しい対応がたくさんありました。
その頃の私は、それらが医療として普通のことなんだと思ってました。
里帰り出産で義母が実の親子のように付き添ってくれていましたが、医師の慎重な対応では傷口の痛みがなかなか収まらなかったです。
唯一の救いは、入院後半の一週間はずっと母子同室で一緒にいられました💕💓💞
赤ちゃんが部屋に来た時の小さなまーるい息子の顔は、何とも言えない幸せに満ちていました🍀💗🍀
✨やっとまた逢えた!✨
初めて我が子を抱っこした時のキラキラしたあの愛おしい瞬間は、生涯色あせることなく深くハートに刻まれています💗💝💗
私の初めての宝もの🐬は、
今はたくましく成長して幸せな家庭に恵まれています✨🍀
(プロセスは語り尽くせないものがありましたが…)
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1994年 🌷第二子🌷(娘)の時は、またあの恐ろしい世界に閉じ込められる、と手術台の上でガタガタ震えっぱなしでした。
その頃は生命の本質的な生き方に触れていたので、潜在意識の恐怖心は和らぎ術後の痛みも思った以上に軽くて、一回目よりは随分楽に終えました🍃
母子同室ではなかったので、同室にしてほしい!と強く頼みましたが、母親に負担がかかるからできない、と聞き入れてもらえなかったです。
母子別室の方が、離れていることで余計にマイナスになるのに・・・
なんで負担になるわけ…??
おかしい!!
一緒にいられないストレスの方がずっと負担になるよ!!
医師や看護師には母子同室の必要性がわからない・・・
まだそういう時代でした💧
(その一年後くらいから、その産院でも母子同室になったみたいです。)
兄になった息子も、早く妹に触れたくて別室のガラスにへばりついてくい入るように見つめていました💞
生まれたばかりの私の赤ちゃんと貴重な幸せなひとときなのに…💫
どんな時も一緒にいたいのに…💫
病院のルールの為に我が子との一番大切な時間を奪われてしまうのは、本当に迷惑でした。
娘は、別室ではいつもギャーギャー泣き叫んで私を呼んでいました。
呼び続ける娘に答えるように早くから母乳がポタポタ出ていたし、やっと同室時間になって部屋に来る時は、ピタッと泣き止んで、なんとなく嬉しそうに微笑んでいるように見えました💓
毎日、時間の許す限り、赤ちゃんが部屋に居る間はずーっとずーっと抱いていました💞
ふわふわしていて、何とも言えない心地よい幸せな時間…✨💗✨
あの穏やかな安らぎの空間…✨🍀✨
人生の宝ものがまた一つ増えました💝💝
開業したばかりの産院でこじんまりしていて付き添いも要らなかったので、ずっと母子水入らずのかけがえのない幸せな2週間でした🍀✨🍀
産院の対応も母子別室以外は第一子の時よりもポジティブで余裕もあったし、産後の回復も大変早かったです。
💦帝王切開の赤ちゃんは、生まれた直後に抱くこともできなかったです。
2回目は半身麻酔手術中の強烈な私の恐怖心で、娘はお腹から出た瞬間からずっとギャーギャー泣き叫んでいました。
抱けなくても、生まれて直ぐにもっと赤ちゃんに触れることができたはず・・・
そういう配慮は当時の病院側には全然なかったです。
✨🐬✨
🐬最初の出産(帝王切開)は30歳でしたが、帝王切開を宣告されたショックで気もちも体力も弱くなっていて一番生命力が下がっていた感じでした。
🐬2番目の子の出産(帝王切開)は37歳。
第一子の時の総合病院では、2回目は普通分娩ができると言われてましたが、引っ越した為に第二子の時の産院では、一回帝王切開したら次も絶対に帝王切開だと言い切る医師にまた大きなショックでした。
ですが、自分の探し求めた本当の生き方の方向へ進んでいたので生命力も随分上がっていました。
🐬3番目の子の水中出産では、年齢とは逆に一番若々しく元気で、産後の回復なんて最初から要らないくらいパワフルで生命力に満ち溢れていました。
水中出産後は、初めてのお風呂もすぐに自分で入れました。
産後は体を休めて養生しないといけない…なんてことは全然必要なくて、普段と変わらず普通に過ごして超元気でした。
💓喜びの中には、生命の害になるものなんて何もありません🛸🎶
✨🐳✨
🐋一番若い時は、医学に縛られた出産で生命力低下状態。
🐋その後、生命の本質を知り、古い価値観や固定観念等から思いっきり解き放たれていったので中身がどんどん若返っていきました。
🐳42歳で初自然出産でしたが、20代みたいに若々しくパワフルでした
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一回だけの帝王切開で、次は普通分娩になることは、医療としては充分可能でした。
私の場合、2回とも帝王切開になったことは、2回の帝王切開でも次は自然出産が可能だということを実証する為の人生のシナリオ通りだったんです。
生まれる前に決めてきた自分の地球人生プログラムのヴィジョンでした✨🛸✨
🛸💫🌱
後から思えば、
医療知識に対してほとんどがその医師の個人的解釈による思考や感覚でした。
病院によって言うことが違うことは、明らかです。
2回目の医師に、1回目の医師の対応について言われました。
「よっぽど神経質な医者だったんだね、と。」
・・・なんてこと・・・
大切なかけがえのない「時」は戻ってきません。
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医療を初め、今の世の中の一般的と言われる概念には、命の本質(真実)について多くの誤りがあります。
特に西洋医学では、生命の本質を妨げていることがまだまだたくさんあると感じています。
思い込みや誤認の意識ブロックを解除すると、内在する「本当のこと」が出てきます。
心の制限になっている潜在的ストッパーを外すだけで本音を感じていくことができるんです。
それらを潜在意識から完全に解き放ち、本質である愛の自分に還ることで、地球上の奇跡として真実=命の本質が実現していきます✨
🌱🍃
✨まず、医療の集合意識に隠れている潜在的恐れが生命力を制約しているということに気がつくことです。
✨あくまでも自分の生命力が主導権を握り、医療に全面依存しないこと。
✨医療は、生命力のサポートとして受け取ること。
✨医療に主導権を完全に与えないこと。
✨医療の統計上のデータだけに洗脳されないこと。
✨どんな時も、生命力の本質に繫がっている自分軸を最優先し、自分の直感や感覚を大切にすることだと思います。
✨(生命力の)ブレーキをアクセルだと錯覚しないで、
ブレーキをブレーキだと見極めていけるように…
自分の体は自分で守っていくことを忘れてはいけないと思います。
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